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花瞼に心臓  作者:
17/26

14 指を掴む術

 並外れた魔力の大きさに、相手の魔力制御装置が作動していないことに気がついた瞬間、こちらへ駆けてきたラルフに庇うようにして強く抱き締められた。

 その状況に混乱して気がついた時にはラルフと二人、揉みくちゃになりながら闘技場の芝生の上を転がっていた。

 緩慢な動作で俺の上からどき芝生に倒れ込むラルフの背は氷に抉られ酷い凍傷と切り傷が出来ていて、ああ、俺は守るべき対象に傷をつけたのだと悟った。

 緑に転々と広がる赤い血を、苦しげに眉間に寄せられた皺を、一週間以上が経過した今でも生々しく夢に見る。


 四度のドアをノックする音に「どうぞ」と短く返事をすれば、丁寧に髪を結い上げた侍女が音もなく扉を開き「失礼致します」との一礼の後に足を踏み入れる。

 その手にはトレーが乗せられており、中には数通の手紙が並べられている。

 アドニスは紅茶を啜りながら視線でどこかへ置くようにと促した。


「今朝届けられたお手紙です。こちらに置いておきますね」


 侍女はソファに座るアドニスの前のローテーブルにトレーを置くと、長いスカートを綺麗に捌き見事な一礼と共にアドニスの私室を出る。

 またしても部屋には静寂が戻った。

 アドニスは殆ど空になったカップをソーサーに戻すと、トレーの中で目に付いた一通の手紙を手に取る。

 リュミエール王立魔法学園の紋章である百合の封蝋がされているその封筒に、一緒に用意されていたペーパーナイフを這わせて封を開けた。

 そこには想像していた通り学園からの合格通知が封入されており、新入生の挨拶の依頼が同封されていないということはやはりラルフが首位で通過したのだろう。

 もう挨拶の文章を考えているのだろうか。いや、ラルフならアドリブでこなすという可能性も否めない。

 思わず浮かんだ微笑みと同時に、鬱蒼とした気分が押し寄せその淡い笑みは掻き消えた。代わりに重苦しい溜め息が自分の口から溢れる。

 ああ、爽やかな朝になんて陰気臭い。


「……今回ばかりは仕方ないだろ。寧ろお前は今までよく耐えたよアドニス・アークライト」


 自分で自分をそう鼓舞しても虚しさは一層募るばかり。

 アドニスは頭に響くような甲高い静寂に呻きながら頭を抱えた。


「あいつにはお灸を据えてやるべきだった。あれくらいで調度いい。何も分かってない。自分の力を過信している。危なっかしくて見てられない」


 なんだか言い訳じみた響きを孕み始めた自身の言葉に、自分の中で築き上げていた確信は少しずつ崩壊の兆しをみせていた。

 特にこの一週間で冷静さを取り戻してきた思考は、少なからずアドニスの良心を糾弾し始めていた。


 アドニスは以前からラルフの行動にはハラハラさせられていた。

 確かにラルフの持つ魔力やそれを制御し操る力は並外れたもので、王国内屈指の宮廷魔導師にも匹敵する。近い将来にはそれをも容易く凌駕するのだろう。

 最近ではデュランダルを使っての剣術を王立騎士団団長である自身の父に指南して頂いているらしく、元々才覚のあったその分野でもめきめきと頭角を現している。

 ラルフ本人もそれを自覚している。

 息巻いて刺客や大人に立ち向かい、そしてそれらを撃退するだけの力を持っているのだ。

 だからこそタチが悪い。

 それでもラルフは子供だ。熟練の技の前では若い力はあっさりと打ち砕かれてしまうかもしれない。

 いつ大きな怪我をするのかとアドニスはいつもいつも気が気ではなかった。

 それでも今まで大きな怪我もなく、運良く切り抜けてきたラルフにはせいぜい懇懇と諭しこちらの気持ちも分かってくれと頭を撫でるのみに留まっていた。

 それがだ。ここにきてその均衡が崩れた。

 赤く染まった背中を見て、声にならずとも心の中は様々な激情が氾濫していた。


 “だから言ったじゃないか!”

 “いつも生返事ばかりで聞かないからだ!”

 “なんでも出来ると驕るな!”


 “俺のせいで”


 あれ以来クロスフォード公爵家を訪れる気分には到底なれず、王宮に引きこもっては思考から逃れるようにして様々な本を読み耽り剣術指南を受けていた。

 それでも私室でソファに沈み紅茶を飲めば、頭に浮かぶのはやはりラルフのことだった。


 闘技場では自身の激情に任せて血に濡れるラルフを怒鳴りつけた。俺はお前に体を張って守られなければいけないほど弱いのかと。

 そこに対して、純粋にラルフに向けての心配と怒りだけの言葉を選べていたかというと、アドニスは自身の胸が締め付けられる思いだった。

 無傷云々ではなく、まずラルフに危険に飛び込んで欲しくないのだ。俺は守られるのではなく、守りたかったのに。

 まるで兄弟のように育ち、兄として接し、弟として見てきた存在を、自身が当然のように守るべき存在を、自分の力不足から傷付けてしまった。

 不甲斐ない自分への怒りを勢いに任せてラルフにぶつけてしまったということは否めない。


「傷跡が残ると言っていたな……」


 ふと、数日前に父である国王陛下とその右腕であるラルフの父が執務室で話しているのを立ち聞いた内容を思い出す。

 自分の言葉を軽んずるラルフに対しての怒りは残っているが、この一週間冷静さを取り戻した今となっては寧ろ八つ当たり半ばに怒鳴り散らしてしまったという罪悪感の方が先に立っていた。

 アドニスは部屋に執事を呼び付けると馬車と軟膏、それにクッキーと花束を用意させる。

 まるでどこかの御令嬢のご機嫌を取りに行くようだと、愛らしくラッピングされたお土産を手にして苦笑いが漏れた。



 クロスフォード公爵家の屋敷に着くと、執事長であるミカエルにサロンに通され華々しい紅茶とお茶請けが振る舞われた。

 ミカエルは少々お待ちくださいとアドニスに柔らかく笑む。

 普段ならば真っ直ぐにラルフの私室に通されるというのに、ここで待たされるということはそれほどまでにラルフの容態は悪いのかと心配になった。


「ラルフの容態はそんなに悪いのですか?」

「いいえ。あと二週間もあれば完治なさいますよ」

「ラルフには会えませんか?」


 急いて思わずミカエルの言葉に食い気味になる。

 ミカエルは少し困ったように微笑むと言葉を選ぶようにしてゆっくりと喋り始めた。


「ラルフ様は、暫く殿下には会えないと申しております」


 思いがけないミカエルの言葉に頭は真っ白になった。

 今までされることのなかった、ラルフからの明確な拒否に体が芯から冷える。


「会えない? どうして?」

「けじめだと申しておりました」


 けじめ? それは従者にはしないと宣言した俺に対してということだろうか。

 俺の言葉は屈折してラルフに届き、そしてラルフは純粋にもその言葉通りに受け入れもう無闇には俺には会わないと言う。

 俺の傍に四大公爵家であるクロスフォード家の嫡男がずっとついていては、体裁上ラルフを差し置いて従者を取ることも難しい。

 “ラルフを危険な目に合わせたくない”“大切な弟を従者になんか出来ない”こちらの思いなんて、やはり何一つ伝わっていなかったようだ。

 従者じゃなくても傍にいる方法なんていくらでもあると、そう言葉にして伝えれば良かったのだろうか。

 あの時はやはり俺の言葉なんて一つも理解せずに従者という立場に執着するラルフに腹が立っていた。

 どちらにせよ冷静さを欠いていたあの場で気の利いたそんな言葉を口にするのは不可能だった。

 ラルフは身勝手な俺に対して怒りを抱いているのだろうか。

 もしかしたら、嫌われたかもしれない。


「暫くって、どれくらいのつもりなんです?」

「はっきりとは……。ただ、リュミエール王立魔法学園初等科へのご入学も辞退なさったので少なくとも六年ほどはそのおつもりなのでしょう」

「六年!? しかも入学を辞退したって、ラルフは首席だっただろう?」


 あまりの事態に声を荒らげても、ミカエルは穏やかな表情を崩すことはなかった。

 その様子に余計に焦燥を煽られる。


「はい。代表挨拶の依頼があったようですがラルフ様がご入学なさらない以上、近いうちに殿下宛のお手紙が学園から届く筈です」


 絶句。

 まさか名門の首席を蹴り学園への入学を辞退するというのは完全に想定外だった。

 そして自分がラルフの代わりに繰り上げられ、代表挨拶をするなんていうのも全く想像していなかった。

 呆然とミカエルを見つめることしか出来ないアドニスに、ミカエルはそっと目を伏せて冷めてしまった紅茶を入れ直す。


「殿下がお会いしたいと仰るのならクロスフォード家としてお断りすることは出来ません。如何致しますか?」


 ミカエルの言葉にアドニスは激しく動揺した。揺さぶられた。

 ラルフには会いたい。

 しかし当の本人に会うことを拒まれている今、王太子殿下という立場を利用して半ば強引にラルフに会いに行った結果状況は好転するのか。

 もし、その口からもう会わないと直々に宣告されたら。きっと立ち直れない。

 どうすることが最善なのかが弾き出せずに、臆病にも暗闇の中前へ進む選択は出来ず緩やかに首を振る。


「帰ります。会うことは出来なくても、見舞いの品は渡して貰えますか?」

「はい。お預かりしますね」


 軟膏と花束とラッピングされたクッキーを手渡すとミカエルは傍に控えていた侍女にそれをラルフの部屋へ持って行くようにと命じた。

 代わりにと、ミカエルが預けていた上着を広げてくれたのでそこに腕を通した。とりあえず、帰ろう。

 アドニスはミカエルをはじめとしたクロスフォード公爵家の使用人一同に見送られ馬車に乗り込みながら頭を悩ませていた。

 会えもしない人間に、どうして贖罪をすることが出来るだろう。

 近くにいようが遠く離れようが、いつだってこの頭を悩ませるのは一人しかいない。

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