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花瞼に心臓  作者:
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05 花溢れる頃

 人の口に戸をたてることが出来ないのは分かっている。それが暇を持て余した貴婦人の口となってしまえば、戸をたてようと動き出した時にはもう既に何もかもが遅かったなんていうのはザラだ。噂話に夢中になる貴婦人の口は、それはもう羽毛のように軽い。

 ただ今回、いつものケースと若干異なるのは、普段ならどこから仕入れてけるのか分からない貴婦人の噂の情報源は確実にうちの使用人だということくらいか。まずは貴婦人の前に奴らの口に戸をたててやるべきだったのだ。

「聞きまして? クロスフォード公爵家のご子息様のこと」

「ええ、ラルフ様でしょう?」

「その話で持ち切りだわ。ミストラル皇国からの刺客をお一人で倒されたそうね」

「卑怯にも使用人を人質に取られて、大の大人四人を相手に果敢にも立ち向かわれたって」

「使用人を守りながらの決死の戦いだったそうよ!」

 所々に若干の捏造が盛り込まれているのはデイジーの仕業だろうか。どこをどう見たらあの半ばリンチのような戦いが決死の戦いに見えるのだろう。俺の張った障壁の中で守られていた彼女の脳内はさながら悪の手下から守られるヒロインだったのかもしれない。

 太陽が調度頭の上まで昇り、生誕パーティーが始まってからお父様に付き添って名の知れた爵位を持つ面々に挨拶に回っている間ずっと耳に入る今朝のミストラル皇国刺客クロスフォード襲撃事件は、人から人に話されるうちに尾びれ背びれをつけ自力で泳ぎ始めている。

 最終的にはミストラル皇国軍を相手にクロスフォード公爵家嫡男が一人で立ち向かい重傷を負いながらも人質を全員解放。しかし受けた魔法の後遺症が残る。なんて話にならないか心配でしょうがない。

 そしてこのミストラル皇国刺客クロスフォード家襲撃事件、大変だったのは襲撃を受けた時ではなくその後だった。

 さすがに気絶している敵を我が家の庭にそのまま転がしておく訳にもいかないので簡単な魔法で光の鳥を作り出し、使用人に王立騎士団の人間をいくらか呼ぶように頼んだ。そのはずなのに何故かそこでまず真っ先に庭に飛び出してきたのは執事長だった。あの口うるさい執事長に知られては面倒だと思い、俺に対して口を出せない使用人を選んだというのに全く意味がわからない。俺は年齢を感じさせない速度と美しいフォームで駆け寄る執事長を絶望の眼差しで迎えることしか出来ない。

「ラルフ様! ああミストラル皇国からの刺客を相手に戦われたなどこのミカエルは旦那様と奥様になんと申し上げたらよろしいのでしょうか!」

「落ち着いてくれミカエル。怪我も何もしていないんだ」

「そういう問題ではありません!」

 大体あなた様は!と始まったあたりでこれは完全なる説教モードだと悟ると同時に、何か口を出すと怒りも言葉も倍になって返ってくると学んでいる俺は、ミカエルの言葉にひたすら頷き黙ることを選択した。

 そうして一体どれほどこの説教は続くのだろうかと諦めの境地に入ろうとしたとき、意外にもあっさりとミカエルの説教は幕を閉じることになるのである。

「ラルフ! 刺客を倒したと聞いたぞ!」

「お父様!」

 屋敷の中から足早にやってきたのはお父様だった。毎日騎士団に国王の側近にと忙しくしており、昨夜の帰りも遅かったお父様はこの騒ぎで目を覚ましたらしい。綺麗に切りそろえられた髪には不釣り合いな寝癖をつけたままで上着を羽織りながら現れた。そんな気の抜けた格好をしたお父様でも、さすがというべきなのかなんなのかは分からないが、やはりそこにはしっかりとした気品があるのだから凄いと思う。

 そんなお父様は今の俺からしてみればまさに救世主以外の何物でもなかった。心の底から感謝だ。

「ははっ、見事に気を失っているなあ。四人を相手によくやったよ、さすが俺の子だ」

 そう言ってよしよしと満足そうに俺の頭を撫でるお父様の手を勢い良く払い除けたのはミカエルだった。

「さすがではありません! そうやって旦那様がなんでもかんでもお褒めになるからーー」

「だけどミカエル、五歳で皇国の刺客を倒すなんて凄いじゃないか。私が五歳の頃はもう少し大人しかったね」

「いいえ旦那様が五歳の頃は現国王とお二人で刺客を縛り上げておりました」

「やっぱり小さい頃に多少のお転婆は経験しておかないといけないと私は考えているんだ」

「刺客を相手に戦おうなどというのは多少のお転婆ではありません!」

 執事長の言葉を笑いながらかわすお父様はもう一度俺の頭を撫でる。こうなってしまったお父様に口で勝てる者はいないというのは、リュミエール王国の上層部の人間ならば誰もが知っていることで。当然お父様が幼い頃からその成長を見守っているミカエルも承知の上だ。これでもうミカエルも何も言うことはないだろうと一安心、ほっと息をついたところで、またしても屋敷から庭へ出てくる人物が。

 ゆったりとしたシフォン素材のワンピースに、肩にかけたショールを風に揺らせながら歩いてきたのは酷く心配した表情をしたお母様だった。

「あぁラルフ!」

 俺の頭に乗っていたお父様の手を気にもせずに、お母様は強く俺を抱きしめた。

 その色の白い細腕にはとても似合わない力強さで息苦しささえ感じる。

「心配したのよ! どうしてあなたはいつもそうやってやんちゃばかりするの!」

「奥様、刺客と戦うのはやんちゃで済まされる事柄ではございません」

「ひと時でもいいから私を安心させてちょうだい!」

 金髪に碧眼という俺と同じ色彩を持ったお母様は、全体的にやはり俺と雰囲気が似ていて色素が薄く、触れれば壊れてしまいそうなどこか危うげな脆さを持つ。しかしその実、性格はとても強かであったりする。

 現に俺の肩をがしりと捕み鬼気迫る眼差しで見つめるお母様は体が弱いという現実をあまり思わせないほどに生命力に満ちているこれでいて病気がちというのだから人の生命というのは本当にわからない。

「アリシア、私も昨日国境付近の紛争鎮静に駆り出されたんだ」

「あなたのはお仕事でしょう」

「仕事だから心配じゃないというのは話が繋がらないように私は思うよ」

「分かったわ無事で嬉しい最高」

 しかし俺はお母様の病気の原因はお父様へのストレスにあるのではないかと踏んでいる。いかにも、私のことも心配してくれと下心見え見えの台詞を言ってのけるお父様には最早慣れてしまった為にため息すらも出てこない。お母様には少し同情してしまう。特に最高のあたりには諦めや悟りの境地を垣間見てしまった気がして切なさがこみ上げるほどだ。

「ラルフ、本当に怪我はないの?」

「ありませんお母様」

「皇国の人間を四人いっぺんに相手にして?」

「はい」

「やっぱりあなたは天才ね。さすが私の子だわ」

 確かにお母様には同情してしまうのだが、真剣な表情で天才ねと言ってのけるこの人も多少人と感覚がズレているから、お父様と一生を寄り添うことができるのはお母様しかいないと思う。そしてまた逆も然り。似た者夫婦とはよく言ったものである。視界の端で頭痛をおさえるかのように眉間を中指でおさえている執事長のミカエルが、なんだかんだこの家で一番の苦労人なのかもしれない。合掌。

 心の中でそっとミカエルに手を合わせていると、「あら?」とお母様の視線が他所を向いているのに気がつく。その視線の先を追って、言い逃れを考えていなかったことに冷や汗をかく。

「デイジー! デイジーに何があったのラルフ!」

「刺客に驚いて倒れたようです」

「あら可哀想に……。ミカエル、デイジーをベッドで休ませてあげて」

「承知しました」

 さらりと自分の口から当たり前のように出てきた嘘の言葉に、自分で動揺してしまったがお母様がそれに気がつくことはなかった。この時ほどお母様の単純な性格に感謝をしたことはない。

 ミカエルはデイジーの呼吸を確認すると足早に屋敷の中に戻っていった。きっと何人か力のある男手を連れてそのうち戻ってくることだろう、申し訳ないがそれまでデイジーには暫く土の上で辛抱してもらうことにする。

「いつもより、漂う魔力の濃度が高いように感じるね」

「そうかしら、私には分からないわ。ルドルフの勘違いじゃないのかしらね」

「そうか、私の勘違いか。まるで制御しきれなかった魔力が暴発したあとのように感じたんだがアリシアが言うなら勘違いかもしれないな」

 ちらり、と穏やかな微笑みを浮かべながら俺に視線をやる人物は、だからこそ王立騎士団の団長を務めることが出来る。その目は完全に俺の持っている力を見極めに来ているし、その目測は決して見当はずれな結果にはなっていないはずだ。マイペースなように見えて、物事をきっちりと見極めているしその実力は底知れない。お父様も、あの王立魔法学園を主席で卒業している実力者だ。ただ俺は、その上をいかせてもらうつもりだが。

「……僕が、薔薇を咲かせたからじゃないでしょうか」

 そんな人物を相手に苦し紛れの苦肉の策とは分かっているが庭に広がる白薔薇を指差して示す。

 暗殺の方にばかり頭がいってしまい気がついていなかったのか、それにまず目を輝かせたのはお母様だったが、お父様の言及を逃れるにはお母様が一番効果的だと分かっているのでこれで構わない。現に白薔薇に心を奪われているお母様の心を奪い返そうとお父様は必死だった。

「すごいわラルフ! 私白の薔薇が大好きなの!」

「アリシア! 白一色と言わず君のためなら何色の薔薇でも咲かせるよ!」

 そうして掌からピンクや赤や色とりどりの薔薇を溢れさせるお父様と、それをシャワーのように浴びながら恥ずかしそうに微笑むお母様を横目に眺める。こうやって二人の世界に入ってしまえば他の声なんていうのは一切耳に入らなくなってしまうのだ。

 それなりの精神年齢があるからこそ微笑ましく思いながら、朝食を食べる時間もなくパーティーの時間になりそうだと一人時計を眺めていた。そうだ、パーティーと言えば。

「クオン」

「はいよ」

 暫く姿が見えなくなっていたその名前を呼べば、音もなく目の前にその姿を現す。

 気まぐれな精霊がこんな風に呼びかけて応えるというのは本当に珍しいのだが、こいつは本当に精霊なのだろうかと少し疑問に思う。

「殿下に姿は見せないでくれよ」

「ええーなんでじゃー」

「ぽろっと余命の話なんてされたらたまったもんじゃない」

 時間を戻す前、殿下は精霊を見ることが出来ると言っていた。

 もしかしたら今ここで生きている殿下も精霊を見ることができるかもしれない。その場合この口の軽い精霊が俺に関しての話で口をすべらせてしまったら殿下に余計な心配をかけてしまうことになる。

 俺はあくまで殿下の不安材料を取り除きたいのであって、俺自身が殿下の不安材料になるつもりはない。

「言ったらええやん。わいはあんたのせいで二十までしか生きられへんでー! って。そんでいっぱい心配かけえや」

「余計な事をしたら許さないからな」

「おーこわこわ! 言われた通り大人しゅうしときますうー」

 くすくすと笑い声だけを残し、またしてもクオンは音もなく消えた。


 いつもより遅めの朝食をとり、予定よりも大分時間が押してしまったために使用人たちは忙しなく廊下を走り回っていた。刺客が訪れようと招待状を撤回することは不可能であるしパーティーは予定通り行われるのだ。

 リュミエール王国四大公爵家の一角を担うクロスフォード家が半端なもてなしを客人にできる訳もない。朝の騒動の余韻すら感じさせない、いつもとなんら変わらぬ余裕のある優雅さで客人を迎え入れるクロスフォード家の屋敷で、早速その現場にて耳に入った噂話に花を咲かせる貴婦人方。本日の誕生パーティーの主役であるご子息様は類稀なる才能を持つらしい、と。そんな話は貴婦人から貴婦人へ、あっという間に広がるのだ。

「まだ五歳だというのに、まさにラルフ様のような方のことを天才というのね」

「アドニス殿下とも仲睦まじいと聞くわ。今日も殿下と国王がラルフ様のお祝いにわざわざ足を運ばれるそうよ」

「お二人とも来年度には王立魔法学園の初等部にご入学なさるでしょう? きっと話題になるわね」

「本当に、末恐ろしい方だわ」

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