脇役たちにも過去はある
今回いつもより長いです。
愛と出会った次の日にストーリーが戻ります。
ピピピピピ♪
「う゛ぅぅーーー」
昨晩のモヤモヤを多少引きずっていたあたしは、目覚めの悪い朝を迎えていた。目覚まし時計には何の罪もないのに、破壊したくなるほどの衝動に駆られる。
(最悪……。もう考えないようにしよ)
今にも閉じてしまいそうな瞼を無理やりに開かせ、だるい体をなんとか起こした。
まだまだ新しい制服に身を包む。
奈々は、派手すぎず暗すぎない、この程よいえんじ色のセーラー服を気に入っていた。この辺りの高校の制服では一番カワイイと評判だ。胸元には紺色のリボンが結ばれていて、胸から背中へと流れる大きな襟は、白い2本のストライプ線が入っている。綺麗に織り込まれているプリーツスカートは、膝上10センチ程の長さだ。
この制服に身を包んだだけで、不思議とモヤモヤした気持ちも少しすっきりしてきたような気がするのだから現金なものだ。
「おはよ、お母さん」
「あら。おはよ奈々。まったく華の高校生活2日目だってのに。シャキッとしなさい、シャキッと!」
「だって1か月前まで中学生だったんだよ。そんなに急に切り替えられたら苦労しないってば!!」
自室から1階のリビングへと降りると、早速母から喝を入れられた。
うるさいなぁーと思いながら椅子に座り、軽く朝食を済ませた後、あたしはキッチンへと立った。
「今日からお弁当作るんだったわね。太一君と一緒のお弁当だなんて夫婦みたいね♪」
お母さんがニコニコ、もといニヤニヤしながらあたしを見ている。
「もう!夫婦どころかあたしたち幼馴染み以上の関係とかありえないから!」
「へぇー、そーお?」
と、これもまた何か言いたそうな顔をしている。
(ありえない!絶対ありえないから!まぁ、愛ちゃんとだったらありえるのかもだけど、さ……)
あたしは、昨日の太一の愛しいモノを見るような表情を思い出した。
(あ、またあのモヤモヤした感じ……)
太一の家はうちから徒歩3分ほどの所にある。この辺りの土地は住宅街ではあるが、大昔から住んでいる人が多く、新しいコミュニティを築き難いところがある。
結婚後にこちらに引っ越してきたものの、若くて知り合いの少なかったあたしと太一のお母さんは自然と仲良くなっていった。
そのため、太一の家のすぐ隣にある公園で幼い頃はよく遊んだ。
ブランコに鉄棒に砂遊び。中でも特にお気に入りだったのが、ゾウの形をした滑り台だ。ゾウの胴体の部分が空洞になっていて向こう側へ通り抜けられるようになっていて、鼻の部分が滑り台になっている。
昔からのコミュニティが強いこの地域では、新参者だったあたしと太一の家は、子供同士でも自然と「あたしと太一」対「その他大勢」という組織図が出来上がってしまい、「その他大勢」の中でも特に体の大きな年上の男の子達に太一はよくいじめられていた。その頃の太一はあたしより小柄で背が低く、男同士ということもあり標的にされることが多かったのだ。
「やめてーー!!たいちくんをいじめるなーー!!!」
「ななちゃん……!」
奈々は太一がいじめられているのを見つけると、太一の前で両手をいっぴいに広げて後ろに庇い、いじめっこたちを睨む。
中央に鎮座し、顔はカッコよく同級生の女の子にモテるが、弱い者いじめが好きなリーダー格の少年が隆。金魚の糞のように隆を取り巻くのが、背が高くそばかすの顔が目立つ勇次と、実年齢の平均体重の倍はあるだろう体格をしているのが伸也だ。
「またうるさいのが来たぜ!」
隆はこちらを睨む少女を、見下すように睨み返した。
「男のくせに女に守られるとかだっせーのっ!!」
「仕方ねーよ。こいついつも奈々が助けてくれると思ってんだ。ね?弱虫太一くん!」
勇次、伸也もそれに続く。3人はバカにしたように大声で笑った。
「っ……!ちがっ……!」
太一はそれ以上言葉が続かなかった。
「ちいさいこをいじめるあんたたちのほうがよっぽどよわむしだ!!」
奈々は毅然とした態度でいじめっ子たちに立ち向かった。
「んだと、てめー!!」
勇次が奈々へと拳を向ける。
「ななちゃん!!!」
太一は悲痛な悲鳴をあげた。
「やめろ勇次」
隆の言葉に反応し、ピタッと拳が止まった。あと数センチ遅ければ、奈々は大きな痣をつくっていたことだろう。
「こいつんちはバレたら面倒だ……。今日はもういこーぜ。うちでこの間のゲームの続きだ」
太一を殴って満足したらしい。興が削がれた隆が背を向ける。
「チっ、つまんねー。しゃーねーな」
「じゃーね。弱虫太一くーん!!」
勇次と伸也は子分のように隆の後を追った。
奈々の母親、佳奈子は気が強いのだ。自分の娘が近所の男子に怪我をさせられたと知ったら、相手の家まで行って直訴するだろう。
子供を持つ親ならば普通の反応だと思うが、太一の母親、雪乃は逆で、特に気が弱い性格なのだ。父親は単身赴任中のためほとんど家に帰ってくることがなかった。そのため、土地の人通しの繋がりが強いこの地域では、より一層気の弱さに拍車がかかってしまった。隆たちは雪乃がそういう人なのだということを知っていた。
この地域外からやってくる人が少ないこの辺りでは、新参者がやってくるとすぐ噂になる。ほとんどは暇な主婦たちの井戸端会議から始まり、彼女らがまた別の主婦たちへ「あーだ、こーだ」と真偽が定かなのかどうかも分からない話へと発展してくのだ。
隆の母親は特に噂話が好きだった。そういった噂話を電話口で大声で喋るので、聞きたいわけでもないのに嫌でも耳に入ってくる。いいのか悪いのか、隆はこの地域の情報通になってしまった。
そのため、佳奈子は気が強いことや雪乃は気が弱く、何も言い返せない人だということを知っていたのだ。
雪乃もまさか太一がいじめられる原因が、自分にもあるなどと思ってもいなかっただろう。
「……っ、ひっく……」
「もうだいじょうぶだよ、たいちくん」
「うん、ありがとななちゃん」
「ほっぺたひやしておこうね」
「うん……」
ゾウの滑り台の穴の中。目に涙をいっぱい浮かべる太一へ、奈々は公園の水道の水で冷やしたハンカチを頬にあてた。せっかく一度泣き止んだというのに、また今にも涙が零れ落ちてしまいそうだ。太一は、頬にあたる奈々の手が震えている事に気付いた。
「ごめんね。ななちゃんもこわかったよね。ぼく、ななちゃんにいつもたすけてもらってばっかり……」
「いいんだよ。ともだちはたすけるものだって、おかあさんにおそわったもん!」
「ぼくもななちゃんをたすけられるようになりたいよ……」
太一は眉間に皺を寄せ歯を食いしばって、必死に泣かないように努めた。自分の力のなさや不甲斐なさに、子供心に悔しさを覚えていた。
「ぼく、つよくなりたいよ……」
「だいじょうぶだよ、たいちくん。ふたりいっしょならこわくないでしょ?あたしがずっとそばにいるからね」
奈々は、太一の頭をできる限り優しくなでた。
「ほんと、に……?」
「ほんとだよ!」
奈々はニコッと笑った。
「うん。ずっといっしょにいてね」
太一もつられるように笑った。
「やくそく、ね」
「うん!やくそく!!」
そう言って2人は指切りした。
キッチンで弁当を作り始めたあたしは、不意に昔のことを思い出していた。
(あんなこともあったなー。昔の太一は小っちゃくて「ぼく」とか言っちゃって。あの頃はまだ「ななちゃん」「たいちくん」呼びだったんだよね。ほんとに可愛かったのに。今じゃあんな大きくなって……)
あたしは、なぜか子供の成長をしみじみと喜ぶ母親のような気持ちになっていた。
(にしても……。「ずっと傍にいるから」とか「ずっと一緒にいてね」とか、なんかプロポーズの言葉みたい……。うぅ、なんだか今更恥ずかしくなってきたかも)
あたしはかぁっと顔が熱くなるのがわかった。
幼い子供だからこそ言える言葉があるのだ。あの頃の奈々は、ただ純粋に太一を守ってあげたいと思っていた。
太一の母親、雪乃さんは太一が傷だらけになって帰って行っても、「大丈夫?」と声を掛け辛そうな顔はするが、太一を傷つける人たちにやめさせようとすることはなかった。自宅の隣にある公園での出来事なのだ。カーテンからそっと、いじめられている太一をこれ以上酷いことはされないだろうかと、不安そうに覗いている雪乃さんを見てしまったこともある。
あたしは気付いていた。
太一が雪乃さんに「SOS」を出していたのを……。口では言っていないが、その辛そうな瞳が物語っていた。「母さん、助けて……」と。
だから余計にあたしは太一を守りたい、助けてあげたいと思うようになった。
このお弁当作りもその延長線だ。
うまい、うまいと言ってあたしの料理を口にしてくれる太一。
だったら少しでも太一のためにおいしいお弁当を作らなきゃと、張り切る気持ちにもなるものだ。
「よっし。できた!!」
あたしはお弁当を2つ分包むと、簡単に身だしなみを整えて家を出た。
「いってきまーす!」
「いってらっしゃい。太一君によろしくね♪」
またお母さんがニコニコ、もといニタニタしていたのは気付かないふりをした。
「おっはよ、奈々!!」
カクっ!!
家を出て玄関のドアを閉めた瞬間、あたしは何故か玄関ポーチの天井を見上げていた。
頭のてっぺんの方から背中のあたりにまで伸びるポニーテールにしている焦げ茶色の髪を太一が引っ張ったため、あたしの顔は急にお空を見上げる格好となった。
「太一ぃ~~~!!!」
ぐるんと勢いよく振り返ると、すぐ近くに太一の顔があった。一瞬だけあたしの瞳と太一の瞳がぶつかった。
ドキン!!
あたしの心臓は一度大きく跳ねた。
『太一君と一緒のお弁当だなんて夫婦みたいね♪』
(もう。お母さんがあんなこと言うからだよぉ……。変に意識しちゃうじゃん。あたしと太一はそういうんじゃなくて、守ってあげたい「家族」だよ)
「……な?奈々?」
おーい、と太一の声が聞こえた。
ハッ!!
「あ、ごめんごめん。ちょっと考え事。……てゆーか、さっきの何!? あたしの綺麗な髪を引っ張るなんて。抜けたらどーすんの!1本1本大事なの!女にとって髪は命よ!!」
先ほどの動揺を太一に知られないように、必死に自分を取り繕うように、びしっと人差し指を太一に向ける。
「抜けるって……。禿げかかってるオヤジのセリフかよ!」
ぶはっと太一が噴き出した。
「む~~~。そういう人にはこれあーげない」
あたしは、バッグの中にある先ほど用意したばかりのお弁当を、人差し指の代わりに太一に見せつけた。
「!!」
大きな瞳を更に大きくする太一。
「あーごめんってば。奈々このとーり!」
太一はあたしを拝むように両手を合わせている。
「奈々の手料理一番うまいもん。食べられなくなっちゃったら俺死んじゃう」
そう言って太一は、大好きなおもちゃを取り上げられてしまった子犬のように、悲しそうな顔をする。
(あーこの言い方ずるい。許すしかなくなるじゃん)
「仕方ないなぁ。はい」
あたしは太一の分のお弁当を渡した。
「さんきゅ!」
そう言って今日一番の笑顔を見せた。
(やっぱこの笑顔好きだな。太一にとってあたしの一番は料理だとしたら、あたしにとっての太一の一番はこの笑顔だな)
あたしは夏の暑い日差しの中、大きな黄色い花びらを懸命に開かせる向日葵のような太一の笑顔が好きだ。
(あ、なんだか太一の笑顔見てたらまたドキドキしてきちゃった……。あたしの心臓どうしちゃったのぉ)
ドキドキと、いつもの何倍も鼓動が早い。
「た、太一!早くいかないと遅れちゃうよ!」
あたしは、自分で自分を誤魔化すかのように咄嗟に話題を変えた。学校に遅れそうなのは事実でもあった。
「あっ、やべっ!奈々行こ!」
そうして自転車で2人並んで学校へ向かった。