LoverstraP
平日の午前中。
客もまばらな書店で、汗を垂らして在庫の本の前でしゃがんでいる店員がいる。
そう、私だ。
(あー、おなか痛い痛い痛いっ! 腰がダルいダルいダルいっ! 身体しんどいしんどいしんどいっ!)
ぽたぽたぽたっ。
インディゴのエプロンに汗が落ちる。
お店のマスコットキャラのフクロウの目のとこが染みになって、まるで泣いてるみたいになった。
(ブック郎…。おまえは私の為に泣いてくれるのか。いいヤツだなぁ…)
これは、清い労働の汗じゃない。全身を襲う生理痛からもたらされたアブラ汗だ。
本当なら今日のバイトは休みだった。
意外と(?)マメな私は自分の生理周期はスマホで管理して、それに合わせてバイトのシフトも調整してるのだ。
そうでもしないと、私のような"重め"な人間はやってられない。
そして、何よりも他の人に迷惑をかけたくないという私の矜持が許さない。
迷惑はかけたくないのだ…だが、しかし…。
「やっぱり、休めば良かったかなぁ…。店長が急に風邪ひいたなんて言わなきゃなー…。何が『体調不良でお休みします』だ。男のくせに! こっちだって体調不良だっ!」
「…佐々木さん、大丈夫? 体調不良なら早退する…?」
店長への悪態が、思わず、口をついて出ていたようだ。
優しい落ち着いた声音が私を後ろから包んだ。
「え、あ…櫛田さん。だい、大丈夫です…。いつものことだから…。それより、すみません。品出し、遅れちゃってて…」
私は、よっこいしょと立ち上がって(気合が必要なのだ)、もう一人の店員である櫛田さんに応えた。
「そう…?」
私の"大丈夫です"という言葉を聞いても、櫛田さんはまだ訝しげな表情を浮かべていた。
「シフト、今日は私と櫛田さんしか入って無いし…。いや、ホント、いつものことなんで…」
櫛田さんを安心させる為に重ねた私の言葉に、彼女は何かを思いついたように短く「あ。」と小さく声を漏らす。
「ごめん、ちょっとだけレジの方も見ててもらえる? 多分、レジに来るお客様はいないと思うけど…」
櫛田さんは、長い黒髪を軽くなびかせて小走りにバックヤードに向かい、すぐに出てきた。
急なことに呆然と立ち尽くしてる私のところに櫛田さんが戻ってきたのは、時間にして二分も経ってないと思う。
「お待たせして、ごめんね。これ…」
櫛田さんは私の手を握ると、そっとその手の中にバックヤードから持ってきたであろうモノを忍ばせた。
ちっちゃい使い捨てのカイロと錠剤だった。
「それ、薄いから目立ちにくいの。あと、痛み止めの方は水が要らないタイプのだから…」
驚いて目を白黒させてる私に、櫛田さんは微笑みながら説明してくれた。
「あ、ありがとうございます…」
(何も言わないけど、察してくれて、しかも、こんなに細かく気も使ってくれるなんて…櫛田さん、イイ人だぁ…)
───私は、あっけなく恋に落ちた。
櫛田さんは、私より五歳年上の二十四歳。
スレンダーなスラっとした長身。ウェストなんか超細い。内臓、詰まってんの? 本当に? て思うくらい。
でも、入荷した本が入ってるダンボールを苦もなく運んだりして、意外と力持ち。
今までシフトが一緒になることがあんまりなかったけど、私がこのバイトを始めた時には、もう店員さんしてた。そんな古株だけあって店長の信頼も厚い。
あと、本屋さんで働いてるだけあって、本は好きみたい。よく新刊チェックしてる。
だいたい、本屋さんなんて時給安い割りに重労働(本は重い!)な仕事を敢えてやってる書店員なんて、すべからく本が好きなのだ。
私の場合はマンガだけど。
…これが、"櫛田さんってばイイ人!"事変以降、シフトを調整して櫛田さんを観察し続けた成果だ。
そして、今、ファミレスのテーブルを挟んで櫛田さんと二人きりでいる。
「悪いなぁ、たいしたことしてないのに。本当にごちそうになっていいの?」
櫛田さんが、本当に申し訳無さそうにしているので、私は多少声を張って答えた。
「悪いとか、そんなっ、全然っ! あの時のカイロと薬、チョー嬉しかったし…。それに、あの日、本当は櫛田さんもしんどかったんですよね?」
生理が酷かったあの日。カイロと痛み止めがスッと出てきたのは、櫛田さんも同じだったからだ。
そんなことをちっとも感じさせないで、あの日、櫛田さんは私の仕事のフォローをずっとしてくれてたのだ。
「ああ…。でも、私、軽い方だから…」
ちょっとはにかみながら言う櫛田さんは年上だけど、可愛い。
「嬉しかったんですよ、本当に。すごく楽になったし…なので、ちゃんとお礼したかったんです。だから、遠慮なくどうぞ♪」
「それじゃあ、遠慮なくごちそうになるわね」
櫛田さんはパンケーキ、私はチョコレートパフェをつつきながら、他愛の無い女子トークに興じる。
(幸せだなぁ…。これって、デート? デートって呼んでいいよねっ)
ブーブーブー。
私の幸せな時間をぶち壊すスマホのバイブ。
無視してたのだけど、櫛田さんが視線と表情で、そっとスマホに出ることを促してきたので、私はバッグのポケットに入ってるスマホを手に取った。
同じサークルの綾からのLINEだった。今度のデザインフェス用のグッズは間に合いそうか、だって。
『今、調整中。多分、間に合う』っと。
あと、めっちゃ怒ってるウサギのスタンプもつけておいた。邪魔すんな、と。
「あ、すみません。ちょっと野暮用で…」
視線を感じて、私はスマホをすぐにしまおうとしたが、櫛田さんが珍しくを声を荒げてそれを制した。
「ちょっと待って! スマホ…、スマホのストラップを見せてもらっていい!?」
「ええ、どうぞ? 自分で作ったヤツなんで恥ずかしいんですけど…」
櫛田さんは私のスマホのストラップをしげしげと見つめている。
デザフェス用に自分でデザインから起こした試作品の黒猫のラバーストラップだ。
ちょっとポーズとかに難があるけど、概ねこれで本番用が作れそうなので、デザフェスには間に合う計算である。綾よ、心配するな。
「これ、佐々木さんが作ったんだ? すごいなぁ。すごく可愛い♪ 私、猫が好きで…私もこんなの欲しいなぁ」
櫛田さんが私にスマホを返しながら、うっとりした口調で言う。
「あ、あの、もし良かったら、櫛田さんの分も作りましょうか!? 私、ちょうどこれと同じようなのをまた作ろうって思ってたんで!」
「本当に? 悪いなぁ…でも、お願いしてもいい? 出来れば、二個欲しいんだけど、ダメかなぁ?」
二個!? 使う用と保存用かな? んじゃ、同じの三個だけ作って、こっそり櫛田さんとペアにしちゃお♪
「全然、問題ないです! すぐ作りますから!」
二つ返事で私は引き受けた。
すまぬ、綾…。櫛田さん(と私)の為なんだ…。
『ごめん。グッズ、間に合いそうにない』
私は、櫛田さんにバレないようにLINEを送った。