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花瞼に心臓  作者:
18/26

15 春をまぶす

 風の噂で聞いた話だが、俺の代わりにと学園側から通達された新入生代表挨拶の依頼をアドニスは辞退したらしい。

 前代未聞の首席の入学辞退と次席の挨拶辞退により、その年のリュミエール王立魔法学園の新入生代表挨拶は三位で試験を通過した伯爵家の御子息が受け持ったようだ。

 どうやらアドニスは自身の入学そのものを取り消そうと国王陛下に対してごねにごねたようだが、王族の人間としてそれは許されず渋々入学したと国王陛下から困った表情で聞かされた。

 ミカエルの手から届けられた軟膏は滑らかなとまではいかなくとも背中の傷の跡を大分薄くしてくれたし、甘いクッキーはまるでどこかの御令嬢のご機嫌取り扱いされているようだと感じたけれど送り主の思惑通り心が癒された。

 花束は枯らしてしまうのが勿体無くて水分を抜き保存の魔法を掛けて極端に劣化を遅らせた。

 その花は今でも俺の部屋に彩りを添えている。


「ラルフ様、馬車の用意が出来ました」


 リュミエール王立魔法学園初等科への入学を辞退してから五年。

 ラルフ・クロスフォード十一歳の春。

 もしもアドニス・アークライトと共に学園へ通っていたとするのならば、この春で初等科最高学年である六年生を迎えていた。


 この五年間でラルフの身長は大きく伸び、十一歳の平均身長は去年の夏の段階で越している。

 かつてはデュランダルに振り回されてばかりだった剣術も、この五年間王立騎士団の二等兵に混ざり日夜訓練に明け暮れ目を瞠るほどに成長した。

 今では歩兵隊一の剣技を誇る新進気鋭を相手に苦もなく勝利すら収められるようになっている。

 弱冠十にも満たないような子供が、王立騎士団の期待の星をあっさりと降す光景というのは兵士達の目にはとても異様に映った。

 リュミエールの王都シュペールバルクにある軍本部基地の闘技場で起きたその衝撃的とも言える事件はその場に居合わせた兵士達によって瞬く間に王国内を駆け抜け、クロスフォード家の御子息はとんでもない麒麟児だと囁かれた。

 最初のうちは我こそはと意気込む一等兵や重騎兵隊隊長、准士官である特務曹長までもがラルフの元へと集うと「お手柔らかに」と冗談混じりに笑いながら戦いを挑んできた。

 しかし一度ラルフと剣を交えればそんな笑みは直ぐに掻き消える。

 厳しい訓練を重ねてきた兵士にあるまじきあまりにも呆気ない敗北を味わうと、顔を青く染め二度とラルフに挑むということはなかった。

 無惨にも子供に敗れる兵士を見ながらも尚ラルフに剣闘技を挑んでくるのは純粋にラルフの剣技に惚れ、その技を吸収しようとする新兵の二等兵や上等兵候補者特別教育を控える一等兵、件の歩兵隊の新進気鋭と極少数となった。

 しかしラルフを中心にして休憩時間の軍本部基地闘技場で行われる魔術に武術なんでもござれな実戦向きの剣闘技は密かに話題となり、少しずつ参加者の数を増やしている。

 今では軍兵站司令官も時々顔を覗かせているほどだ。


「今行く」


 装飾は控え目ではあるが上品にボタンが並んだベージュのフォーマルなチェスターフィールドコートを羽織る。もう春だとは言っても吹き付ける風は冷たい。

 精霊も寒さを感じるのか分からないが、クオンも珍しく首に真っ白なラビットファーを巻き付け耳には同色の耳あてをつけていた。

 今日は七日に一度巡ってくる祝日だ。

 ラルフは訓練は午前中に終わらせ、ミカエルに馬車を用意させるとクオンを伴って久々に王都へ向かうことにした。


「クオン、用意は出来たか?」

「クッキー買うんじゃー!」


 羽をパタパタと動かして部屋を出て行くクオンのあとを、クッキーの前に本屋を見たいななどと考えながら足早に追いかける。

 薔薇園を抜けると馬車の前には既にミカエルと馭者が待っていた。


「お気をつけて行ってらっしゃいませ」


 頭を下げるミカエルに「行ってくる」と短く告げると滑るようにして馬車は動き出した。

 王都シュペールバルクに息抜きに足を運ぶ時は余計に目立ってしまうので護衛はつけないようにしている。

 家の人間はラルフの提案に否定的であったが、市場に賑わう平民に混ざって屈強な男を従え闊歩する金髪碧眼の十一歳は目を引くしラルフからすると自分より力のない人間を護衛につけてはもしも本当に襲われた時に、言い方は悪いが荷物が増えてしまう。

 精霊であるクオンもいるし、ということで話はまとまった。


「紅茶のとー、チョコにオレンジピールじゃろ」

「先に本屋に行くぞ」


 ラルフはリュミエール王立魔法学園辞退を決めた翌日に父であるルドルフに無理を言って呼んで貰った騎士団の要でもある歩兵隊の最高責任者歩兵司令官と宮廷魔導師を相手にこの五年間狂ったように剣術に没頭し、魔術を学んだ。

 元々剣の才能はあったラルフだ。足りないのはデュランダルに振り回されずに済む肉体的な成長だった。

 歩兵司令官に勧められ腹筋背筋腕立て走り込みと二等兵に課せられるものと同じものを彼らに混ざり続けるうちに、数年が経過して身長が伸び筋肉がつくと歩兵司令官を相手に剣闘技で勝利を収めるようになる。

 魔術は六歳の時点で王国内最高峰の宮廷魔導師を既に圧倒していた。魔力制御の感覚を磨きながら難解と呼ばれるありとあらゆる魔法を試し、成功させ、不得意であった詠唱やモーション無しの無音詠唱を克服した。

 寝る間を惜しんでは様々な分野の専門書が入り乱れるルドルフの書斎に入り浸り、目に付いたものを片っ端から手に取れば最早目を通していない本は一冊もなくなってしまった。


 そんな時、愛する息子の目覚ましい成長を見たルドルフが遂に、ラルフに次回のミストラル国境紛争地帯鎮圧作戦に参加しないかと持ちかけてきたのだ。

 ラルフは一も二もなく承諾した。

 しかしここで猛反対したのがラルフの母であるアリシアと執事長であるミカエルだった。

 子供を紛争地帯に連れていく等とは何事だ、しかもラルフは以前ミストラル皇国の刺客に狙われたのだぞと。

 だが参加してしまえばこっちのものだ。

 作戦当日、使用人も誰もが寝静まっている早朝にラルフとルドルフはこっそりとクロスフォード家の屋敷を出て軍本部基地へ向かうと作戦に参加した。

 ルドルフは総大将であり、総大将は安全な後方で指揮を担当するのが常であるが流石はラルフの父ということもあり彼は周囲の煩言砕辞を振り払い自身も最前線で剣を振るう選択をする人間だった。

 ラルフもそれについていくと主張したのたが流石にそれは危険だと判断され、軍兵站司令官につき主に後方支援に奔走することになる。


 “必要なものを、必要な場所へ、必要な時に、必要なだけ”それを第一に考え行動する兵站部隊は時に中継として伝令も引き受ける。

 王都からの伝令を最前線で奮闘する騎士団団長へ届ける過酷な道にラルフは自ら志願した。

 ルドルフからラルフの面倒を頼まれていた軍兵站司令官は多少渋りはしたが、この兵站部隊で騎乗の腕と剣術魔術の腕で自分の上に立つ者はいないと真っ直ぐに言い放つラルフを伝令役に命じた。

 ラルフは馬に跨ると衝突が激化しているミストラルとリュミエールの国境線へと走らせた。

 最前線はさすが後方とは走る雰囲気が変わっていた。リュミエール軍が善戦こそしているようだが、当然転がっている死体がミストラル軍の兵だけというはずもなく、自分の纏う隊服と同じものを纏った兵士も無残な姿で転がっている。

 もし俺がここに戦闘に出ていれば、助けられたかもしれない命だった。

 ルドルフはラルフの姿を見つけると驚いたように目を見開いたが直ぐに表情を引き締める。

 伝令を聞いている間、ルドルフの視線は「どうしてきた」と問い詰めるように鋭いものであったが、ラルフは何処吹く風で敬礼をしたまま伝令を伝えた。

「御苦労。諸君にヘーリオスの加護あれ」とのルドルフの言葉に本来の任務を全うした頃には、後方に戻るという選択はラルフの中から消え失せていた。

 ラルフは目についた重症のリュミエール軍の兵士を自分の乗ってきた馬に乗せて落馬しないよう麻縄で縛りつけると、「伝令は無事伝えましたと軍兵站司令官に伝えて下さい」と兵士に頼むと馬の尻を蹴った。

 しっかりと躾のされた頭のいい馬は来た道をしっかりと駆け戻っていく。

 ルドルフが叫んでいるのを馬耳東風で聞き流し、敵軍を睨み付ける。


 そうして一度、指を鳴らした。


「フレア」


 その瞬間、敵軍の後方で真っ赤な炎が燃え上がる。

 国境から五キロメートル程離れた場所に位置する森林地帯だ。

 今作戦の最終軍事会議でルドルフが世界地図に駒を滑らせながら恐らくミストラル軍の後方支援部隊が待機するであろうと見当をつけていた場所。

 国境からそこまでの見晴らしは良く、前線で剣を振る兵士は弾かれたように炎を見つめていた。

 ミストラル軍にも魔法を扱える人材は揃っているだろうし、さすがにこれだけ離れた距離へ向けての局地的な魔法発動ともなればラルフといえども次々と放てるものではないので直に鎮火されるだろう。

 しかしミストラル軍はリュミエール軍の国境進出を許していない。

 つまり、少なくとも国境から五キロ先の地点へ局地的に魔法を発動出来る兵器のような人間がリュミエール軍には存在するとミストラル軍に知らしめることが出来たということだ。

 ラルフ自身これだけの長距離の魔法発動は初めてのことであり、発動しないか誤発で元々だと考えていたので上手く発動しただけで大収穫。

 見事ミストラル軍を混乱に陥れ、その隙を突いたルドルフの指揮で騎竜隊も参戦し自軍の被害を最小限に留めての鎮圧、凱旋となった。


 ルドルフやアリシア、ミカエルにはこれでもかというほどに叱られたが、それから国境線で小競り合いがある度にラルフは参戦を志願し、回を重ねる毎にじりじりと前線へと近づいていった。

 作戦の度に華やかな武功を立てるラルフへの期待は次第に高まり、この一年で司令官に加え五大官職者とも顔見知りになり議論を交わすまでになった。

 そうしてつい先日行われたラルフが参戦を始めて四度目の国境線鎮圧作戦でこれまでの武功を称えられ、最年少記録を大幅に更新して国王陛下より叙勲を受ける運びとなった。

 叙勲伝達式は数週間後に予定されており、王太子殿下であるアドニスも出席するだろう。

 この五年間アドニスが招待されるような大きな夜会は見送っていたし、アドニスがクロスフォード家を訪れることもなかったので本当に顔を見ていない。

 まずアドニスは学園で寮生活を送っているので計らったとしても思うように会うことは出来なかっただろう。

 本当に久々に顔を見ることが出来ると思うと胸が弾んだ。

 それも史上最年少での叙勲伝達式でだ。正直なところ自信だってつく。夜会ならば断ることが可能だが叙勲伝達式への参加は勅命でもある。アドニスと顔を合わせてしまうのはラルフからすれば幸運としか言えない不可抗力だ。

 国王陛下より勲章を賜ったのならアドニスの御前に馳せ参じ、この五年間胸の中で温め続けた謝罪を口にすることが許される気がした。

 決意を固めた六年にはまだ一年足りないが、そういう機会がもしもあるのならばそれもヘーリオスの思し召しだろう。


「本屋はそっちじゃないよ」


 ラルフは洋菓子店に飛ぼうとするクオンを捕まえると、鼻歌交じりに本屋へと足を進める。


「愛し子がご機嫌だと、妾もご機嫌じゃ」


 ラルフの鼻歌にクオンのとんちんかんな鼻歌が加わって、春の始まりを告げるように綻んでいた花々がそっと彩りを散らした。

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