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63. 譲れないもの

「せっかくですが、今回は他を探します」

 ジークは座ったまま、向かいの男に頭を下げた。茶色い口ひげをたくわえた中年のその男は、難しい顔でため息をついた。コーヒーをひとくち流し込み、紙コップを静かに机の上に置く。

「言っておくが、サイファ殿に頼まれたわけではないぞ」

 閑散とした食堂に、重みのある低音が響いた。ジークは浮かない面持ちで視線を落とした。窓からの光を受けた白いテーブルが眩しくて、思わず目を細める。

「確かに話を持ちかけてきたのは彼だが、あくまでそれは提案にすぎない。私はスタッフと相談し、熟考した。そのうえでの決定だ。我々は君の能力を高く買っている」

 男はまっすぐジークを見据え、はっきりとした口調で話しかけた。だが、それでもジークの表情は晴れなかった。

「ありがとうございます。ですが……」

「そう答えを急くな」

 男は再びコーヒーを口に運んだ。そして一息つくと、真剣なまなざしをジークに向けた。

「長期休暇が始まるまで、よく考えてみてくれないか。気が変わったら連絡をしてほしい」

 ジークは張りつめた固い表情で、再び頭を下げた。


「ジーク!」

 アカデミーの校門の前で、リックとアンジェリカが出迎えた。ふたりともにこにこしながら手を振っている。ジークは目を丸くした。

「おまえら、待ってたのかよ。先に帰ってりゃいいのに」

「何の話か気になっちゃってね」

 アンジェリカは後ろで手を組み、明るく笑いながら彼を覗き込んだ。

「あの人、魔導科学技術研究所の所長さんなんだってね」

 リックも顔を輝かせながら、興味津々に食いついてきた。

 しかし、ジークの態度はつれないものだった。

「たいした話じゃねぇよ」

 ふたりと目も合わさず、仏頂面でそっけなく答えた。そして、目を伏せて少し考えたあと、おもむろに言葉を続けた。

「リック、今年はおまえの趣味のアルバイトにつきあってやるぜ」

「え……? どういうこと?」

 リックはジークの横顔をうかがい見た。精一杯、感情を押し隠しているような表情。どこか思いつめているようにも見える。どう見ても楽しそうではない。

 ジークが「趣味のアルバイト」と呼んでいるのは、子供向けヒーローショーのアルバイトのことである。おととしまではふたりで一緒にやっていた。だが、昨年はジークだけ研究所のアルバイトだった。休暇前に彼がひとりで勝手に決めてきてしまったのだ。今年はまた一緒にやってくれるというのであれば嬉しい。しかし、研究所の所長に会ったすぐあとにこの話題、そしてこの表情である。所長と何かあったのだろうか。リックはそう訝った。

「所長さんとは何の話だったの?」

 アンジェリカも彼と同様の不安を感じていた。

 ジークは答えるべきか悩んでいたが、心配そうなふたりを目にすると、何も言わないわけにはいけないような気になった。

「さっき所長にアルバイト誘われたけど、断ってきた」

「え?! どうしてよ!! もったいないじゃない!!」

 過剰なまでに反応したのはアンジェリカだった。勢いよく捲し立て、ジークに詰め寄った。彼は逃げるように顔をそむけると、ふてくされたようにぽつりと答えた。

「気が乗らなかったんだよ」

「えーっ」

 アンジェリカは不満げに声をあげた。

「赤とか青とかの着ぐるみショーには気乗りするわけ?」

 口をとがらせて彼を見上げ、どこか責めるような口調で尋ねた。

「いいだろ、別に」

 ジークは斜め下に視線を落としながら、ぶっきらぼうに答えた。

「もうっ、ジークがわからないわ」

 アンジェリカは思いきり頬をふくらませ腕を組んだ。彼女にはジークの選択が歯がゆくて仕方なかった。


 校門の前でアンジェリカと別れ、ジークとリックは並んで帰路に就いていた。ふたりともずっと無言のままである。リックは横目で曇り顔のジークをちらりと盗み見ると、前に向き直り口を切った。

「さっきのアルバイトの話さ、何か理由があるんじゃない? アンジェリカの前では言いにくいこと?」

「……おまえ、やたら鋭いな」

 ジークはうつむいたまま、困ったように微妙な苦笑いを浮かべた。リックはにっこり笑いかけた。

「ジークの態度がわかりやすいんだと思うよ」

 ジークはそれでもまだ迷っているようだったが、やがて観念してぽつりぽつりと話し始めた。

「今回は分析とか、俺がやりたがっていた仕事も頼むつもりだって言われた」

「え? いいじゃない」

 リックはきょとんとした。ジークはもともと沈んでいた表情を、さらに深くどんよりと沈ませた。

「でも、全部サイファさんの口添えだったんだ」

 それを聞いて、リックはようやく理由がわかった。納得したように、「ああ」と小さくうなずいてみせた。

 ジークはつっかえがとれたように、勢いづいて話を続けていった。

「サイファさんの知り合いでなければ、絶対に誘ってなんてもらえなかっただろうぜ。俺の力じゃねぇんだよ」

 こぶしを握りしめ、ひとりで熱くなっていく。

「そういうのって、やっぱ自分の実力で勝ちとりてぇし、それが俺のポリシーでプライドで譲れねぇ部分なんだ」

 今までの落ち込みが嘘のように、力を込めて強気に語った。口に出すことで迷いを吹っ切ったようだった。

「そっか」

 威勢のいいジークに戻った――リックは安堵してほっと息をついた。

「それに……」

 ジークは頭の後ろで手を組み、ほんのり暗くなった空を仰いだ。

「あの研究所だと、サイファさんの知り合いってことで、特別扱いされたり、ごますってくるヤツがいたり、逆にやっかむヤツがいたり、いろいろ面倒でよ」

「へぇ、そんなことがあるんだ」

 リックは少し驚いたように声をあげた。それは、彼が初めて聞く話だった。ジークは研究所でのことはあまり話さなかったし、リックもあえて詮索することはしなかったのだ。

 ジークはふいに目を細め、空の彼方を見つめた。

「俺らが思ってる以上にすごい人みたいだぜ、サイファさんは。本来、俺らが軽々しく口をきける相手じゃねぇんだろうな」

「うん……」

 ふたりの会話はそこで途切れ、再び沈黙が訪れた。そのまま、家に着くまでふたりが口を開くことはなかった。


「午前はこれで終わる。午後は図書室だ。遅れずに来い」

 ラウルはいつもの調子で威圧するように言い放つと、教本を脇に抱え、教室を出ようと扉を開けた。

「やあ、ラウル先生」

 そこに待ち構えていたのはサイファだった。軽く右手を上げ、にこにこと人なつこい笑顔を浮かべている。ラウルは思いきり嫌な顔をして睨みつけた。

「わざわざこんなところまで何をしにきた」

「おまえに用があるわけじゃないよ。私は……」

「お父さん?!」

 教室にいたアンジェリカは、戸口にサイファの姿を見つけ、大きく目を見開いた。すぐさま彼に走り寄る。ジークとリックも軽く走りながら、そのあとを追った。

「どうしたの? 何をしにきたの?」

「ラウルと同じことを言うんだね」

 サイファは苦笑いをした。

「誰でもそう思うだろう」

 ラウルは腕組みをして、冷ややかに彼を見下ろした。

「私は彼に話があって来たんだよ」

 そう言って、サイファは顔を上げジークを見た。アンジェリカもラウルも、彼の視線をたどって振り返った。

「オ……俺?」

 ジークは狼狽しながら自分を指さした。三人の視線に気おされ、思わず息を呑む。

 サイファはにっこり笑ってアンジェリカに振り向いた。

「そういうわけだから、ジーク君を借りてもいいかな?」

「私たちがいてはダメなの?」

「頼むよ、ね」

 口をとがらせるアンジェリカをなだめるように、その頭にぽんと手をのせた。


「ランチをふたつ」

 サイファはウエイトレスに告げると、窓際に席を取った。彼に促され、ジークはその向かいに腰を下ろした。

 高級感の漂うレトロなカフェといった装いのその店は、王宮内の奥の方にあった。昼どきにもかかわらず、特に混み合っている様子もなく、ゆったりとした時間が流れている。窓から外を見下ろすと、緑あふれる中庭が目に入った。噴水の水音が心地よく気持ちを和らげていく。

「ここは穴場でね」

 サイファは外を眺めながら、皮張りのソファにもたれかかり腕を組んだ。ジークもつられて外に目をやりながら、かすかにうなずいた。もっと人が入っても良さそうな、いい雰囲気の店なのに……。きっとここは高い店なのだろう、勝手にそう納得した。

「きのうはゴードン所長とランチだったのかい?」

 サイファはにこやかに振り向いた。ジークはぎくりとして体をこわばらせた。しかし、その展開は予想どおりでもあった。サイファが自分を連れ出したのは研究所のアルバイトの一件に関係がある、ということは想像がついていた。

「放課後だったので、食堂でコーヒーだけです」

 そう答えると、うつむいて膝の上でこぶしをぎゅっと握りしめた。

「せっかく気にかけてもらったのにすみません。断ってしまって……」

「謝る必要はないよ。君が決めることだ」

 サイファは優しくにっこりと笑いかけた。

「自分の力で進んでいきたい。君はそう思っているんだろう?」

「はい……」

 ずばりと言い当てられて、ジークは肩をすくめ小さくなった。自分の気持ちはすっかり見透かされているようだ。わずかに視線を上げ、ちらりとサイファの表情をうかがった。機嫌を損ねているようには見えない。先ほどまでと変わらず穏やかな笑顔をたたえている。

「その心掛けは立派だ」

 ジークはとまどいながら顔を上げた。怪訝にサイファを見る。彼は笑顔のまま表情を引き締めた。

「しかし、君の進もうとする道は、そう生やさしいものではない。目の前のチャンスを棒にふる選択をしていては、前に進んでいくことはできないよ」

 ジークは再びうつむいた。暗い顔で口を結ぶ。

「利用できるものは利用し、貪欲に好機を掴み取る。私を踏み台にして伸し上がるくらいの気概がなければね」

 サイファは優しい口調の中に、強さと厳しさを覗かせた。

「機を得たあとは実力次第だ。実力が伴っていなければ、いずれ淘汰される。今いる場所に見合うだけの、いや、それを大きく超える力をつけるよう努力していかなければならない。陰口をたたく者や反発をする者には、何も言えなくなるほどの力を見せつけてやればいい。私は今までそうやってきたよ」

 ジークはずっと下を向いたままだった。

「納得がいかないか」

 サイファに問いかけられても顔を上げられなかった。うつむいたまま、ためらいがちに口を開いた。

「……どうしてそこまでして上を目指すんですか?」

 サイファは目を見張り、少し驚いた表情を見せた。しかし、すぐにふっと表情を緩めた。窓の外に視線を移し、遠き日に思いを馳せるように、目を細め真摯に遥かを見やる。

「私にはプライドより大切なものがある。その大切なものを守るには力が必要だった――そういうことだ」

 そう言ってジークに向き直り、にっこりと笑いかけた。


「ねぇ、何の話だったの? お父さん」

 午後の授業が終わるなり、アンジェリカはジークに駆け寄って尋ねた。だが、彼はどこかうつろで、何か考えごとをしている様子だった。

「ああ……」

 何の答えにもなっていない気の抜けた返事。ゆっくりと鞄を肩に掛け立ち上がると、無言で図書室をあとにした。アンジェリカはムッとしながらも、小走りでそのあとについていった。本の返却に手間どっていたリックも、慌ててあとを追った。

 校門の外に出ると、ジークはふいに口を開いた。

「リック、俺、やっぱり研究所でアルバイトすることにした。悪りィ」

「あ、サイファさんに説得されたんだ」

 早い変わり身だが、相手がサイファでは仕方ないとリックは思った。雄弁なサイファなら、単純なジークを丸め込むくらいわけはないだろう。サイファに連れられていったときから、こうなる予感はしていた。

「説得……っていうんじゃなくて、なんていうか、プライドは譲れないものじゃねぇってことに気づかされたんだ」

 ジークは前を向いて淡々と語った。アンジェリカは怪訝な顔で、彼を覗き込むようにして見上げた。

「なにそれ。わかるように説明してくれる?」

 口をとがらせぎみにして問いかける。

「これ以上、説明しようがねぇよ」

 ジークは顔をそむけ、ぶっきらぼうに言った。アンジェリカは思いきり頬をふくらませた。しかし、すぐにあきらめたように軽くため息をつくと、鞄を胸に抱えて空を見上げた。

「私も研究所でアルバイトしてみたかったわ。どうして年齢制限なんてあるのかしら」

「サイファさんに頼めばなんとかなるんじゃない?」

 リックは思いついたことを軽い気持ちで言ってみた。しかし、アンジェリカは強く反発した。

「それはダメ!」

 けわしい表情で振り返る。

「お父さんの力とか、ラグランジェの名前とか、そういうものに頼りたくないの。自分の力だけでやっていきたいのよ」

 迷いなく、きっぱりと強い決意を口にした。

「そうだね」

 リックは素直に肯定した。にっこりとアンジェリカに笑いかける。ジークはばつが悪そうにうつむいた。

「まあ、私はしっかり勉強しておくことにするわ。ジークに負けないようにね!」

 アンジェリカは明るい声を空に弾けさせた。

「おっまえ……頑張りすぎじゃねぇか。俺、もう勝てる気しねぇ……いや、あきらめたわけじゃねぇけど……」

 ジークは口ごもりながら、あいまいにぼそぼそと言うと、顔をしかめ頭をかいた。

「私にだって譲れないものはあるわ」

 アンジェリカは急に真面目な口調になった。ジークはぽかんとして彼女を見た。彼女も大きな漆黒の瞳を、まっすぐ彼に向けた。

「ジークのことは好きだけど、絶対に負けるわけにはいかないのよ」

 そう言って、にっこりと大きく笑った。

「……あ、ああ、そうかよ」

「それじゃ、またあしたね!」

 彼女はふたりに手を振り、短いスカートをひらめかせ、元気に走り去っていった。

 ジークはその後ろ姿が小さくなるまで呆然と見送った。


「良かったね」

 リックはぽつりと言葉を落とした。

「な、なにがだ」

「好きだって」

 ほとんど点となった彼女を指さしながらさらりと言うと、頬を赤らめているジークに振り向いた。彼はますます顔を上気させ、カッと頭に血をのぼらせた。

「ば……良かねぇよ! 何の気なしに言っただけだろうが!」

「うん、まあそうだろうね」

 声を荒げむきになるなるジークに、リックは苦笑いしながら同意した。

「ったく……なんで俺がこんなうろたえなきゃなんねぇんだ、くっそぅ」

 ジークは手の甲で冷や汗を拭った。

「だいたいあいつは何であんな普通にあんなこと言いやがるんだ。まるっきりガキじゃねぇかよ。きっとあしたには言ったことすら忘れてんだぜ」

 独り言のようにぶつぶつと言いながら、腕組みをして眉間にしわを寄せる。そして、片眉をひそめ、くしゃっと髪をかきあげた。

「あー、なんかだんだん腹立ってきた」

「でも“譲れないもの”なんだよね」

 リックはにっこり笑いかけた。ジークは面くらって彼を見た。口を半開きにしたまま、再び顔が紅潮していった。

「知るかよ」

 ふてくされてぶっきらぼうに言い捨てると、踵を返し早足で歩き始めた。後ろから見ても耳まで赤くなっているのがわかる。

「待ってよ」

 リックは嬉しそうに顔をほころばせながら、駆け足で彼を追った。


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