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花瞼に心臓  作者:
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02 夜の理由を

 いつアドニスがクロスフォード家を訪れても対応ができるよう、ラルフは自身で着替えを始めた。

 確かにクロスフォード家ほどの爵位や地位を確立すれば毎日使用人が着替えを手伝いにくるし、下手に一人でなんでも済ませてしまえばそれは使用人の仕事を奪ってしまうことになるためラルフもされるがままになっているが、別に一人で着替えられない訳ではない。使用人がラルフの部屋の扉を軽くノックし、返事が無くても入ることができる唯一の時間まではまだ少しある。

 細やかな装飾の施された華奢な金の取っ手を開けばそこはクローゼット、などと呼べるような狭苦しいものではなく、ラルフの為だけに誂えられた洋服がずらりと並ぶ衣装部屋だ。その広さは世間一般に富裕層と呼ばれる家庭の子ども部屋よりも幾分広いだろう。子供部屋のクローゼットより、ではなく子供部屋より、だ。そんな部屋に物怖じすることもなく(それは自分のものでそれこそ言ってしまえばトータルで軽く二十年以上使っているのだから当たり前なのだが)ずかずか入っていくと、いつもよりも数段堅苦しいものを数着見繕った。

「白にするべきか黒にするべきか」

 個人的には落ち着いた黒の方が好みなのだが、使用人や父上や母上は五歳児で金色の髪をした俺に白を着せたがるだろう。二度手間になるくらいなら初めから白にしようかと、そちらを多めに手に取る。使用人に任せるとあまりにもがちゃがちゃしたものになりそうだから、その前に自分で決めるのが得策だとラルフは既に過去三十年から学んでいる。

 クロスフォード家の人間は見目が麗しいせいか、使用人に任せるとどうしても童話から抜け出してきた王子様のような格好をさせたがる。まあ、今自分が手に持っているものも白を基調に肩では金のエポレットが揺れているため王子様と変わりはしないが、このクローゼットを牛耳っているのが古くからの使用人なので仕方ないだろう。その中でもまだマシなんだ。

「来年は初等科に入学か」

 今日はラルフの五歳の誕生日。ということはつまり、クロスフォード公爵の嫡男の誕生日だ。それが一般家庭のように身内で小さなテーブルを囲み、手を叩きHappy Birthdayの歌を歌いながらホールケーキに立てられた蝋燭の火を吹き消すようなささやかなパーティーで祝われるはずもなく。

 幼馴染みであるアドニス殿下を筆頭に、このリュミエール王国名だたる名門貴族を招いて行われる豪勢なものだ。お誕生日会ではなく、生誕祭。こういった重役が集まる堅苦しい催しを嫌いだという言葉をよく聞くが、それはラルフには理解できなかった。いや、どちらかというと理解したくなかった。

「与えられた機会を自分のものに出来ない奴の弱音だろう」

 きゅっ、と眉間に皺が寄るのを感じる。意識してそれを解き、礼服一式を半ば引き摺りながら衣装部屋を出る。足首に絡みつく垂れた袖口に自分の今の身長を思い知らされて苛立った。まるで俺は無力だと嘲笑われているようで腹が立つ。その感情を振り払おうと姿見の大きな鏡の前に立つ。俺の髪と同じ色だからと金を基調にガラス細工で繊細な装飾を施された鏡に姿を映し、乱雑に薄手のシャツを脱ぎ捨てた。

 畳むのは億劫で、そこらへんにそのまま放置。どうせ使用人が洗濯をしてアイロンをかけてくれるし、それが使用人の仕事だ。傲慢な思考にうすら笑い、綺麗にアイロンをかけられたワイシャツのボタンを弾きながら、なんの気なしに自分の鎖骨の下に目をやって違和感に気がついた。

「痣……?」

 こんなもの昨日までなかったはずだ。鏡に近づいてその痣を指先でなぞると、うっすらと蔦にも似た複雑な模様のようなものの中に数字が浮かび上がっているのが見て取れた。

「じゅう、ろく?」

 ぼんやりとシミひとつない白い肌に浮かび上がっているのは、確かに16の数字。どうやら怪我ではなく強い精霊魔法の類だと、その痣を取り囲むように渦巻く魔力に確信した正体を見極めようと睨みつけると、その瞬間にじわりと痣が溶け出し滲む。そうして紅茶にミルクを落として渦が出来るように新しい形を形成していく。

 自分の体を得体の知れないものが這い回っているような感じがして気分が悪い。

「……カウントダウンか?」

 そうして16に代わり新たに姿を現したのは15という数字。手掛かりは強力な精霊魔法。思い当たる節は、と問われればそんなのは一つしかない。時間逆転のあの魔法。

 そしてもし、この痣が精霊魔法関係のカウントダウンだというのならば答えは決まったようなものだろう。

 滑るように、部屋の壁に掛けてある時計に目をやれば想像通り短針と長針は俺が5年前にこの世に生まれ落ちた瞬間を跨いでいた。これは死までのカウントダウンだ。

「流石はクロスフォード家の麒麟児。悟っとるのう」

 ふうわりと、痣が発光したかのような錯覚の後に落ち着いた低めの女性の声が微かに耳朶を打つ。癖のある口調に鼻にかかったような声は不思議と不快感を与えない。

 一度ゆっくりと瞬きをすると、目の前にはゆらゆらと浮遊しながら淡く光を放つ麗しい精霊の姿。

 普通ならば一生の間にその姿を見るどころか声を聞くことやその恩恵に預かることすらないと言われる精霊。精霊と契約し精霊魔法を行使することが出来るのも、王立の魔法学校を優秀な成績で卒業したとしてもその優秀な人材のうち雀の涙ほどの数。それは何より気紛れな精霊のお気に召さなくてはならないという第一関門を突破することが困難という理由が大きい。

 俺は幸運にも精霊に好かれやすい性質らしく、前世でも精霊の姿は見ることができなくとも契約は交わしていたのだが、それは今現在にも引き継がれたらしい。しかもさらに強力になって。

「……初めまして、レディ。ラルフ・クロスフォードと申します」

 胸に手を添えて、自分が上半身に何も纏っていないということに気がついたがそのまま頭を垂れる。

 精霊は礼儀を重んずることを理解した上での行動だったのだが改めて考えると上半身裸で礼儀もクソもない。しかしここは勝手に姿を現したあちら側の非だということにしてもらおう。

「ああ、ああ、知っとるよ。お前はそういう星に生まれたんねえ、精霊が目を離せんのよ。みんなお前が心配でしゃあない。愛されて生まれた子じゃね、愛されるために生まれた子じゃね」

「幸甚に存じます」

「神やら精霊やらに祝福されながら生まれたんよ。お前は精霊の愛し子なんよ」

「身に余る光栄です」

 気に触らないようただ御礼の言葉を述べれば精霊は嬉しそうに「うん、うん」と頷きながら俺の鼻をその小さな掌で何往復も撫でた。

「いい子じゃねえ、愛し子はいい子じゃねえ」と、精霊は歌うように言葉を発し、ひらひらとプリーツの施された丈の長いスカートを翻しながら俺の周りを旋回する。その背中にはうっすらと光を反射する透明な羽が見えた。それは時々、七色に光を放つ。

 東の果ての国にあるという袴、と言っただろうか。書斎の文献で読んだ記憶がある。髪型といい、姿かたちといい、切れ長の涼しげな目元の雰囲気からこの精霊はその国の巫女というものに酷似していた。と言っても精霊は自分の好きなように見た目を変えられるというのでまた次の瞬間には別の姿に変わっている可能性もあるのだが。

「レディ、宜しければ聞きたいことがあるのですが」

「クオンじゃ。妾のことはクオンと呼びや、愛し子」

「クオン様、ところで」

 流石に精霊にその名を呼び捨ては出来ないだろうと常識の範囲で考え、敬称をつけて話を戻す。するとそれは精霊のお気に召さなかったらしく、その柳眉を吊り上げた。これはもしかしたらこのままパチンと姿を消してしまうかもしれない。それどころかこれきり姿を現すこともないのではないか。

 しかしそんな俺の一憂さえも振り払うように、精霊は濡れ羽色の長い髪を振り乱しその小さな両手でこれまた小さな顔を隠し、わざとらしくおいおいと泣き声を上げる。もしかすると、俺は面倒なタイプの精霊に好かれてしまったのではないのだろうか。いや、その精霊の話だと俺は精霊そのものに好かれやすい星の生まれらしいので最早関係ないか。面倒な精霊だろうが礼儀正しい精霊だろうが、その姿は見易いのだろう。もうアドニスを守るための材料が増えるのなら万々歳だと開き直ろう。贅沢な悩みだ。

「ああ、ああ、愛し子。可愛い我が子に敬遠される母の御心を考えたことがあるかえ?もう一度だけ言っちゃる。クオンと呼びぃ」

「……クオン、本題だが」

「うんうん、名は強く身体を縛るからね、覚えとき」

 心の距離が近づくほど、声に乗る魔力は心地よくなるんよ。

 人の話を聞こうともしない精霊は首元を撫でられた猫のようにうっとりと目を細めて俺の頬に擦り寄る。袴の裾がはたはたと俺の顎を叩いた。

「可愛い愛し子、妾の力でも二十年がせいぜいなんよ。すまんなあ」

「クオンが時間を巻き戻してくれたのか?」

「人の子の命は短くて悲しいのう」

 相も変わらずクオンは人の話を聞く様子がなく、俺の頬を撫でる。その眼差しは悲しげで、「妾はいつも置いてかれるんじゃ」と独り言のようにぽつりと呟く。

 そうして指先で鼻筋を辿り、俺の金色の前髪をさらりと分けると愛おしむように額に柔らかな唇を押し当てられた。そこから温かな魔力が流れ込み、体の中に満ちていくのがわかる。

「愛し子が二十の歳を迎えるまで、妾が守ったるけえ」

 好きなように生きんしゃい。軽く唇をつけられたまま喋られる額が擽られてこそばゆい。そこには母が子を慈しむような愛情が感じられた。しかし自分が生きられるのは二十歳までだなんて勝手に決められては困るし、そうしたらその後の殿下の生涯を誰が守るというのだ。出来ることなら自分の運命には抗いたいし、可能ならば殿下が国王に即位する時隣に立つのは自分でありたい。

 そしてその後も国王の右腕として尽力し生涯を閉じたいと思う。額に張り付いているクオンを右手の上に乗せ、黒曜石のような双眸と目線を合わせる。

「俺がこの痣を消したいと言ったら?」

 俺の右手の上で正座をするクオンは俺の問いに悲しそうにへにゃりと眉毛を歪ませるとゆうるりと首を振った。そのあまりに悲痛に満ちた表情に、こちらが申し訳なくなってくる程だ。

「いや、いい。気にしないでくれ」

「あるんよ、いっこだけ、あるん」

 クオンは綺麗に正座をしていた脚をだらりと崩し、両手を俺の両手にぺたりとつけて少し前かがみになった。そして指先で手相占いでもする占い師のように俺の生命線を指の付け根の方から手首の方へとゆっくりゆっくりたどっていく。

 そうしながら瞼を閉じてそっと囁く。

「この方の為なら死ねる、最愛の人物を思い浮かべや」

 そう言われて真っ先に思い浮かべたのは一も二もなくアドニスの姿だった。あの猫かぶりの、他の誰にも見せることのない、俺にだけ見せる得意気に笑いかける表情だった。当たり前だろう、その為に今俺はここにいるのだから。アドニスの為になら死んでやると思ったから、今の俺の存在意義はアドニスを守りきるということだけだ。

 口にしなくてもその考えが読めたのか、クオンは俺の目を見るとふうわりと微笑む。

「したらな、それを」

 掌を踊るクオンの細い指が擽ったい。

 その指先はもう指の付け根から手首までおりきっていて、そこで円を描くようにくるくると回っていた。まるで、どこかの戯曲のバレエのようだ。

「殺せ」

 ぴり、とした痛みが手首が走る。指の腹で踊っていたクオンが俺の動脈に爪を立てて引っ掻いたようで、手首には横に一本、赤く細いみみず腫れができていた。その目はまるで俺の覚悟を問うているかのように鋭い色で俺を射抜いていた。

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