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花瞼に心臓  作者:
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04 錯乱の矛先

 あの瑞々しく咲き誇る薔薇園をよく知るからこそ、改めて庭園に出てその荒れっぷりを間近に目にすると悲しくなる。いや、悲しくなるを通り越して顔が引き攣る。己の所業に。なんだこれは反抗期か。

「見ないうちにクロスフォード公爵家の庭も寂しくなったもんじゃ。没落も間近かえ?」

「縁起でもないことを言わないでくれ……、しかし理由も深くは聞かないで欲しい」

 垣根の作るアーチすらもなくなった中央の噴水へと続く道を、クッキーを齧るクオンを肩に乗せたまま進む。焦げ茶や黄土などの温かみのある煉瓦で統一され、丁寧に舗装された道もクロスフォード家の薔薇園を築き上げた庭師であるデイジーの力作だ。この煉瓦まで割れていなかったのは不幸中の幸いと取らせてもらおう。

「よし、はじめるか」

 蓋を閉めたクッキー缶を噴水の縁に起き、その上にクッキーを齧るクオンを座らせた。

 いまだに前髪を引かれるような違和感は拭えない。その違和感を払拭するように右手の中指と親指を押し付け合い、勢いをつけてずらす。皮膚と皮膚の擦れるような音がしてクオンと目が合う。

「だっさいのう。なにやっとんじゃ」

「うるさい。魔法の発動を何かのモーションと併せて行いたいと思ったんだけど、指も短いし力の込め方が下手くそだ。昔は綺麗に鳴ったんだけどね」

「指鳴らさんでも魔法発動するじゃろ。元がいい上に妾がついとんじゃ」

「発動はするにはするが正確じゃない。何か自分の中で合図がないとイメージが掴みづらいしそこから発動までのタイミングが微妙にズレる」

 二、三度指を擦り合わせれば最初よりも大分いい音が出るようになってきたがそろそろ限界が見え始めてきた。

 やはりこの指の長さと力じゃ昔と同じようになんていうのは不可能か。これだけの魔力があり精霊までついていて不可能なんてないとすら思えるこの世界で、まさか指の一つも鳴らせないとは。

「杖があるやないの」

「折れたり落としたら終わりだろう」

「腕が折れたら指も鳴らせへんで」

「腕が折れたら杖も振れないけれど」

 その時は最終手段の詠唱か無音詠唱だろうと続ければ、クオンは呆れたように目を細める。

 仕方ないだろう、詠唱文を口にすると簡単な魔法ならなんてことはないが内容が高度になってくると何故だか無駄に魔力が集まり暴発。逆に無音詠唱のモーションなしだと今ひとつタイミングが掴めずにコントロールが出来ないまま力が暴発するか弱まるかで、最終的には詠唱文を口にするのとあまり変わらない。それでも百発打てば九十発は完璧に使いこなせる自信はあるが、完全ではない。殿下に危機が迫っている瞬間に、制御不能など起こしていられないのだ。

「しゃあないなあ」

 クッキーの屑がついた指先を舐めると、クオンは俺をその人差し指で真っ直ぐに指差す。

「そぉれ」

「うわっ!」

 クオンの指先から光が噴き出したかと思うとそれは俺の心臓の綺麗に命中した。すると心臓から全身へ向けて血が巡るように熱が指先へと駆けてゆく。数秒間それが続いたと思うと、まるでその感覚が嘘だったかのように体の奥へと熱は引いていった。

「鳴らしてみぃ」

 ほれほれと促され、半信半疑で中指を親指に押し当て軽く手首にスナップをきかせると、カチリと何かが噛み合ったような感覚があった。きた、とそう思った瞬間中指が小気味よく親指の付け根を打ち、高らかに音が鳴り響いた。

「……完璧だ」

「おめっとー」

 試しに魔力を乗せながら指を鳴らすと、想像通り。クオンの手によって開けられていたクッキー缶の蓋が浮き、パキンと高い音を立てて閉まる。

 力加減もコントロールも以前となんの変わりもなく出来ているどころかクオンの力も相乗効果を生んでいるのか魔力の消耗も少なくなっているし、精密度もぐんと上がっているのを感じる。

 五歳にして、二十歳の俺を圧倒している。なんでもありだな、精霊の力。

「じゃあ、改めてはじめようか」

 茶色い庭を見回して想像力を働かせる。以前はデイジーの趣味でピンク色の薔薇で統一されていたが、折角の機会だし一新させるのもいいだろう。どうせ彼女は綺麗な花が辺り一面を埋め尽くしていれば嬉しそうに笑うはずだ。

 赤、黄、紫、白。

「白薔薇。純潔、尊敬」

 純潔はクロスフォード家に、尊敬は殿下に。そして何より白はお母様の好きな色だ。頭の中で簡潔にイメージを纏め上げれば、あとはセンスが試されるだけの単純な作業だ。魔力で庭全域を包み込み、指を鳴らすと同時に発動。

「……よし」

 確かに感じた手応え。遠くでクオンの息を呑む音が聞こえた。土から茨が伸び、針金だけの悲しいものとなっていたアーチを這う。棘がついた深緑の茨が庭を包み込むと、そこにぽつりぽつりとかたい蕾がつきはじめるのがわかる。無数に数を増やした蕾は段々と柔らかくなり、中から花弁に押し広げられ、割れ目からその白い花弁を覗かせ始めた。

「咲け!」

 俺の声が朝の空に響くのと同時に、一斉に白薔薇がクロスフォード家の庭を包み込んだ。薔薇の甘い香りが広がる。貴婦人が纏っている香水とは全く違う新鮮で嫌味のない香り。もう既に茨の緑は白色に隠れていしまっている。

 ふおおお!とクオンが両手を広げたせいで木苺のジャムのクッキーが白の花弁に紛れて舞い上がるのをとても綺麗だと思った。これは誰が見ても満点の出来だろうと一人納得しているところに、耳に入ってきたのは聞こえるはずのない拍手。思わず勢い良くそちらを振り返る。

 俺に惜しみない拍手をおくる人物は、少し離れたところからずっとこちらの様子をうかがっていたようだ。当の本人は魔法に興奮しているようだが、こちらとしては顔面蒼白ものだ。

「凄い! 凄いですラルフ様!」

「デイジー!? どうして庭にいるんだ!」

「私感動しました! やっぱりラルフ様は天才です! リュミエール王立魔法学園を首席で卒業するのも夢じゃありません!」

「聞いてくれデイジー、庭に出るなとカイルからーー」

 と、言っているそばから、本日何度目かの前髪を引かれるようなあの感覚。しかもそれはデイジーのいる方向から感じられるのだから堪ったものじゃない。一体何のために厨房によってカイルに庭に人を寄せ付けないように頼んだんだか分からないじゃないか。

「デイジー、動くなよ!」

 咄嗟に指を鳴らす。えっ?とデイジーの唇が音を紡ぐのと、地面から半円形の透き通った障壁がデイジーと外界を隔て火属性魔法からその身を守るのは同時のことだった。

 続けて三度指を鳴らし、自分へと向かっている先ほどデイジーを襲ったものと同じ魔法を水属性の魔法で相殺する。ほんのコンマ数秒の出来事に、デイジーは俺の好きな編み上げた障壁の中でへたりこんでいた。

 どうやら俺の動くなという言葉を忠実に守ってくれているらしい。優秀な庭師だ。しかしメンタルケアはこの死線を乗り越えてからにさせてくれ。

「おいどうなってる!」

「魔法が消えた!」

「バカ! 相殺されたんだ!」

「はぁ?! 相手は子どもだ! 相殺なんて出来るか!」

「一、二三……四」

 薔薇園の外側を覆うように存在するクロスフォード家所有の森林から姿を現したのは全部で四人。想像通りだ。今朝から感じていた前髪を引かれるような違和感の正体は、このクロスフォード公爵家の庭園にある魔力だった。

 この屋敷に住む人間以外がクロスフォード家の敷地内に足を踏み入れれば、その瞬間に俺はそれを察知できてしまう。リュミエール王国四大公爵家の嫡男として生まれたとあらば、それなりに暗殺という場面にも見舞われるもので。自分の部屋で刺客の存在に気が付きカイルに伝言を頼んだのだが本当に意味がなかった。

「当家に何か御用でしょうか。生憎当主は手が空いていませんので、及ばずながら私が対応させて頂きます」

 俺の姿を見て明らかに動揺している様子の刺客に、少年らしい朗らかな笑顔を見せながら近寄る。

 見たところの杖の材質やデザインと最近の政治的情勢から考えると全員隣国のミストラル皇国の人間だろうか。ここで俺を殺しそこねたとあれば帰国したところで全員打ち首だろうし、俺が捕縛しても拷問の後に殺されるだろう。なんて不運な奴らだ。

「ら、ラルフ様! お逃げ下さい! 客人ではなく刺客です!」

「はっは!」

 震える声で叫ぶデイジーに思わず声をあげて笑ってしまう。

 待ってくれデイジー、お前は一体誰の作りあげた障壁の中でそれを言っているんだ。とりあえず落ち着け。とは言っても、彼女は二十代に差し掛かったばかりだっただろうか。それでこの状況に落ち着いていろというのも無理な話なのだろう。彼女は先代、つまり彼女の父がクロスフォード家で庭師として働いていたのに憧れ、地方の魔法学園を卒業と同時に転がり込んできたのだ。

「逃がすか! その女は後でいい! クロスフォード家の嫡男を殺せ!」

「ラルフ様!」

 デイジーの悲痛な叫びに心の中でもう一度落ち着けと声をかけながら指をひとつ鳴らす。それだけで皇国軍から送られた刺客の芸のない魔法は四つ全て俺へと到達する前に相殺していた。唇がにやりと歪な弧を描くのと同時に、悲鳴にも似た怒声が響く。

「何が起きてるんだ!」

「さあ? 何が起きてるんでしょうね」

 もうひとつ指を鳴らせば、一瞬のうちに刺客の前に移動できる。突然の至近距離に絶句する刺客の前でまた指を鳴らす俺の左手の中には杖が四本、しっかりと収まっていた。

「予想外のことが起きたかな?」

 杖を四本纏めて両手で持ち劣化の魔法をかけながら力を込めると、まるでそこらへんに転がっている木の枝でも折るかのようにいとも簡単に杖は折れてしまった。自らの魔法発動の手段を敵地にて奪われた彼らの絶望の表情といったら、愉快なものだと正直に言ってしまったら性格が悪いだろうか。

 その杖の残骸を地面にばら撒き、指を鳴らして火をつける。その先には最早何物だったのかもわからない灰だけが残ったが、それすらも風に攫われていく。

「さて。ミストラル皇国からわざわざいらっしゃったということは、もしかすると杖がなくても詠唱とモーションで簡単な攻撃魔法なら発動できたりするのかな」

 一人一人の顔を順に眺めていくが、どの表情も凝り固まってしまっているし肩も震えてしまっていてどいつが上級者なのかイマイチ分からない。もしかして全員捨て駒として送られた下っ端だったりするのか。

 逃げようともしないところを見ると、相手が五歳児という姿に惑わされつつも力関係は明白だという現実を見ているらしい。

「じゃあとりあえず腕を折らせてもらうね。可哀想だけれど、クロスフォード公爵家ではアサシンをそのまま自国へ送り返してあげるなんて優しいサービスは行っていないんだ」

 パチンと軽やかに指を鳴らせばそれに反して鈍い音が八つ微かに耳についた。それでも叫び声を上げないということは、ミストラル皇国でそれなりに拷問に対する訓練を受けていたということだろうか。もしかすると捨て駒ではないのかもしれない。

 ちなみにだが、わざわざ攻撃魔法を相殺して相手の杖を折り腕を折るよりも最初から気を失わせてしまった方が楽だし早いということは分かっている。しかし、こうすることには俺なりの理由が存在する。

「リュミエール王国四大公爵家の一角、クロスフォードの嫡男を殺した後はどうするつもりだった? まさかはるばるリュミエールまでやってきてターゲットが俺だけなんていうことはないだろう。他の四大公爵家か? それとも」

 腕の骨を折っても息の一つも漏らさなかったくせに、人の顔を見て「ヒッ」と怪物を目にした時のような声を出す。そんなに酷い顔をしているのかと、ここにお父様やお母様がいなくて良かったと心底思った。

「殿下か」

 そう言い放った瞬間、直立していたミストラル皇国の刺客が四人揃ってばたりと白い薔薇をつけた茨に倒れ込んだ。

 何が起きているのかも分からない状況でまず心配したのは、あんな風に倒れ込んでは棘が刺さって痛いんじゃないか、ということではなく一新したばかりの薔薇は無事かということだった。慌てて茨に倒れている奴らの襟元を引っ掴み、浮かせて薔薇の様子を見るとそれは当然、大の大人が薔薇に倒れ込んだら出来上がる状況が出来ていた。

「最悪だ。力作の薔薇が潰れてる」

「しっかし此奴ら完全にのびとるわ」

「どうして突然倒れたんだ? まさか骨折の痛みで失神したのか?」

 まるで根性がないなと革靴の爪先で地面に転がる体を小突いてみるが反応はない。同じように木の枝で刺客の頬をつんつんとつついていたクオンはその木の枝を投げ捨てると、俺の目の前までその透けた羽で上昇する。

 その表情はまさに「なに言っとんの?」と言わんばかりだが、そんな表情をされてもこちらが何を言っているんだと問いかけたい。

「愛し子の魔力にあてられたんやろ。自分で気づいとらんかったのかえ?」

「魔力を制御するのは得意なんだけど、自惚れだったのかな」

「殿下が絡んだ時に関しては自惚れじゃな。濃密な魔力がぶわあって」

 なるほど、感情が昂るとどうにも自分の意識の外で勝手に魔力が暴発してしまっているらしい。これからは気をつけようと心に決めて、大切なことをふと思い出した。

 皇国から遥々やってきた刺客が倒れるほどの魔力、一介の庭師がそれに耐えられるかというと、それはまず不可能なはず。

「デイジー!」

 慌てて先ほど自分が発動したバリアに目をやれば、最早その魔法は既に効力を失っておりその場に横たわるデイジーだけが残されていた。もしやその障壁がデイジーを守ってくれたのではないかという希望はあっさりと打ち砕かれ、どうやら障壁の強度を俺の暴発した魔力の威力が上回ってしまったらしい。

 刺客から守るために発動した障壁だったが、彼女に危険を及ぼすのは刺客より何より最終的には俺自身だったようだ。

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