貴方は此処に、私はソコに
仄暗い部屋、カーテン越しの日光が控えめに暖かさを伝える。
『入ったわね…本体が』
「ええ、先ほど。早速取り組みますか?」
『そうねぇ、さてどうしましょう』
悪戯を考える子供のように、その笑い声は深淵に響く。
『もうちょっと、あと少しだけでいいわ。様子を見るとしましょう』
『貴方/私がどうやって、その荊を天に伸ばすのか』
午後の微睡みに、甘ったるく香る髪を振り正した。
『―――楽しみねぇ』
童女は愉悦を唄う。
『そう思わない?可愛い私の復讐鬼ちゃん』
「ええ、とても」
心の底から、腹を抱えて笑いたい。
『貴方…目が笑ってないわ』
そうだ、笑えなかった。己が内に抱えた炎は青。冷たく猛るそれが、今まで途絶えた事はない。
あの日、あの時、この城で。異形と化した右腕、吐き気のまま胃の中を空にした。
目に映るは地上の星か、それとも満天の灯だったのだろうか。ただ身を任せ、天を転がり落ちる。痛みに涙が溢れて、気を失いそうになる刹那。
悲しみが消えた。大切な人を失った悲しみが。からっぽになった心に、私は何を入れればよかったの?
「本当に、殺していいのですね」
『勿論よ、好きになさい』
私は、空虚な心に呪いを刻む。奴を葬るに十分な「荊」を―――
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穏やかに時間が過ぎていく。エレントラントは「仕事がある」と、出かけてしまった。
話し相手、傍に居てくれる人が居ないというのはどうもつまらないものだ。
開け放した窓、ふわりはためくカーテン。ベッドに腰かけたまま、その向こうの景色を無心に眺めた。
花壇の黄色い蕾は開きかけで、それを祝福するように風が撫でる。絹のような光が雲間から洩れる。
光の照らした先で、私は輝きを見つけた。銀の食器よりも眩しく、陽の温もりよりもきっと優しい。注がれた水が虹を映し、萌える緑に寄せられた慈愛の視線。立てば芍薬―――というが、彼の方にこそぴたりとあてはまる。
一体どれほどその姿を見つめていたのだろう。顔を上げ、たおやかに掻き揚げられた髪の下から、覗いた瞳に吸い込まれるようであった。
微笑みが向けられる。勿論他人、知らない人だ。麗しい会釈になんの反応も返せずに、ただ見送るだけになってしまった。
ふうわり風にドレスの裾を流し、どこかへ去る姿をずっと見つめていたい。心からそう思った。
それからというもの、毎日同じ時間、窓から見える彼女の微笑みに会釈を返し、背中を見送ること。それがいつの間にか日課の一つになっていた。
この城に招かれざる者、他人の部屋で日がな一日怠惰を貪る居候。そう自覚している。水やりをする彼女だって、私が余所者だと既に気付かれて居る筈。
なのにどうしてあんなにも―――
嗚呼、まただ。どうしても彼女の事を考えてしまう。心に染みついて離れない。もっと近づきたい、話したい。そして―――
いけない、これ以上は。無垢な肌の下で脈打つ、熱い血潮を嚥下したい。豊満な胸を貫いて、本体と別れたことを知らぬその真っ赤な果実(心臓)を呑み込んでしまいたい、なんて。
いけない。嗚呼、いけないことだと分っている。なのにどうして体は疼くのか。欲望で膨らんだ心の、その表面に張り付けた僅かな理性が剥離して崩れてしまいそう。
晴れた日の、風で揺れる薄布。その下から覗かせたミルク色の肌に、一度だけ、たった一度だけでいいから牙を突き立てられたら―――
鍔を飲む。火照る体をベッドから起こした。まだ…朝日は昇ってない。
毎晩毎晩こんな妄想に浸っている自分が恥ずかしい。きっと彼女だって相手がいる。素性の分らない私に挨拶をしてくれていることすら異常なのだから、と。
「どうかしたの?」
隣から声がした。眼を擦って布団を持ち上げたのはエレントラント、どうやら裸にならないと眠れないらしい。毎度のことだが、そのダイナマイトボディには目を見張るものがある。
「…喉が渇いちゃって」
水が欲しい訳じゃあない。けれど、散らかった机の上に置いてあったカップを呑み干す。甘露甘露。
「それ、私のよ?」
「あ、」
しまった…
「あとそれ、何日前のか分かんないわよ」
…甘露なんかじゃなかった。確かになんか後味が悪い、うぇ。
しょうがないなという風に微笑んで、彼女は腰を上げる。水が欲しい訳じゃあない。本当に、私が今欲しいのは―――
立ち上がった彼女の、月明かりで逆光になった背後から首に手を回す。触れた肌は絹の様で、温もりに腰がとろけそうになる。離れがたい、ずっと触れていたい人の温かさ。細い肩、柔らかい肉の感触、伝わる血潮は熱い。そこに、
私は牙を突き立てた。