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花瞼に心臓  作者:
16/26

13 指を離す時

 厚手のカーテンの隙間から漏れる光に朝だと気がついて、ぐっと肘に力を入れてベッドからゆっくりと起き上がった。朝の光を部屋に取り込むためにカーテンを開けようと布地に這わせた指の動きを一瞬止めて、考える。この窓からはアドニスの暮らす王城が見渡せる。しかし別に王城を眺めることが出来るだけでその中で忙しなく動き回る人の呼吸を捉えることが出来る訳でも、ましてや向こうから此方の生活の様子が見える訳でもない。

 脆弱な思考を捨てて勢い良くカーテンを開いた。朝日が部屋に入り込み、自然と背筋が伸びる。ひらりと、光に透き通る羽が頬をなでた。

「おはようさん愛し子や。体調は如何かえ?」

「おはようクオン。元気だよ」

 背中には未だに引き攣るような痛みがあるが、仰向けに寝ることが可能なくらいにはこの一週間と少しで回復していた。

 しかし医師の話では背中一面に大きく傷をつけた凍傷は、壊死すらしなかったものの水疱や発赤浮腫が広がり完治はしても傷跡が残るらしい。二、三週間もあれば普段と変わらない生活が出来るというし別に女でもないのでラルフ自身は全く気にしていなかったのだが、医師から診断結果を聞いたクロスフォード家はお通夜状態。学園から帰宅してからというもの、家の中は「俺は危篤状態の重病患者か!」と叫びたくなるほどの大騒ぎだった。

「喉乾いとる? 飲ませたろか」

「乾いてないし自分で飲める」

 ニシシと厭らしく笑って見せるクオンにラルフは苦虫を噛み潰したような表情で否を告げた。腕が使えない怪我ではあるまいに、歩こうとするだけで嘆かれ、しまいにはご飯すら一人で食べさせてもらえない。所謂、あーんである。

 まるで雛に餌をやるような様子で一口一口匙で口元に運ばれ、食事というよりは最早催し物になっている。それは侍女や執事だけには留まらず、多忙であるはずのルドルフや自身も病弱なアリシアでさえ楽しげに参加する始末。そうなってしまえば拒むに拒めず、それをいいことに傷を負ってから日にちが経った今でもラルフの雛鳥生活は当たり前のように続いている。そして、雛鳥生活と平行線でラルフの苦悩の日々も続いていた。

「はあぁ……」

「陰鬱やねえ、幸せ逃げるで」

「幸せ? そんなものとっくの昔に逃げてるさ。少なくともアドニスにいらないと言われた時点で既に其奴は荷物をまとめていた」

 怪我を負ってから一週間と少し、ということはアドニスと顔を合わせなくなってから一週間と少し、ということでもある。生まれてからこれまでほぼ毎日のようにアドニスはこの家を訪れていたというのに、彼の訪問は入学試験以来ピタリと止まってしまった。ラルフから王城を訪ねて誠心誠意頭を下げようかと思っていたのだが、せめて三週間、いや二週間は安静にしていてくれと家の人間に泣き付かれ、今は渋々ベッドで生活している。

「んん、どうするかなぁ」

「何がじゃ」

「アドニスのご機嫌取り」

 とはいえ、ラルフだって本気でアドニスに会いに王城に行こうと思えば行けるのだ。ラルフが本気で命令をすればそれを拒否することの出来る侍女も執事もいない。直ぐにでも馬車と馭者を用意するだろう。それなのにラルフが一歩を踏み出せないのは、あれ程までに激昂したアドニスを見たことがなかったからだ。

 “ご機嫌取り”なんてクオンには言ってみたものの、そんなことで誤魔化そうものなら火に油を注ぐ結果になるのは見えきっていた。女の子の機嫌を取るように甘いお菓子や愛らしい花束なんかを片手に馳せ参ずれば、アドニスの得意の炎属性魔法で一瞬にして全て燃やされるだろう。だからこそ、焦ってもいる。

「……許さないと言われた」

「ほう」

「俺は死ぬのかもしれない」

「そん時は妾が助けたる」

 けけけと腹を抱えて笑うクオンの声なんか聞こえていないかのようにラルフはソファに沈むと頭を抱えた。その様子は大凡、朝の爽やかな風景には似つかわしくない。

「どうしたら許してもらえるんだ。もうなんでもするから……」

「クッキー持ってったらええんちゃう?」

「そこのクッキー食べていいから少し静かにしててもらえないか」

「わーい」

 次の瞬間、ベッドサイドに移動したクオンはまるでリスのように頬を膨らませてクッキーを頬張っていた。過去に一度厨房を訪ねクオンの為にとクッキーを用意してもらってからというもの、料理長のカイルの厚意でラルフの部屋のベッドサイドには水差しに並んでカイルお手製のクッキーが並べられるようになった。それ以来カイルはクオンのお気に入りに認定されたようで、気が向いては光を振りまきながら祝福をしている。ちゃんと限度というものを考えて祝福をしているらしく、そのお陰かカイルも調子が良さそうなので喜ばしい限りだ。

「心做しか涙袋が薄くなった気がするとか言ってたな」

「クッキー料理長のコンプレックスの? さすが妾の祝福じゃ」

「精霊の祝福、何でもありだな」

 そこまで考えて、ふとラルフは思いつく。抱えていた頭を勢い良く上げると間抜け面でクッキーを頬張るクオンを見た。

「クオンが俺を祝福したら、もしかしてアドニスに許してもらえたりするのか?」

「無きにしも非ず」

「クオン!」

「ええの? そんな反則技で」

 愛し子がええなら超強力な祝福今にでもしたるで、と真顔で続けるクオンにラルフは唸り項垂れる。そんなんじゃなんの意味もないことは、そりゃ分かってるんだよ。じゃあどうしたらいい。打つ手がない。

「王太子殿下は、愛し子の何にそんな怒ったんよ」

「怪我をしたから」

「当たらずとも遠からず」

 やれやれと力なく首を振るクオンがクッキーを齧る度にほろほろと屑が散らばる。ラルフはそれを咎めず、唐突にソファから立ち上がった。

「つまり俺が弱いのがいけないんだろう? アドニスが心配する隙もない程華麗に、無傷で助けられれば良かった!」

「多分そういうことやないで愛し子や」

「いいやそういうことだ」

 敢然と言い切ったラルフはローテーブルの上に散乱していた封筒と便箋を手に取ると、それをひと思いに破り捨てた。ひらひらと散る紙切れの中にはリュミエール王立魔法学園の紋章であり、権威を象徴する百合の刻印。合格。首席。新入生代表。挨拶。そんな言葉が散っていた。

「ええの?」

「こんなことをしている暇はないから」

 アドニスの傍にいる許しを乞うためにはまず、アドニスに心配をかけないほどに強くなる必要がある。その為には初等科なんかでのんびりと一輪の花を咲かせる呪文から始めてなんていられないのだ。

 そしてこの家には、リュミエール王立魔法学園を首席で卒業した現国王の右腕であり王立騎士団団長がいる。王宮にもコネクションがあるので、腕のいい魔導師を家庭教師に呼んでくれと頼めばそれも可能。アドニスと共に過ごす学園生活に未練がないと言えばそれは盛大な嘘になるが、傍にいることが許されないのならば、守ることが許されないのならば、そんな学園行く意味が無い。幸いなことに名門貴族の御曹司がこぞって通う学園のセキュリティは万全だ。アドニスが危機に晒されることもまずないだろう。

「六年間だ。アドニスが中等科に上がるまでの六年間で自分を鍛える。もう心配もかけない」

 もう彼を悲しませることがないように力が欲しい。知識も、剣術も、魔術も、権力も、全てを手にしてもう一度会いにいく。もうアドニスを悲しませないからと、そう胸を張って言えるようになってから。

「その上で赦しを乞う。なんなら土下座もする」

 そしてこれは自分なりのけじめだ。贖罪をする期間に、甘えがあっては意味ない。それに彼の顔を見てしまっては、みっともなく泣いて縋ってしまうかもしれない。例えもう既に俺の信頼は地に落ちていたとしても、もうこれ以上の醜態は晒せない。

「六年間、アドニスには会わない」

 想像以上に自分の声は苦々しくまるで親の仇と相対したかのような響きを持っていて、我が事ながら先が思いやられると苦笑いが漏れた。見兼ねたクオンが呆れ顔で口に突っ込んでくれたクッキーは、アドニスの好んでいる甘いアプリコットの味がした。

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