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34. 友達だった

 ガチャッ。

 ラウルはノックもせずに扉を開け、蛍光灯の光が満ちた部屋へ足を踏み入れた。

 魔導省の塔、その最上階の一室。サイファは中央の机につき、書類に目を通していたが、その音につられ、わずかに顔を上げた。しかし、ラウルの姿を確認すると、何もなかったかのように再び手元に視線を戻した。そして、羽ペンを手に取り、書類の上に走らせ始めた。

 ラウルは後ろ手で扉の鍵を閉めた。

「おまえの欲しがっていたものだ」

 サイファの方へ歩を進めながら、四つ折にされた紙をかざした。それを見て、サイファはようやくニッコリ笑った。

「恩に着るよ」

 ラウルがそれを机に置くと、サイファは間髪入れず手に取って広げた。数枚にわたるその紙には、細かい文字や数字がびっしり書き込まれていた。左上には「極秘」と判が捺してある。本来、朱色で捺されているはずだが、その紙には黒く写っていた。どうやら原本ではなくコピーのようだ。

「ばれたら私はクビだ」

 ラウルは腕を組み、食い入るように文字を追っているサイファを冷ややかに見下ろした。

「私もクビどころでは済まないだろうな」

 サイファはさらりとそう言うと、顔を上げた。そして、ラウルに挑戦的な視線を投げかけ、小さくニッと笑った。

「でも、おまえなら上手くやってくれると思った」

「勝手なことばかり言うな。おまえはそういってすぐに私を利用する」

 ラウルはむっとして言い返した。

「そうだな。なら今度はコーヒーでも入れてもらおうか」

 サイファは冗談とも本気ともつかない口調でそう言うと、再び極秘文書に目を通し始めた。

「……用がないのなら帰るぞ」

「急ぐ必要はないのだろう? 久しぶりにここから朝焼けを見ていったらどうだ。椅子はそこだ」

 サイファは紙から目を離さずに、部屋の隅に立て掛けられたパイプ椅子を指さした。

「それからコーヒーはその戸棚の中」

 今度は返す手で反対側を指さした。


 ラウルがコーヒーを淹れ終わる頃、サイファも最後の一枚を読み終えた。

「何かわかったか」

「いいや。だが、真実に近づくヒントにはなった」

 そう言うと、サイファはくしゃっと紙を握って丸め、短く呪文を唱えた。手の中央から白い閃光が走り、その紙は一瞬にして細かな灰となり飛び散った。

「一度見ただけ、か。相変わらず覚えが早いな」

 ラウルは淹れたてのコーヒーをふたつ持って歩いてきた。そのひとつをサイファへ差し出す。彼はにっこり笑ってそれを受け取った。

 ラウルは蛍光灯を消し、カーテンを開けた。

 大きな窓に映し出された空は、まだ深い紺色だった。しかし、地平に近い部分はだいぶ薄くなり始めていた。まもなく夜が明ける――。


 サイファは薄暗がりの中でコーヒーを一口飲むと、ほっとして大きく息を吐いた。

「おまえの淹れるコーヒーは最高だ」

「話せ。気がついたことがあるのだろう」

 ラウルは彼に振り向いた。暗がりの中にほんのりと浮かび上がったサイファの端整な横顔から、笑みはもう消えていた。

「いくつかある。最も気になったのは、おまえも気がついただろうが、魔導耐性値だ。この価のみが突出している。他の数値との差を考えたら異常だ。よほど片寄った訓練を行ったか、あるいは長年にわたって異常な状況下に置かれたか、だな」

 サイファはひとことひとこと丁寧に述べていった。そして一区切りつくと、コーヒーを口に運んで、小さく息を吐いた。

「思い当たることがあるのか」

 ラウルが尋ねると、一瞬、サイファの瞳に陰がさした。

「彼女の家の二階には、常に結界が張られていた。おまけに偽装されていたんだ。おかげで最近まで気がつかなかったよ」

 冷静に答えたが、その中に若干の自責がにじんでいた。ラウルは無表情で彼を見つめ、パイプ椅子に腰を下ろした。ギシ、と安っぽい音が響いた。

「彼女はずっとその結界の中にいたということか」

「ああ、おそらく」

 サイファは息を吐きながら、背もたれに身を預けた。目を細め、天井を見つめる。

「二階すべてに結界、しかも常時、そのうえ偽装となるとかなり厄介だろう」

「バルタスなら出来るよ。そこまでの労力を払って結界を張る理由、そして結界を悟られたくない理由として、考えられるのはふたつ」

 サイファは淡々と言い、指を二本立てた。

「ひとつは家族ぐるみで秘密裏に特訓をしていた。もうひとつは、何らかの理由で彼女をそこに閉じ込めていた」

 指折りながら可能性を上げる。ラウルは腕を組み、口を開いた。

「魔導耐性値のみが高いことを考慮すると、後者だろうな」

「私もそう思う。あれ以来、ずっと彼女を見かけなかったからね」

 サイファは同意した。ラウルは彼にちらりと視線を走らせた。

「彼女の目的はおまえたちへの復讐か」

「私たちだけではないかもしれない」

 サイファは眉根を寄せ、重々しい表情を見せた。

 ラウルは立ち上がり、窓枠に手をついた。外はもうだいぶ明るくなっていた。東の空は赤く染まり、濃青色へとグラデーションが広がる。そして灰色の雲が相反する色を繋ぐ。夜明けのごく短い時間にだけ見せる、色鮮やかな光景だ。

 サイファも椅子をまわし、ラウルの隣でその光景を眺めた。朝の光を浴び、柔らかく表情を緩める。

「これが夜勤の唯一の楽しみなんだ」

「所詮は作り物だ」

 ラウルは目を細めて、遠く、空の果てのその向こうを見つめていた。

「故郷が恋しくなったか?」

 サイファは挑発するように声を掛けた。ラウルはムッとして背を向け、大股で戸口に向かって歩き始めた。

「いつか見せてくれないか。作り物ではない、果てない空というやつを」

 サイファは去りゆくラウルの背中に声を投げかけた。ラウルは扉に手を掛け、顔だけわずかに振り返った。眉をひそめサイファを睨みつける。

「あまり私をからかうな」

 サイファは返事をする代わりに、にっこりと満面の笑顔を返した。


「……ジーク。気持ちは嬉しいけど、そんなのじゃ今日一日だってもたないわよ」

 アンジェリカは、一歩前を歩くジークの背中に、少し困ったように声を掛けた。ジークはずっと左右をきょろきょろ見渡し、すぐにでも応戦できるよう少しも気を抜かないで構えている。

「いつ何があるかわからねぇだろ」

「それはそうだけど……」

 アンジェリカはリックと顔を見合わせ肩をすくめた。リックも苦笑いしながら、同じポーズを返した。


 今日がアカデミーの入学式である。すなわち、今日からユールベルやレオナルドが、このアカデミーに通ってくるということだ。ジークの過度の警戒はそのためだった。

「リック、後ろ見てるか?」

 ジークは前を向いたまま、張りつめた声でリックに問いかけた。

「ちゃんと見てるから心配しないで」

 リックはアンジェリカと並んで歩きながら、軽く答えた。ふたりは再び顔を見合わせて、声を立てずに笑いあった。


「お嬢さま」

 背後からの声に、アンジェリカの笑顔が凍りついた。

「いいかげん、私につきまとうのはやめたら?」

 思いきり顔をしかめて振り返ると、その声の主、レオナルドを睨みつけた。レオナルドは硬い表情で棒立ちになっていた。柔らかいブロンドだけが、風になびき揺れている。

 前を歩いていたジークは、慌ててふたりの間に割って入った。右手でアンジェリカを庇い、レオナルドをキッと睨みつけた。

「リック! 見てたんじゃなかったのかよ!」

「平気よ」

 リックが口を開くより先に、アンジェリカが冷たく言った。

「こいつはラグランジェ家の敷地内でしか強気に出られないんだから」

 行く手を阻むジークの腕を静かに下ろし、彼女は一歩前に出た。顔を上げ、強い意志を秘めた瞳をレオナルドに向けた。

「もう、おまえをどうこうするつもりはない。この前おまえに謝ったのは本心だ」

 レオナルドは静かに言った。

「どういう心境の変化?」

 アンジェリカは腕を組み、疑わしげに眉をひそめた。

「子供じみたことは、もう卒業するってことさ」

「…………」

「同じラグランジェ家の者どうし、仲良くしよう」

 あまりにも意外なレオナルドの言葉に、アンジェリカは動揺を隠せなかった。

「関係ないわ」

 乾いた声でそれだけ言うと、踵を返そうとした。だが、ふとあることが頭をよぎり、再びレオナルドに顔を向けた。

「あなた、ユールベルって知ってる?」

 隣のジークは驚いてアンジェリカに振り向いた。アンジェリカはまっすぐレオナルドを見上げ、彼の答えをじっと待っていた。レオナルドは怪訝な顔をしながらも、アンジェリカから目をそらさずに口を開いた。

「今年アカデミーに入る子だろう? でも、もう何年も見てないし、よく知らないな」

「そう」

 アンジェリカは、これ以上何も聞きだせそうもないと判断し、レオナルドに背を向けようとした。そのとき――。

「でも、おまえたちは友達なんだろう?」


 アンジェリカは唐突に脳と心臓をわしづかみにされたように感じた。額に汗がにじんで、目の前がかすみ、足がよろけた。

「アンジェリカ!」

 ジークが崩れ落ちるアンジェリカを支えた。リックも反対側に回りこんで、彼女に手をまわした。

「大丈夫、軽いめまいよ」

 アンジェリカはふたりを心配させまいと嘘をついた。しかし、ふたりはすぐに見破った。彼女の身に起こったことは、ただのめまいなんかではない。もしかしたら、サイファの言っていた「アンジェリカの記憶」に関係があるのかもしれない。

 ジークはやりきれない思いを怒りに変え、レオナルドにぶつけた。

「テメエ、でたらめ言ってんじゃねぇ!」

 胸ぐらをつかみ、額がくっつかんばかりに顔を近づけた。暴力的な行為に慣れていないレオナルドはたじろいだ。だが、すぐにジークの手を払いのけ、襟をビシッと引っ張り形を整えた。

「そう思うなら他の人に聞いてみればいいだろう」

 そう言ったあと、ジークを流し見て、鼻先で小さく笑った。

「いい気なもんだ、ナイト気取りか。上手いこと取り入ったな。ラグランジェ家にひいきにされれば、なにかと都合がいいだろう?」

「な……に?」

 ジークは固くこぶしを握りしめた。目の前の薄ら笑いの男に、このこぶしをめり込ませたい。その衝動を抑えるのに必死だった。

「いいかげんにして!」

 アンジェリカがリックの手を振りほどき、ふたりの間に飛び出してきた。レオナルドと向かい合い、息の届く距離まで間をつめると、下から睨み上げた。

「これ以上、私たちに絡むようなら、私が平手打ちをおみまいするわ」

 アンジェリカは低い声で言うと、勢いをつけて背を向けた。彼女の舞い上がった黒髪が、レオナルドの胸元をかすめた。

 ジークとリックもレオナルドを一睨みした。ふたりはアンジェリカを追いかけ、三人で玄関へと歩いていった。


 アンジェリカは授業もうわの空で、ずっと考え込んでいた。

 ユールベルっていう子と私が友達? 本当なの? だとしたら、どうして私は何も覚えていないの? そして、あの痛みはなんだったの? あのときのレオナルドのセリフを思い出すたびに、頭に鈍痛が走る。頭の中に薄い靄がかかったように、何かが見えそうで、見えなくて、もどかしい。


 ラウルはそんな彼女の様子に気がついていた。休憩時間になるとこっそりリックを呼び出した。ジークよりは素直に話してくれると踏んだのだろう。

「何かあったのか?」

 人通りのなくなったところで、ラウルが切り出した。リックは話していいものか、少し迷っていた。ジークが知ったら怒りそうだ。だが、ラウルはラグランジェ家の事情にも詳しい。それに、アンジェリカの主治医でもある。彼は気持ちを決めた。今朝起きたことを、一通り要点をかいつまんでラウルに説明した。

「わかった。もう行っていい」

 ラウルはそう言っただけで、リックの話について何もコメントはしなかった。

「……アンジェリカは大丈夫なんですか?」

 リックはおずおずと尋ねた。それが、彼のもっとも気になることだった。

「おまえたちにできるのは、一緒にいてやることだけだ」

 はぐらかされたと思ったが、それ以上の追求はしなかった。もういくら尋ねても無駄だと思ったからだ。答えなかったのが彼の意思なら、そう簡単に気持ちを変えたりはしない。

 リックはラウルに一礼すると、教室へと戻っていった。


 昼になり、三人は食堂へ向かった。

「もういいのか、その、体は」

 ジークは言葉を選びながら尋ねた。

「ええ、ただの軽いめまいだもの」

 アンジェリカは笑ってみせた。


 角を曲ったところで、ジークは背の低い誰かとぶつかった。

「あっ……」

 かぼそい声を出して、相手の子はよろけて横に崩れた。

「大丈夫か……あっ」

 ジークは息を呑んだ。ウェーブを描いた鮮やかな金髪、右目を覆った包帯、折れそうに細い脚と腕――。これは、多分、ユールベルだ。

 他のふたりもそのことに気がついたようだ。アンジェリカは息を呑み、顔をこわばらせていた。

 ジークは自分の後ろにアンジェリカを隠した。

「ごめんなさい。片目がふさがっているから距離感がつかめなくて」

 少女は弱々しい声でそう言うと、ほこりを払いながら立ち上がった。

「あ、アンジェリカじゃない」

 彼女は、ジークの後ろのアンジェリカを目ざとく見つけた。ジークはアンジェリカを後ろにかばったまま、じりじりと後ずさった。

「私、ユールベルよ。忘れたの?」

 アンジェリカを見つめ、平坦な声でそう言うと、一歩、また一歩と近づいてきた。

「どういうつもりだ」

 ジークは低くうなった。

「どういうって……私はただ、久しぶりに会った友達と再会を祝いたいだけよ」

 友達、という言葉に、三人は敏感に反応した。

 アンジェリカは再び頭と胸に激しい痛みを感じた。そのうえ、頭の中をぐるぐる掻き回されているように気持ちが悪い。視界が狭まり、目を開いているのに真っ暗でなにも見えなくなった。ジークの背中をつかみ、寄りかかるように倒れこんだ。

「お、おい!」

 ジークは後ろ手でアンジェリカを支えながら、ゆっくりと膝をつき、彼女をその場に座らせた。それから素早く振り向くと、ふらつく彼女の上半身を支えた。ジークの腕に身を預け、アンジェリカは息苦しそうに喘いだ。

「体調が芳しくないようね。積もる話はまた今度にしましょうか」

 リックは呆然とユールベルを見つめた。彼女はさらに一方的に話を続けた。

「また昔みたいに楽しく笑いあえるといいわね」

 ユールベルは白いワンピースのスカートを軽く持ち上げると、膝を曲げ、頭を垂れた。

「それではまた……小さな先輩」

 その言葉を残し、彼女はその場を立ち去った。

 ジークは遠ざかる軽い足音を後ろに聞きながら、くやしそうに歯を食いしばった。

「さっぱりわからねぇ。ユールベル……あいつは終始無表情で淡々としていた。言葉づかいは普通なのに、まったく感情がこもっていないみたいだ。なんかちぐはぐで調子を狂わされる」

「うん。本気なのか、冗談なのか、からかっているのか、全然わからないね」

 リックは軽く握った手を口元にあて、深く考え込んだ。

 ジークの腕の中で、アンジェリカが身をよじった。

「私は、なにか、大切なことを、忘れているのかもしれない……」

 ほとんど声にならない声で、アンジェリカはつぶやいた。

「今はなにも考えるな」

 ジークはアンジェリカの頭に優しく手を置いた。

 アンジェリカは目を細め、まぶたを震わせ、白い天井を見つめていた。


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