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48. 幸せの虚像

「ジーク君!」

 馴染みのない声が、後ろから彼を呼んだ。透き通った可愛らしい感じの声である。

 並んで歩いていた三人はいっせいに振り返った。そこに立っていたいたのは、横だけ長めの黒髪ショートボブ風の少女だった。くりっとした黒い瞳をジークに向け、はつらつとした笑顔を見せている。アカデミーの生徒らしいが、クラスメイトではない。

「誰だ? なんで俺の名前……」

 ジークは眉をひそめ、怪訝なまなざしを送った。アンジェリカが知らない人に声を掛けられることはよくあるが、ジークにはほとんどない。彼がいぶかしがるのも当然だった。

「あははっ。君、けっこうな有名人よ。行動派手だもん」

 彼女は軽く笑い飛ばした。行動が派手ということには、ジークにもいろいろと心当たりはあった。入学早々ラウルに楯突いて腕を折ったり、VRMで気を失いかつぎこまれたり、ところ構わずアンジェリカと大声で言い合ったり、何かと目立つことは多かったかもしれない。しかし、まだ不信感は拭えない。

「で、おまえは誰なんだよ」

 じとっと睨みながら、ぶっきらぼうに尋ねた。彼女はにっこりと笑った。

「君らの1コ上のターニャ=レンブラント。ユールベルのルームメイトよ」

 三人の顔に緊張が走った。

「何の用……ですか?」

 ジークの口調が変わった。ひとつ上の先輩と聞き、丁寧になった。しかしそれだけではない。明らかにこわばっている様子が見受けられた。

「あの子、ここ三日、寮に帰ってきてないのよ」

「えっ?」

 アンジェリカは思わず聞き返した。ターニャは彼女に視線を移し、困ったように笑いながら肩をすくめた。

「アカデミーには来てるんだけどね。どこにいるのか、どうしてなのか、きいても何も答えてくれないの」

 そこまで言うと、ふいに彼女の顔に影が落ちた。それでもためらいがちに言葉を続ける。

「ただ、あなたのせいじゃないの……って言うだけで」

 わずかに目を伏せ、軽く数回まばたきをした。アンジェリカはその姿を無表情でじっと見つめていた。

「ラウルのところじゃねぇのか?」

 ジークは隣のアンジェリカに向かって、同意を求めるように軽くそう言った。

「それはないんじゃない? ルナちゃんがいるんだし」

 彼女はちらりと視線を返し、淡々と否定した。

「そうか、そうだよな」

 ジークは引きつり笑いを浮かべると、焦ったように同意した。

「でも、じゃあ、どこだっていうんだ? あいつ他に行くあてなんて……」

「それを知りたいわけじゃないのよ」

 ターニャが口をはさんだ。三人は驚いて彼女に顔を向けた。

「ただ帰ってきてほしいだけ」

 小さく肩をすくめると、さびしそうに笑ってみせた。

「でね、ジーク君。キミにお願いしたいのよ」

 急に元気な声になると、腰に手をあて少し前かがみになり、ジークを下から覗き込んだ。ジークは勢いに押され、わずかに身を引いた。

「ユールベルに帰ってきてくれるように頼んでくれないかな。キミの言うことならきくんじゃないかと思うから」

「……なんで俺なんだよ」

 ジークはターニャから目をそらし、はっきりしない声でごにょごにょと口ごもった。彼女に向かってというよりも、ほとんどぼやきである。

 しかし、彼女は意味ありげにニッと笑った。

「とぼけたって無駄よ、知ってるんだから。ユールベルがキミのこと好きだって。キミ自身も聞いてるはずよね」

「関係ない……ですよ」

 ジークは顔をそらせたまま、ますます表情を暗くした。アンジェリカのことが気になったが、振り向くことはできなかった。

「そんな冷たいこと言わないの!」

 ターニャは両手でジークの顔をはさみ、強引に自分の方へ向けた。軽く口をとがらせ、わざと怒ったような顔を作ると、まっすぐ彼の目を見つめた。

「いいでしょ、そのくらい。お願いね!」

 言い終わると同時にパチンと彼の両頬を叩くと、にっこりと笑いかけた。ジークは突然のことに、ただ驚いて呆然とするだけだった。鼓動の高鳴りはまだ鎮まらない。

「じゃね」

 ターニャが踵を返そうとしたところで、ジークはようやく口を開いた。

「どうしてそんなに一生懸命なんですか?」

 ターニャは黒い瞳をくりっとさせて、不思議そうに彼を見た。

「だって仲間だもん。それ以上の理由が必要?」


 立ち去るターニャの後ろ姿を見送りながら、三人は廊下に立ち尽くしていた。

「ジーク、どうするつもり?」

 アンジェリカは冷静な口調で尋ねた。

「どうって言われてもなぁ……」

 考えあぐねた苦い顔で腕を組み、そっとアンジェリカを盗み見た。彼女は心情の読めない表情で、廊下の先を見つめていた。

「……どうしたらいいと思う?」

 ジークは恐る恐る、だがそれを悟られないように尋ねた。

「私にきかれても……」

 アンジェリカは少しとまどったように口ごもった。

「いいんじゃないの? 言うだけ言ってみれば」

 リックは軽い調子でさらりと言った。ジークは不満そうな目つきを彼に流しながら、ため息をついた。

「まぁ気が重いけど仕方ないか」

「じゃあ、これから会いに行く?」

「いや、そのうちどこかでばったり会うだろ」

「やる気ないね」

 リックは苦笑いした。

「でもどうしてユールベルは家を出ていっちゃったんだろう。何かあったのかな」

「さっきの彼女のせい……かも」

 アンジェリカはぽつりぽつりとつぶやいた。

「え? いい人そうに見えたけど」

「そうじゃなくて」

 そう言ったあと、顔を曇らせて一瞬ためらいを見せた。だが、すぐに気を取り直し、冷静に言葉をつなげた。

「ほら、黒い髪に黒い瞳だったでしょう。私と同じで」

 感情を表に出さず、何も気にしていないかのように装う。そんな彼女を見て、ジークは胸が締めつけられた。

「バーカ、考えすぎだっ」

 つっかえを吹き飛ばすように声を張り上げると、アンジェリカの頭をコツンと軽く小突いた。


 カツン、カツン――。

 ひときわ耳につく靴音につられ、三人は顔を上げ前方を見やった。その靴音の持ち主はレオナルドだった。そして、彼の隣にはユールベルがいた。彼女はすがるように彼の袖をつかみ、一緒に歩いている。

 三人は一様にぽかんとして彼らを見た。向こうもこちらに気づいたらしい。レオナルドは冷たい視線を送りながら、そのまままっすぐ歩き続ける。

「さっそくばったり会っちゃったね」

 リックはなんとか平静を取り戻した。

「ていうかよ……」

 ジークはレオナルドを睨みつけた。レオナルドはジークの前まで来ると足を止めた。彼もジークを睨みつけている。リックとアンジェリカは不安そうにふたりを見守っていた。

「めずらしい取り合わせだな。テメー、ユールベルのことはよく知らないとか言ってなかったか?」

 ジークは腕を組みあごを上げ、ふてぶてしい態度で疑念を突きつけた。レオナルドは小馬鹿にしたように、鼻先でせせら笑った。

「知らなかったさ。三日前まではな」

 ジークははっとした。三日という言葉で、ふたつの事柄がつながった。眉をしかめ、信じたくないという顔で、ユールベルに視線を移す。

「……まさか、コイツのところにいるのか?」

 彼女は無反応で、ただ彼を静かに見つめるだけだった。

「おまえには関係のないことだ」

 レオナルドはユールベルの肩を引き寄せ、反対の手でジークを払いのけようとした。

「待てよ」

 ジークはその手首を素早くつかむと、ギリギリときつく力をこめた。

「どういうことだ。何を考えてる。説明しろ」

 レオナルドは顔をしかめながら、ジークの手を振りほどいた。彼の手首には指の形が白くくっきりと残っていた。ムッとして不機嫌をあらわにし、冷たく一瞥した。

「みっともないな。嫉妬か?」

「そんなんじゃねぇよ」

 ジークは少しむきになって否定した。そして、レオナルドにかばわれるようにして身を寄せているユールベルに目を移した。真剣な表情で語りかける。

「ユールベル、なんとかいう寮の先輩が心配してたぞ」

「ターニャさんだよ」

 リックは間髪入れずに補足した。ジークはユールベルに向かったまま話を続けた。

「帰れよ。こんなヤツのところにいたってロクなことにならねぇ。自棄になんな」

 真摯で静かな説得。それでもユールベルは眉ひとつ動かさない。ただじっと視線を返すだけだった。

「何も知らないくせに、いいかげんなことを言うな」

 レオナルドはユールベルを背中に隠し、ジークを鋭く睨みつけた。ジークもカチンときて睨み返した。

「テメーこそユールベルの何を知ってるってんだ」

 それを聞くと、レオナルドはうつむいて目を閉じ、ふっと小さく笑った。

「おまえよりは知っているかもな」

 彼の余裕の態度と意味ありげな言い方が、ジークを不快にさせた。しかし、それ以上の深い追求の言葉は、なぜか出てこなかった。ただ苦い顔を見せることしかできない。

 レオナルドは再び顔を上げた。まっすぐジークの目を見つめ、小さく口を開く。

「ふたりだけで話をしたい」

 思いもかけない言葉に、一瞬ジークは目を見開いた。しかし、すぐにニッと口端を上げ、挑むように不敵に笑いかけた。

「いいぜ。テメェとは一度じっくり話をつけたかったんだ」

「ちょ……ジーク!!」

 アンジェリカは慌てふためいた。ジークの背に軽く握った手をのせ、後ろから見上げる。それでも彼は振り返らない。真剣な表情で何かを考えている。

「リック、アンジェリカを送ってやれ。家までだぞ」

 ジークは静かな低い声で、背後のリックに告げた。

「うん、わかった」

 リックは身を引き締めて答えた。しかし、アンジェリカがそんなことを素直にきくはずがない。

「勝手に決めないでよ!」

 甲高い声をあげ、ジークの正面にまわり込んだ。

「私も行くわよ」

 強気な瞳を彼に向ける。しかし、彼も少しも引かない。

「それじゃ意味ねぇだろ! これは俺とヤツとの問題なんだ」

 ジークは親指でレオナルドを指さした。

 そのレオナルドは、ジークに背を見せ、ユールベルと向き合っていた。彼女の頬を手で包み込み、何かを耳打ちする。そして、無表情の彼女の口元に、自分の唇を軽く重ねた。

 三人は唖然として言葉を失った。

 レオナルドはユールベルから離れ、ジークに向き直るとあごで彼を促した。ジークはその横柄な態度にムッとして舌打ちした。互いに嫌な顔を作りながら、ふたりは連れ立ってどこかへ歩いていった。

 リックは、いまだ呆然としているアンジェリカの肩にポンと手を置いた。彼女はようやく我にかえった。


「で、あなたは何を企んでいるわけ?」

 アンジェリカはユールベルに振り向くと、腕を組み強気な態度で挑んだ。ユールベルはまだジークたちの消えていった方を眺めていた。

「ジークが駄目だとわかると、今度はレオナルドに好きだとか言って味方につけた。それで、どうするつもり?」

 問いつめるように語気を強める。額に冷たい汗がにじむ。

「アンジェリカ、帰ろう」

 リックは焦ったように口をはさんだ。しかし、アンジェリカは彼を無視し、彼女の答えを待った。

 ユールベルは右目を細め、ゆっくりとアンジェリカに振り向いた。

「言ってないわよ。レオナルドに好きだなんて」

「えっ……」

 アンジェリカは小さく声をもらす。

「私が好きなのはジークだけ。何度も言わせないで」

 透き通った蒼い瞳をアンジェリカに向け、淡々とそう言った。無表情で何を考えているのかわからないが、少なくとも嘘を言っているようには聞こえなかった。アンジェリカは何も返すことができず、黙り込んでしまった。

 沈黙が続く。

 アンジェリカがこらえきれず目を伏せると、それを契機にしてユールベルは歩き去っていった。

「帰ろうよ、アンジェリカ」

 リックは後ろから声をかけた。あたたかく包み込むような声。アンジェリカはこくんと頷いた。


「なんだか何もかもよくわからなくなってきたわ」

 アンジェリカはオレンジがかった空を仰いで、口をとがらせた。冷たくなってきた空気が頬を撫で、黒い髪をさらさらと流す。家まではまだ遠い。

「何もかもって?」

 並んで歩いていたリックが、彼女に目を移しながら尋ねた。

「ユールベルのことも、レオナルドのことも、自分のことも、よ」

「自分?」

 アンジェリカはうつむき顔を曇らせた。

「ユールベルと仲良くしたいと思っていたわ。昔のように、また笑いあえたらって」

 ふっと小さくため息をつく。

「でも実際彼女を目の前にすると、なんだか頭にきてばかり」

 リックを見上げ、寂しそうに笑うと肩をすくめた。リックはそんな彼女を見て、ふいに表情を和らげた。

「仕方ないよ。彼女、ジークのこと好きだとか言ってるしね」

「……? どういうこと?」

 アンジェリカはきょとんとして目をぱちくりさせた。リックはその反応に驚いた。それと同時に、どうやら自分は口を滑らせてしまったらしいことに気がついた。

「え……と、うーんと、なんて言ったらいいのかな」

 あたふたしながら、どうやって取り繕おうかと言葉を探す。しかし、アンジェリカはそんなリックに構うことなく、さっさと話題を変えた。

「でも、ユールベルが言っている好きって、何か少し違う気がするの。リックはどう思う?」

「難しいことを訊くね」

 リックは答えに困って、ごまかし笑いをした。アンジェリカは再び空を仰いだ。

「好きとか嫌いって、いちばん単純でわかりやすい感情だと思っていたのに……」

 リックはそんな彼女を優しく見守るように、にっこりと笑顔を浮かべた。

「そうだね。単純だから奥が深いのかもしれないね」


「おい、どこまで行く気だ」

 ジークはむすっとして言った。もうアカデミーを出てから 30分近く歩き続けている。しかも、彼の家とは正反対の来たこともない道だ。紅く染まった空を、藍色の闇が侵食していく。不安と不満が募る。

「誰にも聞かれないところだ。もう歩き疲れたのか?」

 レオナルドは嫌味たらしくニヤリと笑った。ジークは一瞬カッと頭に血がのぼったが、なんとか自制し、掴みかかろうとする衝動を抑えた。

「やわなおぼっちゃんと一緒にすんな」

 うつむいて小石を蹴り、吐き捨てるように言った。

 やがて視界の開けたT字路に差しかかった。ところどころ薄汚れた白いガードパイプが、道にそって長く続いている。レオナルドはその切れ目から幅の狭い石段を通り、下へ降りて行った。ジークも後に続いた。急に視界が白くなり、まぶしさに目を細める。そこにはさらさらと音を立てる清流と、白い川原が広がっていた。歩きながらあたりを見回す。片側は川、片側は土手、あとは川原が広がるのみ。確かにここなら誰かが近づいて来れば、砂利を踏みしめる音ですぐにわかるだろう。ジークは悔しいが納得した。

 レオナルドは川原の真ん中まで来ると立ち止まった。ジークもその後ろで足を止めた。ふたりの影は土手近くまで長く伸びている。

「さて……」

 レオナルドは腰に手をあてうつむくと、面倒くさそうにゆっくり振り返った。ジークは体中に緊張を走らせ、小さく身構えた。

「困ったことに、ユールベルはおまえのことが好きらしい」

「は??」

 思いきり対決する気になっていたジークは、肩すかしを喰らわされたように感じた。

「こんなバカでがさつで品性のかけらもない奴のどこがいいのか、まるで理解できないがな」

「んだと?!」

 レオナルドが冷たい顔で淡々と畳みかけると、ジークはカッとして声を荒げた。しかしすぐにはっとして眉をひそめた。

「って、ちょっと待て。じゃあ、おまえとユールベルの関係はなんなんだ」

「さあな。何なんだろうな」

 レオナルドはズボンのポケットに手を突っ込み、深くうつむくと、足元の小石を蹴りつけた。とぼけているのか、本心なのか、ジークには判断がつかなかった。ただ、まだ聞かなければならないことはある。キッと顔を引き締めた。

「おまえら、三日前まではほとんど面識もなかったとか言ってたな。それが……」

 レオナルドの瞳の奥を探るように、じっと鋭く睨めつける。

「この三日間に何があった。何を企んでやがる」

 声を低めて問いつめた。レオナルドは冷たく睨み返した。

「おまえは消えろ」

 答えの代わりに、唐突の命令。

「な……に?!」

「二度とユールベルの前に現れるな。おまえのことを忘れない限り、あいつは幸せにはなれない」

 ふたりの間を冷たい風が通り抜けた。互いに目をそらそうとはしない。レオナルドはさらに付け加えた。

「あいつは俺が救ってやる」

 どこか思いつめたような言葉。いつものような刺々しさはない。ジークには、それが嘘や出任せだとは思えなかった。

「俺だって、会うつもりなんかねぇよ。仕方ねぇだろ。同じアカデミーに通ってんだぜ」

 困ったように眉をひそめる。いつものように喧嘩腰で突っかかる気にはなれなかった。だが、レオナルドには歩み寄るつもりはなかった。

「ならアカデミーを辞めろ」

 ひどく短絡的に命令する。ジークは途端にいきり立った。

「テメー勝手なこと言ってんじゃねぇ! そっちこそ辞めろ!」

「おまえのせいで辞めるなんて、まっぴらだ」

「言い出したのはそっちだろ!」

 わがままに噛み合わない受け答えをするレオナルドに、ジークはますます憤激して大声をあげた。

 互いに、熱く冷たく睨み合う。

 やがてジークは目を伏せ、ふうっとわざとらしくため息をついた。それから再び顔を上げると、厳しい視線を突きつける。

「ユールベルが好きなら、テメー自身でなんとかするんだな。勝ち目がねぇからって、俺に消えろだなんて、甘ったれんな」

 レオナルドは絶句した。歯をぎりぎりと軋ませ、悔しそうにジークを睨みつける。そして、低く唸るように言った。

「……おまえは首を突っ込みすぎなんだよ。ラグランジェ家にな」

 ジークは少し驚いたように目を見開いた。

「アンジェリカのことも、ユールベルのことも、俺たち一族の問題だ。よそ者が関わるべきことじゃない」

 抑えきれない嫌悪感と激しい拒絶を表情で示す。ジークは腕を組み、冷たく睨み返しながら、小さく息をついた。

「別に首を突っ込むつもりはなかったぜ。結果的にそうなっちまっただけだ」

「どうせあいつがペラペラしゃべったんだろう」

 レオナルドは顔をしかめて、吐き捨てるように言った。ジークは目を瞬かせた。

「あいつ?」

「能天気なご当主サマさ」

 いらつきを隠さず、蔑むように言った。

「……サイファさんのことか?」

「あいつには当主としての自覚がない。ラグランジェ家内部のことを軽々しく部外者に口外して、それがどれほど危険なことか考えもしない」

 ズボンのポケットに手を突っ込み、ジークに背を向けると、川原の小石を蹴り飛ばした。いくつか飛び散ったうちのひとつが小さく弧を描き、ぽとんと清流に飛び込む。乱された水面は、すぐに緩やかな流れに呑み込まれた。

「ラグランジェ家が、名門としてこれだけ長く続いてきたのは、なぜだかわかるか」

 川面を見つめながら、ジークに問いかける。ジークには答えがわからなかった。口を結び、ただ沈黙を返す。レオナルドは顔半分だけ振り返り、鋭い視線を流した。

「保守的で閉鎖的だったからだ」

 ジークの背筋に冷たいものが走った。

「家の不祥事は内々で処理する。決して部外者には口外しない。それが厳格なルール。それをあいつは……」

 のどから絞り出すような声でそこまで言うと、言葉を詰まらせた。柔らかな金髪が、風を受け緩やかに波打つ。

 ジークは額に汗をにじませ、レオナルドの後ろ姿をじっと見据えた。

「俺にはサイファさんの方が、よっぽど正しく思えるぜ」

 レオナルドは鼻先で笑った。

「正しいか正しくないかなんて意味がないさ。家を守ることがすべてなんだからな」

 ジークは眉をひそめた。その言葉に対する嫌悪感、レオナルドに対する不快感、得体の知れない恐怖感がわき上がる。

「サイファさんが守りたいのは、家じゃなくて、家族なんだろ」

「笑わせるな! その家族を不幸にしたのは、あいつ自身なんだぞ!!」

 突如、大声をあげると、感情まかせにジークに振り返った。その瞳には、激しい怒りが宿っていた。ジークは目を見張り、絶句した。

「アンジェリカが呪われた子と言われているのも、あいつが……」

 レオナルドはそこまで言って口をつぐんだ。ふいに目をそむける。

「な……に? なんだオイ!」

 ジークは彼に詰め寄った。

「しゃべりすぎたな」

 レオナルドはそう言って再び背を向けようとしたが、ジークがそれを許さなかった。胸ぐらに掴みかかり、乱暴に引き寄せる。

「最後まで言えよ! 力づくでも吐かせるぞ!」

 さらにじりじりと顔を近づけていく。そして、右のこぶしを彼の視界にねじ込んだ。

「おまえにはこぶしでも魔導でも、負ける気がしねぇぜ」

 しかしレオナルドは平然としていた。胸ぐらをつかまれたまま冷笑する。

「やれるものならやってみろ。この暴力野郎」

「……くっ」

 ジークは奥歯を軋ませながら、やり場のないこぶしを震わせた。

「くそっ!!」

 空に向かい叫び声をあげると、レオナルドを川に突き飛ばした。彼はバランスを崩し、背中から浅瀬に倒れ込んだ。その体の上をせせらぎが走り、あっというまに全身ずぶ濡れになった。水は身を切るように冷たい。顔をしかめながら、川底に手をつき、重々しく上体を起こした。柔らかくカールした髪から水滴が滴り落ちる。ゆっくりと顔を上げると、ジークを睨み上げた。

 ジークは不機嫌な顔で睨み返した。そして、小さく舌打ちすると、背を向け歩き出した。

「バカが、一生ひとりで悩んでろ!!」

 レオナルドは去りゆく後ろ姿に言葉を吐き捨てた。


 ジークは重い足どりで石段をのぼっていった。ふいに気配を感じ、顔を上げると、上の道路にユールベルの姿を見つけた。なぜ彼女がここに……。ジークは一瞬どまどったが、レオナルドが彼女に何かを耳打ちしていたことを思い出した。どういうつもりかはわからないが、おそらくあのときに行き先を告げたのだろう。

 彼女はためらうことなくトントンと細い石段を降りてきた。ふたりは向かい合い、足を止めた。

「レオナルドのところに行くのか? ……やめろよ」

 複雑な表情で、疲れたように力なく言った。ユールベルは無表情でジークを見下ろした。

「そう思うのなら止めて」

「止めてるじゃねぇか」

「行動で示して」

 まっすぐジークを見つめる。彼女が何を望んでいるのか、だいたいの察しはついた。

「悪い……」

 ジークは逃げるように目をそらした。

 ユールベルはそれ以上、何も言わなかった。狭い石段で、腕をぶつけながらすれ違うと、小走りで駆け降りていった。頭の後ろで結ばれた白い包帯を揺らしながら、岸に上がろうとしたレオナルドに走り寄っていく。ザプザプと靴のまま、水際に踏み入れる。

「濡れるぞ」

「そういう気分よ」

 ユールベルはレオナルドの首に腕をまわし、すがるように抱きついた。レオナルドから滴る水とびしょ濡れの服が、彼女をじわりと濡らす。彼女の体温が、冷えた彼の体に安堵をもたらす。レオナルドは彼女の背中に手をまわし、その手に力を込めた。


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