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荊の姫  作者: ごはんごパン
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碇の荊

布が靡き、耳元で鋭く風が鳴る。くるくる回る視界に写る、遠い地面と眼球が焼けるほど眩しい太陽。


あれ、わたし。どうして空を飛んでいるの。

 大地から芽生えた、巨木のような茨の頂上に立った。山々を下に見る視界を影が過る。


 嗚呼、お前か。


 他には何とも思わなかった。沈殿した怒り、恨み。濾過され残った「殺す」、という強い意思。呼応する拍動、魔力は昂ぶり循環し、一層密に満たされた。


「いざ―――」


 腰、膝、足首、つま先まで。関節の後ろに仮想する凝縮された不可視の塊


「参ります」


 爆発させて、発条のように飛び出す。目の前に迫る巨躯の生っ白い腹に向けて突き出した剣は、容易く胴体を食い破り背中の鱗すらも内側から貫いた。


 血まみれの軌跡、紅の雨が降る。咆哮は失いつつある生を惜しみ、ただ死の恐怖を謳った。


「まだ生きているの…『荊の処女(ソーン・メイデン)』ッ」


 呆れた、しぶといものだ。体中の傷から体液を滴らせ、未だに落ちようとせぬその執着。


 余りにも醜い。


 飛び方はまるで弱り切った蠅の様。剥離する鱗の下から血が止めどなく滴る。


 荒れた地面に降り立って見上げた。奴の体を数多の茨が呑み込む。命乞いの鳴き声もか細く、聞きつけ助けに来る小竜はない。

 空を埋め尽くすほどにいた奴らも大半は地に落ちた。後は逃げ帰ったのだろう。お前は堅牢な荊の中、独りで死ね。

 

 茨はうねり、圧縮し、挽肉へと変える。みしり骨の折れる音、肉一片残すまいと貪欲に茨は吸い取った。


 なんて濃厚で、獣臭い精力だろう。躰の奥へ呑み込む度に引っかかる。器が簡単に溢れ返されてしまう量を片端から錬成し、魔力とした。


「御褒美よ…今回もありがとう」


 刃で指先を傷つけ、血を一滴剣に垂らす。絡みつく魔力が解け、引き抜かれる快感に目が眩みそうになった。


「ユリアーナッ!」


 声のする方に向けた視線はエレントラントを捉えた。辛うじて形を保った鎧を引きずる様にこちらに歩みを進める。


「エレン、貴方…」


 晒された肌は痛々しく傷がつき、血の流れが途絶えることは無い。地上も激戦だったことが、彼女と燻る土地が物語る。


「怪我はありませんか…そう、それは良かった」

 ぺたぺた体のあちこちを触って呟いた声は本当に、心の底から安堵しているようであった。


「本当に、本当に…」


 かくりと、私を覗き込んだ目線が外れた。咄嗟に差し出した手が脱力しきった重い体を支える。


「ごめんなさい。安心したらちょっと。気が抜けてしまって」


 テヘヘと、力なく微笑む顔に、私は何を思ったのだろう。悲観か、怒りか、それとも絶望か?こんな顔はもう二度と見たくない、私はそう願った。なのに―――


 今、一番大切だと、守りたい。心底愛していると誓える者に私は。


「ごめんなさいっ…私、わたしは」


 頬に転がる粒を、彼女は優しく拭ってくれた。


「貴方が泣くことは無いのですよ、さあ、胸を張りなさい」


 高い空から、まるで止まっているかの如くゆっくりと竜の骸が落ちてくる。その影を視線で追った。


 もう、戦う必要は無いのだ。全ては果たされた、と。

 ちゃんと、繋ぎ留めたい人ができたよ。もう絶対に離さない。まだ逝けない空の向こうへと、風に思いを乗せた。


******************************


 馬に揺られ、来た道を戻る。周囲の光景は惨憺たるものであった。野は黒く焼け、大きな骨がまるで墓標のように立っている。燻る臭いと黒煙を潜った。他の者達は後片付けと調査に置いて、たった二人での凱旋。

 両手にすっぽり収まってしまうほどの背中を私に預け、ユリアーナは遠くに意識を置いていた。


「…エレン、私はもう戦わなくてもいいのですか」


 口の端からぽろり零れる様な問いかけ。瞬きの逡巡。確かに彼女に戦う理由は無い。

 不純な動機ではあったものの、彼女の戦争は完結を迎えた。しかし、私たちの争いは終幕の気配すらない。日々魔物は数を増やし続け、討伐隊の数は消耗を続けるばかり。


 ―――もしも、一騎当千の化け物を飼い慣らすことができたなら。


 部隊を率いるものとして、彼女を喉から手が出るほどに欲している。帝国中に散らばった、全ての形成を覆す好機にきっとなる!


 …分かってる。ユリアーナはそんなことを望んでいない。何より少女を戦場に駆り出そうとする思考に賛同できない。

確かに彼女は強い、私たちの数十、数百。否、それ以上。今の彼女に敵はいないとしても、私の心が許さないのだ。少女が剣を携え、荒野を駆ける?ふざけているとしか思えない程不釣り合いな絵面が想像できた。


 それでも


「ユリアーナは…もう戦いたくない、のよね」


聞くしかないのだ。

彼女が答えようと口を開きかける。どうか「嫌だ」と言ってほしい、そう願いながら。


「分からない、この後何を成せばいいのか」


 また、零れる様に言葉が聞こえた。彼女はまだ己の罪に縛られているのだ。


「だからもし、『剣を取れ』と望むものが一人でもいるのならば私は―――」


 心に深く食い込んだ棘は決して私には取り除けない。彼女はきっと、今後もずっと罪を償い続けるのだろう。その命が潰えるその日まで。


「もう一度、戦いましょう。私はみんなの英雄ですからっ」


 無邪気な笑顔が傷に染みる。彼女は再び、戦場に立つことになるだろう。それが遠い未来であることを祈るばかりだった。


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