位号
建隆帝5年、劉家、唐家の強い後押しで呂甯は王妃に冊妃された。息子の豫は世子となり、劉醇は慶事に便乗する形で石邑公主を娶った。
王妃となった、呂甯は呂妃と呼ばれた。唐美人は孺人に昇格して王府の家政を補佐している。落ち目の樊孺人のもとには宋八子が常に付き添い、機嫌をとっていた。
「呂妃娘娘、先程から何をお考えで?」
呂妃の方を揉んでいた侍女の周儿が尋ねた。
「お前の嫁ぎ先よ」
「娘娘!わたくしめはまだ嫁ぎたくありません!」
「冗談よ。王府の妾の位号を改めようと思っているの」
「孺人、美人、八子、七子、長使、少使を変えるのですか?」
「そうよ。夫人という位号を加えたいの」
「唐孺人にお与えになるのですか?」
「そうよ。お前は賢いわ」
当時、王府の妾の位号は簡素であった。もっとも、後宮の位号とかぶらなければ増やしても減らしても構わなかった。後宮の位号は皇后を頂点に貴妃、妃、貴嬪、嬪、貴人、宮女子、宮御に別れている。これは、先帝が定めたものだった。
「この際だから陛下に王妾の位号を正式に定めてもらいたいわ。しっかりとした決まりがあれば、下のものは上のものを敬うものよ」
「娘娘、陛下にお会いに?」
「太后にお会いするわ。女のことは女に言うのがすんなり進むことがある。内命婦のことになれば余計ね」
太后は建隆帝の生母で、通称は聖母太后と言った。皇后である董后が病弱であったから、後宮を実質まとめていたのである。
呂妃は礼服に着替えて皇宮に向かった。王妃の身分になると皇宮へ自由に出入りできた。王妾は王と同伴か許可がなければできなかった。
太后は後宮より後方の慈慶宮に住んでいた。慈慶宮の隣には慈寧宮があり、先帝の妃嬪が住んでいる。
慈慶宮に入ると掌事宮女が丁重に正殿まで案内してくれた。正殿の椅子には太后が座っている。威厳よりも柔らかな雰囲気が強く、権力者というより「母」としての印象が強かった。
「太后娘娘、ごきげ麗しく」
「お立ちなさい」
「感謝します」
呂妃が立ち上がると侍女が椅子をすすめた。呂妃は一礼をするとそれに座った。
「あの子が王妃を娶ったと聞いて安心したのよ」
太后は優しく言った。