送り人
曇天、葬列のように粛々と。寒空、消沈した風が馬上で揺れる身を貫いてゆく。
馬に乗ったことなんてない私は、エレントラントの膝に収まった。
天災を免れた街の人々が、綺麗なままの鎧の騎士に首を垂れ、襤褸を纏ったような私の姿に憐れみを、恐れの視線を向けてくる。
嗚呼、そうだろう。
たったの一人で竜を追い払った。傷を与えた。それだけのことだ、とはとても言い切れない。自分だって困惑しているし、後悔だってしている。だから。
そんな目で、私を見ないで。好奇と恐怖に色づいた視線で私を射抜かないで。
なるべく小さくなろう、目立たないようにしよう。そうやって隔絶された世界で私は生きる、自分の肩をしっかり抱いて。今までも、これからも―――
「…大丈夫」
温もりを背中に感じる。私が忘れた、人との触れ合い。肌で伝わる心の温度。
「貴方は一人ではないのです、私がいます。だから」
「そんな顔をしないで」
私は英雄じゃない。自惚れも、誇りも、背負うべき使命もない。
私は咎人だ。少数を殺して大勢を救った。報われた人々の方が遥かに多い、でも。
救われなかった人々は、私が殺してしまった人々はもう戻らない。例え厳罰を積もうと、深い絶望に一人、この身を置こうが彼らの命は吹き返らないのだ、なのに。
「なのに、私は…」
孤独でないと、貴方はそういうのか。この温もりを一時の幻覚だと、そう思わなくてもいいのであるか。
「切り捨てた命の事を心の底から思えるのであれば、未だ人として生きていける」
彼女は耳元で囁く。
「貴方は、私たちの英雄です」
人を救った。その事実に変わりはない、と。そう言って肩に乗せられた手には、無数の傷跡があった。きっと幾度となく挑んだ者の手に違いない。
「私は、私たちは。貴方の英雄になりたいのです」
一人一人が誰かの英雄になろうと、誰かの役に立とうと生きている。
私も、
「そんな風に思っていいですか?」
振り返った先の微笑みに救われる。雪解けの滴が目尻から溢れた。
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一面の畑の中に長く一本道。都は城塞都市らしく、高く堅牢の壁は、決して攻め込まれることの無いような白の威容を誇っている。
城門は巨人でも迎え入れる予定でもあるのか、将又途方もないくらいのデブでも迎え入れるつもりなのだろうか。
大通りは人や馬、家畜の足並みが雑多に紛れ、鮮やかな煉瓦の家が視界を縁取っている。馬上から見える露店や威勢のいい呼び込みが賑わせる路を視線で辿ればそこには―――
「ッ?!」
視界に稲妻が奔った。込み上げる寒気に前傾になる、けれど視線が外れることは無い。
光を全て反射するような白い城壁、それの周りに黒い靄のようなものが纏わりついていて、直視するだけでその瘴気に目が腐り落ちそう。
それはそこに在ってはならない、そこに行ってはならないと。頭痛が警鐘のように唸り続ける。
どうして人々は平気でいられる、あんなものの近くにいればたちどころに命を落とす!
「綺麗でしょう、お城。断崖絶壁の上に建っているの、地面から盛り上がってできたんじゃないかって」
そういう彼女の笑顔に気味の悪さを覚える。私が間違っているのか?
そんな思いは他所に、馬は歩みを進めている。城門は目と鼻の先、近づきすぎた瘴気は肉の腐ったような臭いがした。
怪物の口の中へと飛び込む心持で踏み入れる。ドロリとした不浄な空気は、入った途端に消え失せてしまった。
高い天井、煌びやかな装飾で覆われた壁。馬を降りた先に広がっていたのはそんな光景だった。
違和感は未だ拭いきれていない。この城は本当に「王の城」であるのか?
ふかふかの絨毯を踏みしめ、エレントラントに手を引かれた。視界に入る金色が眩しい。飽きてきた、王様とやらは芸術のセンスに欠けているに違いない。
ドアの並んだ廊下の一番突き当り、他の物より少し装飾の多い扉を彼女は開いた。
「ちょっと今散らかってるんですけど…」
そういって先に入っていく。その部屋は確かにちょっと、いや、ものすごく散らかっていた。
ベッドの上から零れ、床まで浸食した洋服と下着の海、デスクにうず高く積まれた羊皮紙が今にも崩れそうだ。傍らの紅茶は一体何日前の物なのだろう…
「すごぉくきたない」
「あぅぅ…」
首をすくめる巨女、その頭にもぴょこぴょこ寝癖のようなものが見える。
「本当でしたら客間にお通ししたいのですが…」
客人として扱ってもらわなくてもいい、そう言おうとした。
「貴方は、余りにも大きな功績を残された」
素晴らしいことです。それはとても偉大なことです、と。
「貴方はどの時代、どの国に生きた戦士、賢者よりもお強いのです」
「それが露見すれば貴方はきっと…」
必然、戦争の道具になる。争いの引き金を引く存在になってしまうやもしれない。
「私は貴方が大切です、きっと弟の次に愛しています」
「生きて欲しい、どれほど頑強であってもいつか、人は壊れます」
…でも、それじゃあ
「私の目的は果たされないです」
復讐を、彼の天災に復讐を。胸の内に青く燃える炎は未だ潰えぬ。奴をこの火にくべるまで、私は止まりたくはない。
「まだッ…まだそんなことをいうの?」
怒張した声に顔を上げる。目に涙を一杯溜めて、体は震えていた。
「…貴方は赦されたの」
いいや、未だ赦されてなどいない。
「もう剣を取る必要は無いのよ」
ちがう。私が赦される時、それはきっと―――
「死ぬ必要なんかない、私が貴方を赦す、だから」
死なないで、と。もう彼を追わないで。もう貴方しかいない私を、どうか置いて逝かないで。
嗚呼、困った。きっと彼もそう思ったんだろうな。その立場にならないと分からないものだ。
堪え切れなくなったのか、彼女は私に抱き着き、しがみ付く。
「大丈夫、きっとあなたの御傍にいますよ」
あの気丈な彼女が、きっと誰にも見せたことの無い顔で私を見上げる。
本当に、困った人