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花瞼に心臓  作者:
2/26

prologue-1

 産まれて初めて、絶望という二文字が目の前を過ぎった。


 それは酷い息苦しさと同時に不甲斐なさや後悔、この世の嫌な感覚全てを綯交ぜにして俺に襲いかかった。

 そのあまりの圧迫感に吐き気と眩暈がする。

 自分はなんて愚かだったのだろうか。

「……めろ」

 リュミエール王国の四大公爵家の一角を担うクロスフォード公爵家の嫡男、ラルフ・クロスフォードとして生まれ、王太子殿下の右腕としてその背を守ってきた。

 そんな自分が今まで歩んできた人生が堕落していたとも、楽で平坦であったとも、決して思わない。

 元より持って生まれた天賦の才に驕り胡座をかいていたようなこともない。

 今振り返っても人より過酷な道程であったと思うし妥協してきた訳でもないと、神なんかではなく目の前の、自分の心臓どころか髪の先から爪先まで、魔力も剣も、己の持てる全てを捧げた殿下に誓える。

「……やめろ」

 朝から晩まで剣を振り、血や汗や自分の吐瀉物、泥に塗れながらも幾度となく立ち上がった。あなたの隣りにある為に。

 最難関と呼び声高い学舎だって首席で卒業した。あなたを守るのに相応しいのは自分しかいないと、本気で思っていた。

 それでも足りなかった。足りなかったんだ。


 そうして己の力を過信して自惚れて、自分だけがこの方を守れるのだと豪語して、その結果得たものは一体なんだったのか。こんな屈辱か。

 目の前で大切な人が殺されそうになっているというのに、地面に這い蹲っていることしかできないという恥辱か。

 歯軋りをしても足りない。自分の内臓をこの歯で噛み潰してやりたい。

「やめろ」

 息も絶え絶え。

 鼻呼吸がままならず、だらしなくも口を開き地に伏したまま、ぜえぜえと喉の奥から濁った息を吐き出し、必死になって新鮮な酸素を取り込む。

 また吐き出す、と同時に声も捻り出す。

 既に俺は死んだと思われていたのか、喉笛に剣を突き付けられている意地でも俺が守りたかった殿下が弾かれたように此方を振り返り苦しそうに顔を歪めながらひたすら首を横に振るう。

「ラルフ、逃げろ」

 もうやめろと、無理をするなと、もうやめてくれと、その目が訴えてくる。

 優しい人だった。

 どこまでも優しく、堅実で、純粋で、どんな時もどんな場所でも人のことを思いやれる強い人だった。

 だから殿下にどこまでもついて行こうと心に決めた。

 剣を突き付けられているというのに激しく首を振るせいで、その白い首筋に重なるようにして幾つもの赤い線が横一文字に伸びていた。

 ああ、なんてことだ。

 俺が守らなくちゃいけなかったのに。どうして。どうして。どうして。

 喉が気持ち悪くて唾を飲み込むと気管支から口の中にかけてヒリヒリとした痛みが走り、またしても忘れかけていた血の味が広がる。

「やめろ!」

 自分の主一人守れやしない。俺は弱い。



 どこから誰が判断してもこの国が勝利を収める筈だと確信の持てる作戦だった。

 我が国の被害を最小限に止め、そして敵国への攻撃も最小限に止め終結へと導くことが可能だと誰もが信じていた戦いだった。

 ここまでの道で友人や仲間が死ななかった訳ではないが予想の範疇であった。

 順風満帆に敵国を侵攻し、殿下の背を守り、正規軍に加えて専門的職業軍を率いて王城へと乗り込んだ。

 違和感を覚えたのは天をも裂くのではないかと思われるほど高く伸びる、王城をぐるりと取り囲む塀を見た時のことだ。

「気のせいか……?」

 高度な魔導師にもなれば、感覚を研ぎ澄ますことで人を取り巻く魔力の粒子を感じたりその目に見たりすることができる。

 中でも体内の魔力は血が循環するように巡るので、空気中を漂う魔力と区別することでどの程度の人間がいるのかなど推して測ることも可能だ。

 殿下に仕えてからの長年の癖というものもあり、俺は豪奢な門を潜りながらいつものように感覚を研ぎ澄ませ王城内を探っていた。

 王族の血を引く者の、他とは違う魔力がいくつか。そして使用人、騎士、魔導に特化した者、迎え撃つ軍隊。

「殿下、諜報部隊の情報通りです」

「そうか。よし、ラルフはそのまま王城内を探れ」

「はい」

 頭の中でいつものように情報を整理しつつその魔力を辿り事前に脳内に叩き込んできたマップと照らし合わせる。

 すると王の間の玉座に、異質な魔力を感じた。

 異質としか言いようがない、今までに感じたことがない種の魔力だった。

「殿下」

「どうした」

「得体の知れない魔力が、王の間に」

「どの程度の力だ。まさかお前よりも保有量が多いなんてことはないだろう?」

「……分かりかねます」

 眉間に皺を寄せつつ殿下にその旨を伝えると、殿下は一瞬目を見開いて俺を見た後に表情を引き締め軽く頷く。

 そして後ろを振り返り指示を待つ軍隊に目を配ると、進軍を取りやめ撤退命令を下した。

 それを聞き入れた最後尾の魔導師が今度は先陣を切りもう一度門を潜ろうとした瞬間、両開きの門は重々しい音を立て、魔導師の鼻先を掠め砂埃を巻き上げながら閉じたのだ。

 何も言わずに軍隊を割って進み、その魔導師へと駆け寄りうち開きの門を掴み思い切り引っ張る殿下を追いかける。

 門を相手に奮闘している殿下の肩に手を置く。

「私が」

「早くしろ!」

 不貞腐れた様子で返ってきたその命令に応えようと俺は門に触れ軽く引く。

 幼い頃から、それこそ生まれた時から俺と共に育った殿下は、暇さえあれば俺に駆け寄り無邪気な表情をして「ラルフ覚悟!」と自慢のレイピアで刺しかかってきたものだった。

 俺も後ろから、たったったっとリズミカルに近付いてくる足音を聞く度に自然と口角が上がっていた。

 そうして振り返りざまに鞘に入れたままの剣で攻撃を防げば殿下はいつもこうやって不貞腐れた表情を見せるのだ。あの頃から何も変わっていないんだと不謹慎ながらも嬉しくなる。

 鍵すらも掛かっていないこの程度の門ならば、その力で十分開く筈であるのにピクリとも動かない。金属がぶつかり合う音さえもしない。

 おかしいと思うと同時に魔法だと直感した。

「殿下、罠です。離れて」

 しかしこの場に殿下がいる以上何がなんでも無事で脱出する他に選択肢はない。

 意識を集中して鉄製の門の内側で魔力を練り上げ、中から門を破壊するイメージを固め、指を鳴らす。

 しかしどれだけ魔力を注ぎ込もうがそれが膨張していく感覚は得られずに、寧ろこの門に魔力を吸い取られているような気さえしてくる。

 人よりも馬鹿みたいに多いと自負している程の魔力を保有している俺が、たかだか門を吹き飛ばす程度の魔法を使うことによって玉のような汗が首筋や額に吹き出るなんて有り得ない。

「くっそが……!」

 絡まっている蔦は灰になり吹き飛んだが、肝心の門には傷一つ付きやしない。

 表情に苦悶が浮かび上がっていたのか、後方から殿下に「もうやめろ!」と思い切り腕を引かれ体勢が崩れたが俺がやらなくて他に誰が出来る。誰が殿下を助けられる。

 専門的職業軍の魔導師でさえその保有量と精巧な術式で俺の右に出る奴はいない。

「吹き飛べ……!」

 掴まれていない右手を前に突き出し門へ翳すと、注ぎ込む魔力の量を一気に増やした。掴まれている左手の手首を捻り、もう一度、強く指を鳴らす。

 俺の場合、手を対象に翳すことによって更に威力を強力にすることが出来る。

 一般の魔導師は杖が無くては魔法は使えず、難易度の高い呪文は詠唱が必要になり、難易度の低いものでも詠唱をすることによって発動範囲や威力が増す。

 俺がやると加減が出来なくなることが多々あるので滅多にやることはなく専らイメージのみだが、今回ばかりはそうも言っていられない。

 力を暴発させてでもこの状況を打開する必要がある。

「ラルフ!」

 制止の意を込めて名前を呼ばれると同時に、乱暴に右手を包み込まれる。

 これだけの魔力を扱っていてそれに触れるなんてただでは済まない。俺は慌てて魔力の放出を断ち切ると殿下から手を引いた。

 何をするんですか! と俺が叫ぶ前に殿下がそれを上回る勢いで「ラルフの魔法を引き継げ!」と専門的職業軍の後方支援部隊に指示を飛ばす。その瞬間に魔導師が一斉に懐から杖を引き抜き門へと向けて呪文の詠唱をするが、とても意味があるとは思えない。

 手伝ってやりたいが想像以上に疲弊していたらしい俺は、気がつけば長距離走でもした後のように肩で息をしていて口の中はまるであちこちが切れているように血の味がしていた。

 それに殿下にその身を呈して止められてしまった以上は俺に出来ることはない。

 魔力の枯渇で倒れる人間が出てくるのも時間の問題だと思ったその時、殿下が右手を挙げ「やめろ」と静かに言い放った。

 伏せられていた眼がゆったりと前を見据えた時、その眼にははっきりとした決意が見て取れた。このお方は前に進むつもりだと、常に寄り添ってきた俺には直ぐに理解できた。

「このまま進む。動ける奴だけついて来い」

 殿下の隣に立てるのは俺だけだ。

 若干前に傾いていた体をなんとか起こして背筋を正し、王城の中へ続く扉へと歩く殿下の半歩斜め後につく。

 振り返らずともここに来た全員がついてきているのは分かっていた。魔力を辿ったからではない。ここにいる全員が殿下を慕い、そして殿下に忠誠を尽くしていると知っているからだ。

 殿下の指先が扉に触れた瞬間、まるで招き入れるかのように厚い扉が音も立てずに開いた。簡単に開くような軽い素材で出来たものではないというのに、ここでも並々ならぬ魔力が作動しているらしい。不気味に思いながらも前に進むしかない。退路は断たれているのだから。

「進むぞ。細心の注意を払え」

 殿下の言葉に、しっかりと頷くことで応える。

 しかし不気味なのは扉が勝手に開いたことだけでは終わらなかった。外からは多数の人間の魔力が感じられたというのに、実際に城の中に入ってみると人っ子一人、影すらも見当たらない。城に足を踏み入れた瞬間に感じていた魔力もまるで靄や霧のように掻き消えてしまった。

 残っているのは、王の間の玉座に座っているあの異質な魔力のみ。嫌な予感がする。

 殿下に何かが向かえば直ぐに対応出来るように、それだけに意識を集中しながら王の間へと進んでいく。

 その道すがらに飾られていた彫刻や絵画はうっすらと埃をかぶり、中には砕けたりしているものもあった。一体この国に何があったのか。

 罠かと思ったが、まさか第三勢力の手にかかったのだろうか。しかしそんな情報は入っていなかった筈だ。

 くるくると頭の中で思考を巡らせながらも辺りへ気を配ることは忘れない。

 すると、とある一つの扉の前に立った瞬間、ぶわりと気持ちの悪いほどに得体の知れない魔力が肌を撫でた。

 王の間だ。あの魔力の在処だ。

 この中にいる奴が、この城の人間を喰い、そして俺達にその魔力の幻覚を見せていたんだと、無意識のうちにそう確信した。

 殿下にこの扉を開けさせるわけにいかない。何が襲いかかってくるか分からない。

「退って!」

「おいラルフ!」

 ドアノブに手を掛けようとしている殿下を押し退け、扉を開き、相手の姿すら視界に捉えないうちに口の中で詠唱を始める。そして高らかに指を鳴らした。

 何も考えず、当たり前のように口にしていたのは強力な死の呪いだった。当然反動も大きく、並大抵の魔導師じゃその身さえ滅ぶ代物だが、ここで決めなきゃ終わる。

 その一心で詠唱した。

 詠唱を終え魔法を発動した次の瞬間、反動がこの身を蝕むのが感じられた。

 内臓が酷く損傷している。口から血が溢れ出す。膝から大理石の床に崩れ落ち、頭も重力に逆らえず床に落ちる。

 その時見えたのは何故か自分と殿下が率いてきた軍隊が全て血塗れで屍の山となっている光景を、呆然と眺める殿下だった。

「殿下……ッ!」

 よかった、殿下に傷はない。しかし困ったことに、どうにももう、この体は動きそうにない。この後は誰が殿下を守る?

 渾身の力を振り絞り玉座に目をやると、そこには悠々と座る人型の化物がいた。今までに見たことがない程の濃密な魔力を纏うそれは、化物の他に表現のしようがない。

 魔力の扱いに長けているらしいその化物は、俺の呪文の標的を自分から俺の後ろの軍隊に詠唱している間の一瞬で移動させたようだ。

 化物と同じ、異質な魔力が辺りを浮遊している。

「きん、じゅ……か?」

 禁呪。その名の通り、禁じられた呪い。

 どうやらこの国の王族は俺達に戦争で負けることを恐れ最終兵器として禁呪によりこの化物を召喚したらしい。

 一体この禁呪を成功させるのに何人、何十人の人間が犠牲になったのだろうか。そうして、漸く召喚したというのに、そのあまりの凶暴さに従えることも出来ず喰われたと。こんな危機的状況にありながらも、ここまで自分は淡々と状況を把握できていた。それはひとえに、殿下に危害が加えられていなかったからだった。

 化物が玉座から立ち上がり、ひとっ飛びで転がっている俺を飛び越え殿下の前に着地する大理石を靴底が叩く音が響いた時、全身に鳥肌が立った。


 やめろ、やめろ。


 今すぐそこへ飛び出したいのにこうしている間にも反動は体中を破壊していき、その痛みに今にも意識はぶっ飛びそうだ。つうと、鼻から、目から、生温い血液が流れて口に入るが、同時に吐血をし全てが混ざる。

 血を吐くのと同時に心臓まで吐き出しそうだ。

 そうして、一瞬意識を飛ばした後に目に映ったのはいたぶられ、化物に刃を突き付けられている殿下だった。

 その光景に、俺は産まれて初めて絶望を知った。

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