前篇
初の投稿となります。
はやりの悪役令嬢を書いてみたかったので挑戦してみました。
ああ、そうか、と思った。
満開の薔薇が美しく咲き誇る学園の中庭で、ぴったりと寄り添う恋人たちの姿。それはまるで一枚の絵のように美しい光景だった。
そう。仲睦まじく寄り添ううちの一人が、わたくしの婚約者でなければ。
彼は少女の腰を優しく抱き、熱のこもったまなざしで見つめている。少女もまた、彼に体を預け、愛らしく頬を染めて彼に微笑みかけている。
ああ、そうか。
あなたは彼女に恋をしていらっしゃるのか……
わたくしには見せたことのない彼の熱が、わたくしの心をどんどん冷やしていく。
なぜ、どうして。
心の中で叫ぶ声に蓋をして、唇をかむ。
ここで取り乱すなど、わたくしの貴族としての矜持が許さない。
その矜持こそが彼の心を遠ざけたのだとしても、わたくしはわたくし以外になれない。
わたくしはアウロラ・イリア・フィルバイユなのだから。
わたくしはいつの間にか止めていた息を、ゆっくりと吐き出した。
「アルフレッド殿下、このように人目のある場所で女性と二人きりになるのは、いささか配慮に欠けていらっしゃいませんか?」
わたくしの声に、抱き合っていた二人が振り向く。
一人はわたくしの婚約者であるアルフレッド・イネス・ロウジア第三王子。今は亡き、陛下のご寵愛を一身に受けた寵姫様と瓜二つだと言われるほどの美貌の持ち主でありながら、剣の才能にも恵まれた金髪碧眼の王子である。
そしてもう一人はアリシア・アムネジア嬢。王族や貴族しか受け入れなかった学園に今年から特待生として入った、ピンクブロンドに緑の瞳を持つ平民の少女。
彼女は今年学園に入るや否や、次々に有力貴族の子息を取り巻きにしていった。
騎士団団長の継嗣であるオズワルド・ナレック様。
宰相の長男であるギルベルト・ディサイン様。
伯爵家次男であるヘンリー・モートン様。
そしてわたくしの婚約者である、アルフレッド殿下。
全員、婚約者のいる身でありながら、常にアリシア嬢の周りを取り巻き、最近では学園でもその姿に眉をしかめる者が多くなってきたと聞いている。
それはそうだろう。学園の中でも、いや、国内でも有数の貴公子ばかりを周りに従えている娘は、学園に通う女性徒だけではなく、男子生徒からも白い目で見られていた。
平民として初の特待生になるほど頭が良くても、高位貴族の後継や王族にだけ媚びを売る娘。そしてその娘の手管に骨抜きになっている彼ら。
これだから平民は……、と、多くの者が思ったであろう。
そして同時に娘に手玉に取られる彼らへの失望がささやかれる。
本来は貴族として手本にならねばならぬ者たちの醜態。それは確実に高位貴族への尊敬の念を失わせていた。
それだけでも顰蹙だが、彼らには婚約者がいる。家の決めた婚約であろうとも、貴族の婚約は本人たちの意向で決められるものではない。
それなのに婚約者をないがしろにして平民の少女ばかりを追いかける彼らに、親族たちも問題視し始めていた。
一時の気の迷いであればいい。
だが、真剣であったならば……?
しかもその娘は一人ではなく複数の男性に囲まれている。
もし結婚を許したとして、その娘の生んだ子供が本当に当家の血を受け継いでいるのだろうか……
彼らは知らない。
親族たちが彼らを後継から外そうとしていることを。
そして殿下もまた……
「アウロラ。何が言いたい」
アルフレッド殿下の冷たい青い瞳がわたくしを見据える。そこには長年婚約者であったわたくしへの情は、一切ない。
「一時のお戯れならば構いませんが、それにしてもこのように人目のつく場所ではあらぬ噂を呼んでしまいます。どうぞご自重をお願いいたします」
学園に入学したアリシア嬢は初の平民という事で、良くも悪くも注目を浴びた。その可愛らしい容姿もまた注目される一因だったと思う。ピンクブロンドの髪をふわふわとなびかせて快活に笑い、大きくうるんだ瞳で見上げられれば、保護欲をそそられるのだそうだ。
そして貴族の子女にはない屈託ない性格が、本音を隠すのをよしとする貴族の世界で生きてきた彼らには新鮮に映ったのであろう。
殿下もまた、中庭で出会った彼女に急速に魅かれていった。
それと比例して、婚約者として穏やかな関係を築いていたわたくしを疎まれるようになってしまったのだ。
それどころか、婚約者として殿下への馴れ馴れしい振る舞いをアリシア嬢に注意すれば、いじめだと取られ、学園主催の夜会でいきなりぶつかってきた彼女が持っていた飲み物をドレスにこぼせば、わざとやったのだと責められた。
わたくしはそっと心の中でため息をつき、淑女にふさわしい礼を取る。だがかけられた声は、はやり冷たいままだった。
けれど殿下のためにも、ここで引くことはできない。
お願いでございます。目をお覚ましください。
でなければあなたは……
「一時と申すか」
「はい」
「では一時の想いではないとすれば、いかがする」
アイスブルーの目がひたりと、わたくしを捉える。
その色のままに冷たいまなざし。
少し前までは、そこに熱はなくとも柔らかい色があったのに。
ああ、殿下。
それ以上は……
それ以上は決して口に出してはなりませぬ。
わたくしは顔を上げて震える声で問いかける。
「一時ではないとすれば、いかがするおつもりですか?」
「私はアリシアを、わが妃にするつもりだ」
ああ……!!!
わたくしは絶望に目の前が暗くなるのを感じた。
政略的なものではあったけれども、わたくしは確かに殿下をお慕いしていた。
幼き日より、殿下にふさわしくあるように努力してきたつもりだ。
それがこのたった一瞬で失われるとは……
「その娘は平民でございます。王家に迎え入れる事などできません」
「貴族の養女にでもすればよかろう。よくある事だ、我が母もそうであった」
「いいえ、いいえ。王妃陛下がお許しになりません」
そう。王妃陛下は絶対にお許しにならない。それがなぜ分からないのですか!
「陛下にお頼みすればよいであろう。なぜそこに王妃陛下が出てくるのだ」
アルフレッド殿下はこんな事も分からないのかというように、侮蔑を込めてわたくしを見下ろした。
わたくしは更なる絶望を感じた。
この方は何も分かっていらっしゃらない……
王妃陛下は、城に仕える下級侍女の平民でありながら、陛下の寵愛を奪ったアルフレッド殿下の母君である寵姫さまを、今もなお心の底から憎んでいらっしゃる。
亡くなってからその名を呼ぶ者を、不敬罪として罪に問うほどに。
実際、寵姫様の突然の死には、王妃陛下が関わっているのではないかと、密かに噂されているのだ。
だが確たる証拠もなく、国母であり、大国から嫁いできた王妃陛下にそのような疑いをかけられるはずもない。宮廷では誰もがその話題を避けた。
国王陛下ですらも。
だが陛下は寵姫様の残された王子だけは何としても守ろうとして、王家の血を継ぎ、王国一の権力を持つフィルバイユ公家の後見を目当てに、わたくしとの婚約を決めたのである。
けれどこうなってしまっては……
「では殿下はわたくしとの婚約を破棄して、アリシア嬢と結婚なさるおつもりですか?」
わたくしが問うと、殿下は腕の中のアリシア嬢に一瞬笑みを見せて、
「その通りだ」
と、はっきりと宣言なさった。
「さようでございますか……。では殿下からそのようなお申し出があった事を父に伝えてまいります」
その瞬間のアリシア嬢の勝ち誇ったかのような微笑みに、胸が痛む。
このような娘のせいで、わたくしの10年間が、あっさりと失われてしまった。
第三王子として外交の道を歩まれるであろう殿下の為に、近隣諸国の作法や歴史、語学を必死に学んだ日々が、落とした飴細工のようにハラハラと砕け散る。
粉々になったそれは、もう二度と元には戻らない。
けれどその痛みもこらえなければいけない。
わたくしには貴族としてやらなければならないことがあるのだから。
「では御前を失礼いたします。ごきげんよう」
そう言って踵を返すと、目立たないように従っていた護衛と共に家へ向かった。
「デセル。お父様に急使をお願いいたします。わたくしはしばらく学園を休学して事に備えましょう」
「分かりました、お嬢様。侍女も全て引上げさせましょう」
「頼みますわね」
そうしてわたくしは学園を後にした。
次で完結します。