12 自己犠牲癖
「ラルフ!」
アドニスの声をも掻き消す衝撃と爆風に背を押され、両腕にはアドニスを抱えている以上まともな受け身も取れないままラルフはアドニスを庇うようにして闘技場の芝生の上を転がった。
「全員杖を下ろしなさい! これ以降魔法の発動を禁じます!」
視界の端に監督官が試験中止の旨を叫びながら駆け寄ってくるのを捉えながら、なんとかアドニスの上からどこうと芝生に腕をついて力を入れるが肩甲骨が背中の皮を引っ張りあまりの激痛に体を起こすことが出来ない。漏れそうになる声を噛み殺しながら半ば転がりながらもなんとかアドニスの上をどき、どさりと芝生に倒れ込む。マルセルはその場にへたりこみ、ノアは呆然と立ち尽くしていた。
見たところアドニスもショックは受けているようだが目立った怪我はなく、髪や服に芝がついている程度で安堵の息をつく。芝の緑にも点々と赤が飛び散り血だまりが出来ているが、どれも自分の背中から垂れたもののようだ。
「ラルフ・クロスフォード! 私の声は聞こえますか!?」
「……はい。聞こえます」
「意識はありますね。医務室に運びます! 担架を!」
監督官が傍を離れるのを感じながらゆっくりと目を閉じた瞬間、勢い任せに襟が掴まれ首が締められながら上半身が芝生から浮いた。シャツが傷口に擦れてジリジリと焼けるような痛みが広がる。何事かと慌てて重たい瞼を押し上げた。
「……ざけんなよ」
「アドニス?」
無理矢理にラルフを引っ張り上げたのは眉を吊り上げ怒りに顔を赤く染めたアドニスだった。止めさせようとその肩に手を置いた監督官を、アドニスはらしくもなく音を立てて派手に振り払った。
「ふざけるな! どうして俺を庇った!」
「アドニス、一人称が――」
「この後に及んでよくそんな事が言えるな! お前は俺をバカにしてるのか!」
見たこともないアドニスの激昂ぶりに思わずラルフは狼狽える。確かにいつも兄のような存在のアドニスに怒られることは多いが、ここまで声を荒らげることはない。普段穏やかな人が怒ると怖いとはよく聞くが、自分でも想像以上に情けない声が出てしまった。
「バカになんかしてない、怒らないでアドニス」
「この状況で怒るなって? そう言うのか!」
「アドニス、落ち着いて……」
しかしアドニスのその表情はどこまでも悲しみを湛え今にも赤子のように泣き出してしまいそうに見えて、慰めようとその焦香の髪を撫でるために腕を上げようとするも痛みが走り思うようにいかない。それに気がついたアドニスは苦しそうに顔を歪める。アドニスのせいじゃないんだよ、俺の自己満足だから、とそう言いたいのに、それを言ったところで彼の表情が晴れることはないことを知っていた。
「どうして俺を庇った」
「ごめん」
「お前の目には俺はそんなに頼りなく映るのか。俺はお前に守られなきゃいけないほど弱いってか」
「ごめん」
「答えろラルフ!」
「ごめん」
「答えろよ!」
怒りに燃える眼を直視することが出来ずに、情けなくも視線が下がる。するときつく顎を掴まれ強引に視線が絡み合う。怒っているようにも泣いているようにも見えるその目を見ると、どうにも感情が伝播してしまって落ち着いていられない。ただひたすら、ごめんと口にした。
「お前はいつもそうだよ。俺の為だ俺の為だって言いながら俺の気持ちなんか考えちゃいない」
「ごめん、アドニス」
「心配してると伝えてもいつもその場限りの返事だけだ。もううんざりだよ」
襟を掴んでいた力が弱まり、倒れ込みそうになるのをなんとか腕をついて凌ぐ。やはり背中に激しい痛みが走ったがアドニスと話しているというのに倒れるわけにはいかない。
「でも俺はアドニスを守りたい」
「そんな事望んでいない。望んだこともない」
「俺は近いうちにアドニスの従者になる。俺の存在意義を奪わないで」
リュミエール王国四代公爵家の一角を担うクロスフォード公爵家と言えば代々国王の右腕を務める。現当主であるラルフの父、ルドルフ・クロスフォードも例に漏れず学園時代から現国王の傍に控え、常に行動を共にし、そしてそれは今に続く。いずれラルフとアドニスもそういう関係になるであろうということは王国内で暗黙の了解だ。そんな根拠の元に出た言葉だった。
「俺はいつもお前を本当の弟のように心配しているし守らなきゃいけないと思ってる」
「……うん、ごめん」
「それもこの場だけのお返事か?」
「アドニス?」
アドニスの心配している、という声はとても耳に心地良く気付かぬうちに依存していくまるで麻薬のようだった。こうしてアドニスを庇って心配されるのも悪い気はしないし、そのせいで負った傷も痛みはあるもののアドニスを縛る一つの材料になると思うと気分がいい。とても偏った愛情がここにはある。
「いらない」
「――え?」
「俺はお前を従者なんかにしない! 絶対にだ! この先何が起ころうと絶対に!」
だから神様の怒りに触れたのかもしれない。きっと罰が与えられたんだと思う。
「待って、アドニス、お願い」
「今回は許さない」
「お願い、アドニス!」
その肩に縋りつこうと痛みを訴える背中も無視して腕を伸ばすが、手首を掴まれこの掌はアドニスの肩に触れられない。そのまま軽く肩を押され、優しく芝生に倒される。その一挙手一投足、眼差しに至る全てに柔らかな優しさが溢れていて、許さないんて嘘だとしか思えなかった。まるで、アドニスが自分を罰する為の枷のようじゃないか。
闘技場と廊下を繋ぐ両開きの扉から担架を持った人が数人入ってくるのが見えたが今はそんなことどうでもいい。治療よりも先に、しなければいけないことが出来た。
「アドニス」
「聞きたくない」
「ねえ、アドニス!」
「黙れ!」
背中の傷が触れることのないよう、大人たちの手によってそっと横向きに担架に乗せられる。そんな中で、背を向けて受験生の列に戻るアドニスに向けて懸命に手を伸ばす。届かない。折角また会えたのに、また届かない。
「泣かないで」
その涙すらも拭えないことが、歯痒い。彼を助けることが出来ないのならこの両腕だって、必要ないのに。