荊の処女
夜空に月が紅く大きく染み渡る。寝静まった城内に妖しく光を照らし、ひたり、ひたりと廊下を往く小さな人影を映した。
「お待たせしてしまいました、申し訳ございません」
開ける視界。高い天井から延びる無数の茨が蠢く。その先に吊るされているシルエット。頬の肉は痩せこけ、肌は青白く、目玉があったであろう場所からは伽藍の暗闇が覗いていた。
萎んで骨が浮き出た足先から、赤黒い滴が血溜まりに落ちて波紋を作る。
天井からのみならず、壁、床、彼女の体より生え延びる茨。彼らは渇きを癒すようにばら撒かれた鮮血を啜る。
「搾り尽くしてしまいましたか…」
掌を握る。瞬時に少女のか細い首へ巻き付いた茨が、その拳に爪を食い込ませる度に固く、きつく締め付ける。既に息は途絶えているのだから、少女の声帯は嗚咽も懺悔も漏らさなかった。
「御馳走さまでした」
バキリ、折れる音。墜ちた体は血に沈む。天に残った頭は釣鐘のように空中を彷徨った。
「さて…」
踵を返して背後に目を向ける。
「次は、誰にしようかしらん」
視線の先には一列に並んだ十数人の少女達。この一部始終、虐殺の一幕を、目を閉じることも耳を塞ぐこともできず、失禁し、嘔吐を繰り返し、終いには叫ぶことも泣くことをも忘れて「次は自分だ」と絶望に染まりきっていた。
目の前に立った自分より幼い容姿を映すその瞳、浮かべたのはきっと恐怖だろう。
彼女らの眼の色とは裏腹に、城主の紅い瞳は歓喜に溢れる。
家畜を見定めるようにじっくり、細い指で震える躰の線をなぞる。異様な空気と寒気に熱を奪われていても、その肌の下で脈打つ生の鼓動は確か。
列の最後、整った形の顎に手を添えて、耳元で囁いた。
先程まで失くしていた感情が急に還ってきたようで、調子のずれた呼吸で咽ばんとする。
「まだ元気そうね」
鮮やかに覗く赤い舌が唇を這う。
四肢に絡み、食い込んだ茨を解こうと力ない身を捩らせる。体を動かす度に一つ、また一つと増えてゆくであろう数多の痛み。茨の隙間から覗く白肌を、滲んだ血が染め上げた。
「い…や」
泣き潰れた声帯から零れた精一杯の命乞い。
「助け…て…」
気道が塞がり少女の目から光が消える、その瞬間。
断裂音、列の一番右から圧力が迫る。
「その子にッ…触れるなァァァァァ」
拘束していた茨を引きちぎり、弾丸の勢いで懐に飛び込んできた拳を跳躍で避けた。
衣一つ纏わぬその体には熱く魔力が迸り、血走る瞳は獣。殺気も勢いも、常人を凌駕する。
それでも全く掠りもしない。
踏み出された右足を、裏から貫き縫い留める。勢い削がれて倒れる躰を、咄嗟に突き出した手も絡め縛った。
「あ、」
どこか抜けたような声は、瞬間
「いッ、あああいやあああぁぁあぁぁぁああああ!」
巻き取った右腕に、少しずつ力を加えていく。関節の可動域を超え、折れる寸で止める。
牙が抜かれ、糸の切れた人形のようになった体を放った。
つまらない。つまらないつまらない。
壊れたおもちゃなど只のガラクタ。もっと他に、何かないものかと仄暗い広間を見渡す。
「―――見ぃつけた」
自然に口角が吊り上がるのが分かる。相手から私はどう見えるのだろう。鬼か、それとも悪魔か。
「ねぇ」
部屋の片隅で縮こまり、一番に怯えているのが彼女の妹だ。きつく瞑ったままでいるその瞼を、両の手でこじ開けた。
「私と楽しいこと、しよっか」
笑いかける。
頬に流れる涙の粒をなめとって、舌の上で転がす。新鮮な恐怖の味がした。
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三日三晩、その躰を以て凌辱した。体中の穴が膿み、爛れ落ちた皮膚が美しい。茨に拘束され、吊り上げられた手首から先は腐りかけていた。その下で
「ぁ…ぁぁ」
仰向けに固定されたまま、滴る排泄物と体液に塗れ嗚咽する姉の姿があった。
妹が頭上で犯され続け、手も出せず、声も上げられぬままにただただ見ているだけ。
「どうだった?」
語り掛ける。
「良い見世物だったでしょう」
ぎこちなく回る首。焦点の会っていない目玉に写る私。
「……、」
反応は、無い。腕を少し捻っただけだ。致命傷ではなかった。それでも
「脆いものね」
襤褸と化した体を茨で持ち上げる。力の抜けた人間の何と重いことか。
「さようなら」
骸の血などに興味はない。
窓を開いて肉塊を放った。
窓枠から姿が消える。きっと地に落ちた時には容すら残らないのだろう、なにせ―――
ここは雲中浮かぶ天の要塞、地に影落とす空中庭園。この世を遍く統べる、私の天守。
地の民は、今や恐怖と血に穢された。消費される為に生まれた哀れなる家畜の群れ。
彼らは私の容姿すら知らない。私に謁見するのは贄のみなのだから。
愚かな民は不敬にも、呼び名を付けた。
『荊の処女』
ニンゲンは、生きたままに食べ尽くそう。全ての生血と肉は、私のために在るのだから―――