第2章-18 美味しいパウンドケーキをどうぞ
第二章
十八 美味しいパウンドケーキをどうぞ
「あの紅茶が原因で倒れたわけじゃ無かったのか?」
てっきり毒物が混入されていたと目星を付けていた紅茶がシロだと判明して、つい男言葉に戻ってしまう。
改めて資料を見ると、煮出した検体の臭いや色、他の液体と混ぜたときの反応などで判断しているようだ。
元々の世界の科学技術にはやはり遠く及ばないが、今はこれを信じて話を進めて行くしか無いだろう。
それに、毒物作成技術と検査技術はある程度比例するだろうしね。
「そうだ。ただ、俺も気になっていた点はある」
ルーカはあくまでも検査結果の話だけだったらしく、ロッソが話を続ける。
「なんだよ?」
「一応、成人だし飲酒くらい普通にしているだろうと思って今まで訊かなかったが……。ヴィオーラお前、あの日、酒を飲んでから俺と面会していなかったか?」
「はぁ? だから飲酒の習慣は無いって言ってるだろ?」
思わず立ち上がって抗議をしてしまった。
だって、鏡の中のお姫様だって飲んだこと無いって言ってるんだから、間違いないだろう。
「成程」
すると、その言葉を聞いたロッソは、立ち上がったオレの腕を掴み、ぐいっと自分の方へ引っ張り――
「んっ」
――ローテーブルを挟んで口づけられる。
誠に不本意ながら、触れるだけのキスならいい加減、少しは慣れてきたんだけど、それ以上のものに関してはまだ全然慣れない。
「ちょっ……やめろって……んっ」
そして、男相手に慣れるつもりも全くもって無い。
っつーか、本来フレンチキスだってお断りなんだよ!
色々頭では考えが巡るんだけど、口内を確認するようにされると、思考がどんどん鈍ってきてしまう。
膝の力が抜けて、自分の身体を支えられなそうになった瞬間、やっと唇を離された。
「なっ、何すんだよ!?」
ドスンとソファへ落ちるように収まる。
どうにか憎まれ口を叩いたけど、息も絶え絶えで我ながら全く迫力が無い。
当然、ロッソもそんなオレに全然ビビる様子なんてある筈も無い。
あと、あれだけの事をしておいて、息一つ乱れて無いってどういう事なんだよ!?
「やはり、アルコールの味はしないな」
「だから、酒は飲まないって言ってんだろ!」
ああ、やっぱりロッソと居ると、全然言葉遣いが安定しない。
「だが、最初の日にお前が倒れた時、口移しで水を飲ませただろう?」
「えっ?」
口移しという言葉に、背後のエミリィちゃんが小さく声を上げる。
「ぎゃー! そう言うとこを人前で真顔で言うなよ!」
「人前と言ってもな……。この二人の前で、たった今、口付けてるだろうが」
「うぐっ」
それでも恥ずかしいという気持ちは、自信満々のイケメン様には分からないのだろうか?
きっと分からないんだろうな。
はぁぁ。
こっちの世界に来てから、オレの感覚の方がズレているんじゃ無いかって、時々心配になるよ。
「些細な事を気にしても仕方ないだろう」
全然些細じゃ無いけど、こっちが無言なので、ロッソは肯定と捉えたらしい。
そのまま話を続ける。
「話を戻すぞ。その最初に日には僅かなアルコールの薫りを感じた。だからてっきり婚約者に会う緊張を紛らわす為に、一杯煽ってから来たのかとも思ったのだが……」
「昼過ぎに会った時だけ酒の匂いがしたって事か?」
「そうだな。お前が城を抜け出した夜には、全く感じなかった。あの行動の方がよっぽど酔っ払いらしいがな」
「うっ、それを言われると何も言い返せない」
「僕も夜は近くにいたけど、アルコールの匂いはしなかったよ」
そういや、ルーカも人の事を押し倒したりとか色々してくれたな。
何か不本意な記憶が蘇りそうになるが、その事に構っている場合では無い。
とにかく、証言は多い方が助かる。
と言っても、ロッソとの面会中に姫様の身体に入ってしまったオレには、それ以前の記憶は当然無い。
「エミリィ、私はあの日、お酒なんて飲んで無いよね?」
だったら、知っているであろう相手に訊くしかない。
「左様でございます。ただ……」
「ただ?」
割と何でもテキパキサクサクと対応してくれるエミリィちゃんが、珍しく口ごもるので、こちらも少し緊張して聞き返してしまう。
「厳密な話になりますと、お料理でお酒を利用することはあります」
「ああ、確かに」
アルコールは飛ばすことが殆どだとは思うけど、料理で使うのは珍しく無いだろう。
お肉を煮るときに入れたり、ソースに使ったり、ぱっと思いつくだけでも、用途は実に様々だ。
でも、そんなので倒れたりするかな?
「アルコールを利用した食事で、これまでに倒れた事などはあるのか?」
ロッソも同じ疑問を持ったらしい。
「いいえ。特にそのような事はございません」
「では、体質的に受け付けないのでは無いのか。……ルーカ、例の物を」
「はいはーい。エミリィちゃん、お皿借りるよ」
「あっ、はい」
エミリィちゃんの返事とほぼ同時に、二切れのパウンドケーキがテーブルの上に置かれた。
カラフルなドライフルーツが入っていて、とても美味しそうだ。
「ヴィオちゃん、これは城下町で人気のお店からさっき買ってきたんだ」
「わぁ、美味しそう!」
オレは本来甘党では無いけど、味覚は姫様のものも引き継いでいるようで、元々の身体の頃より甘いものを美味しく感じる。
勿論、個人的な好みの違いなのかも知れないけど、女の子が甘いものを好きな気持ちが、ちょっとだけ分かるようになった気がするなぁ。
「ヴィオちゃんが元々アルコールを一切受け付けない体質だったらいけないから、最初から出さずにいてゴメンね。これ、可愛らしいパウンドケーキだけど、中にお酒を使っているんだ。だから、合わないなって思ったら直ぐに食べるのを止めてね」
「ああ、そういう事か」
成程。
お酒に極端に弱いのか実験する訳か。
「本当はワインでもと思ったんだが、ルーカが菓子の方が喜びそうだと言ってな」
流石、ルーカ。
女子の好みが分かってるね!
って、オレは女子では無いけどさ。
でも、今までの様子とか些細な会話とかで、お酒そのものよりお酒入り菓子の方が良いって言うのは合っている。
「じゃあ、お酒に凄く弱かったらヤバいから、取り敢えずちょっとだけ頂きます」
「ああ、どっちの皿のを食べるかは、一応お前が選べ」
「え? ああ、アンタ達相手にそういうのは疑ってないよ」
「体質を調べる実験をするんだから、こちらにもせめてそれ位はさせろ」
つまり、毒が入っていないという証拠にオレに好きな方を取らせて、同時に食べるという事らしい。
まぁ、最悪また倒れちゃうかも知れないし、そう言う意味でもオレが皿を選んだ方が無難だろう。
とは言っても、ロッソがオレに毒を盛ったって仕方ないし、そもそもそういう事はしなさそうだから、普通に手前の取りやすい皿を取ることにする。
「じゃあ、頂きます」
元々お茶請けの用意も手で食べられるチーズクラッカーだけだったので、食器がティースプーンくらいしか無い。
「ヴィオ様、フォークとナイフをお持ちいたしますよ」
「いいよ。スプーンで食べられるから。ってか、別に小さいから手で食べたって良いしね」
気を遣うエミリィに答えると、ルーカも頷いた。
「街だとお土産で包んで持っていく人も居るけど、近くの公園とかでそのまま手で食べちゃう人も多かったよ」
「へぇ、外で食べるのも楽しそうだな」
だけど、仕事の休憩中とかに食べたら、酔っ払っちゃうんじゃ無いかな?
なんて考えながら、スプーンでパウンドケーキを小さく切って掬う。
フワフワでは無く、中身は結構ぎっしりしているタイプのケーキだ。
小さいから、おやつとして食べるなら二切れくらい無いと足りないんじゃ無いかなぁなんて思ったけど、この密度だと一切れでも結構腹持ちしそうだ。
軽く一口。
食べるだけなのに、スプーンが止まってしまう。
そう、怖いのだ。
元々のオレは、お菓子に入ったお酒くらいは全然平気だった。
姫様も料理にお酒が使われていても、今までなんともなかったらしい。
でも、今はどうか分からない。
そう考えると、急に怖くなってしまった。
今度はオレの魂までこの身体から抜けてしまったらどうしようとか、色々考えてしまう。
「ヴィオちゃん、嫌だったら無理しなくて良いんだよ?」
「ルーカ……」
優しい言葉に安心しかけると、ロッソが口を挟んだ。
「ヴィオーラ。それでも、お前が真実を知りたいなら安全なところにばかりはいられないぞ。ただ、万が一体質に合わないときは、また吐き出させて、水も飲ませてやる」
「ロッソ……」
もっと科学が発達していそうな世界なら、血液検査とかした方が安全なんだろうけど、この世界ではそうも行かない。
ロッソの言うとおり、リスクも取らなきゃ始まらないのだ。
「水は普通に飲ませろよ」
「そう言われると、意地でも口移しで飲ませたくなるな」
意地悪く微笑まれる。
またこいつの世話になって水を飲まされるのだけは、マジで勘弁願いたい。
っつーか、ぜってー倒れねぇし。
そうだよ、倒れなきゃ良いんだ!
「こっちも意地でもぶっ倒れないからな」
軽口を叩いているうちに少しだけ緊張が解けてきた。
スプーンに乗ったパウンドケーキを思い切って口に運ぶ。
――頼む、意識は保ってくれ!




