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花瞼に心臓  作者:
23/26

20 御心のまま

 主従関係を結ぶのなら今後の話が必要だろうから、邪魔者は退散させて頂きますね、とそう言ってデルランジェ子爵が出ていった部屋の中で、ラルフはレオンハルトと二人取り残されていた。

 クオンはいつの間にやら姿をくらませ、無口なレオンハルトと二人きりになれば、部屋の中に物音一つしなくなるのは必然だろう。

 こちらは勝手に攫われてきた身だというのに、どうして居心地の悪い思いをしなければいけないんだとラルフはこの無口な少年、もとい銀色の髪の自分の従者と会話をするために何を話そうか頭を動かし始める。


「おい」

「今お茶をご用意しますので、ソファでお寛ぎになってお待ちください」


 なんとなく気がついてはいたのだが、もしかしてこいつは空気を読むのが人よりも下手くそなのだろうかとラルフは胡乱げに見つめたのだが、レオンハルト自身そんな視線は気にする素振りもなく既に控えてあったワゴンからカップの用意を始めていた。

 なのでラルフも何も口を出さずベッドから一人掛けの椅子へと移動する。


「茶葉は何にしましょうか」


 耳触りの良い音を奏でながら茶器を用意しつつ問掛けられ、少し考える。


「何がある?」

「どのようなものでも」

「ディンブラ」


 渋みが少なく万人受けするディンブラは、仄かなバラの香りがするのが特徴だ。

 水色も綺麗なオレンジ色が出るので、ストレートでもミルクを入れても目で楽しむことが出来る。


「ディンブラでしたらホットではなくアイスに致しましょうか」

「いや、ホットでいい」


 そろそろ入れ始めるのだろうかと腕を組み、ポットを蒸らす手をぼんやり眺めていると、茶葉の入った缶を両手に持ったレオンハルトとまたしても目が合う。


「ディンブラの等級はブロークン・オレンジペコとブロークン・オレンジペコ・ファニングスのご用意がありますが――」

「ビー・オー・ピー!」


 リーフの形や大きさにまでこだわらなくていいからさっさと茶を入れて本題に入れ!

 という言葉はなんとか飲み込んだ。

 しかし空気を人よりも読むのが下手くそなレオンハルトでもさすがにそれ以上お茶請けの趣向やらに関しての問掛けをしてくることもなく、ただ黙々と紅茶を入れていた。


 やっと出てきた綺麗なオレンジをした紅茶に口をつける。

 香りも味も色も文句のつけようはないので、もしや戦闘しか出来ないのでは、と踏んでいたこの従者は想像以上に使えるのかもしれない。

 少なくとも紅茶くらいは問題なく入れられるらしい。


「で、本題だけどお前は俺の為に何が出来る?」

「御身の望みとあらば理が非でも」


 背筋を伸ばしたまま脇で控えるレオンハルトは仄かな微笑を目元に乗せると多義的に答えた。

 どうとも取れる返答に少し眉根を寄せお茶請けのスコーンを取ろうとトングに手を伸ばすと、手早く小皿に取り分けられる。

 この従者、空気は読めなくても気は利くらしい。


「付け合わせに林檎とシナモンのジャムが欲しい」

「はい、ただいま」


 もう一度紅茶に口をつける間もなく、ジャムを盛られた小皿がスコーンの隣に並べられた。

 それを匙で掬い、少し口に含む。


「シナモンが濃い」

「新しいものをご用意します」


 ジャムが盛られた小皿を手の甲で払うようにしてテーブル上を滑らせる。

 レオンハルトはその小皿をさげると小さく詠唱をし、光の粒子で作られた小鳥で厨房と連絡を取っていた。すぐに代替品がくるのだろう。


 床を蹴り、ギギ、と床と椅子の脚とが擦れる派手な音をたてながら椅子ごと体をレオンハルトと向き合わせた。

 そうして赤い目を見つめながら、驕慢に脚を組む。


「舐めて」


 そう言って組む時に上にきた脚の爪先を一度、くいと上下に動かせば、レオンハルトは心得たように足元に跪く。

 まるで壊れ物でも扱うかのようにして差し出された靴の踵を左手で包み、靴底を右手で支える様子にすら気品は漂う。

 まるで許しを請うようにゆっくりと頭を下げ、上を向いた靴の爪先に躊躇いもなく唇を落とした。

 軽い口づけのあとに一度唇を靴から離すとそこからちろりと赤い舌が覗く。

 その赤い舌がまるで生き物のように迷うことなく靴に這わされる、その直前。

 靴を支えていたレオンハルトの両手を気にも留めず、ラルフは軽快に足を振り上げる。

 先ほど口づけを落とされた爪先が綺麗にレオンハルトの顎を捕らえた。


「もういい」


 あらぬ方向を向いていた椅子を元に戻し、テーブルに向かったところで深く座りなおす。

 避けられたであろう蹴りを避けもせず尻餅をついたレオンハルトが立ち上がり姿勢を正すと、珍しく懸念を滲ませた声色でおずおずと話し掛けてきた。


「なにか、お気に障りましたか……?」


 心許ない赤い目を見れば、そこに憤怒や不快感、ましてや反逆心なんていうものは一切見て取れなかった。

 あの時顎を蹴り上げていなければこの従者はなんの不満も抱かずに、許しが出るまで靴を舐め続けただろう。


「学園には通っていないの?」

「リュミエール王立魔法学園の初等科にて学ばせて頂いています」

「学年は?」

「この春で最高学年になりました」


 ということはつまり、俺やアドニスと同い年ということか。

 そう頭が弾き出すのと同時に、口は動いていた。


「アドニスは元気?」


 大きな怪我や病気や憂いもなく、元気で過ごしているのだろうか。

 そんな思いが顔に出てしまっていたのか、レオンハルトはらしくもなく微笑みを浮かべると「はい」と首を縦に振った。

 それを聞いて、大きな安堵と確かな闃寂が胸を過る。

 アドニスは俺がいなくても元気らしい、と思うのは倨傲だろう。


「寮で生活しているのになんでお前は学園の外にいるんだ?」

「申請さえすれば外出は許されています。流石に限度はありますけどね」


 そういえば、と気になっていた他愛ない疑問を投げ掛けると、返ってきた答えは更なる疑問を呼んだ。


「その限度の中のタイミングで偶然俺に会ったと」

「五年間探し続けた末の神の思し召しだと多少強引な手に出ました。申し訳ありません」


 レオンハルトの言葉に例の強襲を思い出し、多少? と首をひねるがそれは置いておくことにして。


「寮生活というと俺に従事出来るのはせいぜい祝日くらいだろうけどそれも面倒だし、主従関係を結ぶのはお前が高等科を出てから――」

「学園は退学するつもりですので問題ありません。今日からでもラルフ様のお手伝いが可能ですよ」


 レオンハルトの無鉄砲とも言える言葉に驚いたのだが、その表情にも驚きを隠せなかった。

 ふうわりとほころぶ目元と満足気に弧を描く唇。

 感情の表現が希薄だと思っていた従者は、俺が想像していたよりもずっと表情豊かだということが今になってわかった。

 初対面の印象せいで、能面のような人間だと思い込んでしまっていた。


「……本当に退学するつもりならうちで衣食住は保証する。給金の提示額はレオンハルトに任せるよ。馬鹿みたいな額じゃない限り意向に沿おう」

「クロスフォード家で面倒を見て頂けるのならお給金はいりません」


 その口ぶりに惜しさは微塵も感じられず、最低限の衣食住さえ保証されていれば最高の奉仕をするとその思いが見て取れる。

 もしかすると、最低限の衣食住さえ保証されていなくてもよく出来た従者はどこまでも追従するのかもしれない。

 どちらにせよ自分から給金の話は出さないだろうか、俺から父上に話しておかなければならない。


「部屋はいくらでもあるから準備が整い次第いつでもおいで」


 そう言えば、同い年としては落ち着いていると思っていた表情はまたしてもぱっと華やぐ。


「レオ」


 おまえ、と呼ぶのもなんだし、レオンハルトというのも長ったらしい。

 もしもこれからこいつが裏切らず粗相もせず長い仲になるのならば、愛称というものの一つや二つあってもいいだろう。

 そう思い、適当に略した呼び掛けはラテン語でライオンの意味を持っていた。

 まるで犬の名前のようなその響きに、レオは嬉しそうに笑う。

 ずっとそうやって笑っていればいいと思うのは、どこかでこいつとアドニスを重ねて見ている部分があるからなのか。


「笑ってみて」


 なんとなくレオの満面の笑みというものが見てみたくなってそう言うと、レオはぱちぱちと瞬きをする。

 そしてやっとこさこさえた笑顔は、アドニスの滑らかな外行き用の作り物の笑顔とは似ても似つかない下手くそなものだった。


「くっくっくっ……! 酷い顔だなぁ」


 それに思わず、こちらが声をあげて笑ってしまう。

 綺麗な顔が汚く不均等に歪んで、こいつは社交には向かないだろうと思うと笑いが止まらない。


「レオ、笑ったらお腹がすいた。夕食をご馳走してくれる?」


 滲む涙をぐいと拭ってレオを仰ぎ見ると、今度は自然な笑顔で首を縦に振った。


「御心のままに」

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