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31. 動揺

 アカデミーの正門脇を取り囲むように、人だかりが出来ていた。ざわめきの中からときおり悲鳴にも似た歓喜の声が上がる。

「そっか。今日が合格発表だったんだ」

 少し離れたところからその様子を眺めていたリックが、小さく頷きながらつぶやいた。隣にいたジークもじっと群衆を見つめていた。

 一年前の合格発表のとき、アンジェリカと出会った。そして初めて味わった敗北。傷つけられたプライド。

 最悪の出会いだった。

 そのときまで信じていたものが、いかに小さなものだったのか――。あれからいろいろな経験を重ねた今なら、素直にそれを認めることができる。しかしそのときはただ、自分を負かした小生意気な少女を憎らしく思うことしか出来なかった。

「あれからもう一年になるんだね」

 リックの声でジークは我にかえった。リックも一年前のことを思い出していたのだろう。その声からは近くて遠い日々を懐かしむ気持ちがにじみ出ていた。

「おはよう」

 いつの間にか近くまで来ていたアンジェリカがふたりに声を掛けた。そして、少し肩をすくめて見せた。

「すごい人ね。去年はここまで多くなかったと思うけど」

 合格発表を見ようと押し合う人々は、正門前まで溢れ返っていた。受験生だけでなく、その家族や興味本位の在校生も多く集まっていたようだった。

 その中からひとりの少年が身をかがめ、つまずきながら出てきた。背が高く、痩せてひょろりとしている。クラスメイトのダンだった。

「アンジェリカ、おはよう!」

 アンジェリカに気がつくと、手を振りながらまっすぐに走り寄ってきた。もみくちゃにされた髪を手ですき直していたが、あまり効果はなかった。

「おはよう」

 アンジェリカは挨拶を返しながら、不思議そうに首を傾げた。彼とはあまり話をしたこともなく、特に仲が良いというわけではなかった。

「今、そこで合格発表を見てきたんだけどさ」

 ダンは興奮ぎみにまくしたてた。両こぶしを堅く握りしめ、顔を輝かせている。

「すげーな! 今年も入ってきたんだな、ラグランジェ家の子。しかもふたりも!」

「え?」

 アンジェリカはダンを見上げ、目を見開いた。

「うそ? 誰?!」

 踵を上げて一歩ダンに踏み出すと、短く問い詰めた。彼はアンジェリカの激しい反応に少したじろいだ。

「あ、ああ。女と男とひとりづつだったかな。名前は……、えーと、なんだっけ」

 そう言うと、何とか思い出そうと、目を閉じ額に手を当てた。

 しかし、アンジェリカは彼を待たず、群衆へ向かって走り出した。ジークとリックも、眉をひそめ顔を見合わせると、そのあとを追っていった。

「思い出した! 男の方はレ……」

 ダンが目を開けたときには、もう周りには誰もいなかった。


 アンジェリカは人垣に阻まれ、中に進めずにいた。

「ワリィ、ちょっと開けてくれ」

 ジークがアンジェリカをかばうように後ろから肩を引き寄せると、無理やり道をこじ開けながら進んでいった。

「ちょっ……」

 ジークの強引なやり方に、アンジェリカはとまどいの声を上げた。

 リックはジークの背中にくっつくようにしてついていった。「すみません」としきりに周りに謝っていたが、あまり効果はなかったようだった。押しのけられた人々は文句を言いながら、ジークたちを睨んでいた。しかし、何人かはアンジェリカに気がつき「ラグランジェ家の……」と囁きあっていた。

 刺すような視線を背中に浴びながら、三人はいちばん前に躍り出た。

 アンジェリカは壁に張られた紙を見上げた。

「ユールベル=アンネ=ラグランジェ……? 誰かしら。聞いたことがない」

 いちばん上に書かれた名前を読み上げ、アンジェリカは首を傾げた。そしてもうひとりを探すべく、すぐに下へと目を走らせた。今度はいちばん下にラグランジェの名前を見つけた。

「レオナルド?! どうしてあいつが……」

 そう言うと、身を翻し、今度は自力で人垣をかきわけ出ていった。

「どうしたの?」

 アンジェリカを追って出てきたリックが、彼女の小さな背中に声を掛けた。ジークはただじっとアンジェリカの後ろ姿を見つめていた。

 アンジェリカはゆっくりと振り返った。

「今までラグランジェ家の子がアカデミーに入ったことなんてなかったのに、今年はふたりもいるのよ。どう考えても変よ」

 静かにそう言うと、眉をひそめうつむいた。

「見張り……ってこと?」

 リックは声を低くして尋ねた。アンジェリカは口元に手を添え、さらに深くうつむいた。

「そこまではどうかわからないけれど」

 アンジェリカが続けて何かを言いかけたとき、背後からの声がそれを遮った。

「お久しぶりです、お嬢様」

 聞き覚えのある声だった。胸に黒い気持ちが広がっていくのを感じながら、アンジェリカはゆっくり振り向いた。

「いったいどういうつもり?」

 彼女が睨みつけた先に立っていたのは、パーティでアンジェリカの肩を傷つけた少年、レオナルドだった。


 ジークは一度見ただけだったがはっきりと覚えていた。ラグランジェ分家の嫌味な奴だ。そしてアンジェリカと結婚することになっていたかもしれない男……。

 こいつなのか? アカデミーに合格したのは。

 ジークはアンジェリカの後ろで腕を組み、目つきを悪くしてそのブロンドの男を凝視していた。

「そんなに恐い顔をしないでください」

 レオナルドはアンジェリカに笑顔を向けた。ジークやリックのことは視界に入っていないようだった。

「あなたのその外ヅラの良さには敬服するわ」

 アンジェリカは苦々しくそう言うと、よりいっそうきつく睨んだ。その瞬間、レオナルドの顔に陰がさした。

「この前はやりすぎたと思っている。申しわけなかった」

 嫌味に丁寧でもなく、蔑むでもなく、自然な口調だった。

 思いがけない反応に、アンジェリカはとまどいを隠せなかった。しかし、今まで積み重ねてきたものがある。にわかにそれを信じるわけにはいかなかった。

「何を企んでいるの? アカデミーに潜入して、しおらしさをよそおって」

 アンジェリカは背筋を伸ばし、腕を組み、まっすぐにレオナルドを睨みつけた。少しの隙も見せないように気を張る。レオナルドはそんなアンジェリカから目をそらし、遠くの空を目を細めて眺めた。

「ただ証明しかっただけだ。お……」

「確かにあなたの言っていたとおり、アカデミーはたいしたことがないって証明されたみたいね」

 アンジェリカはレオナルドの言葉を遮り、精一杯の嫌味を突きつけた。そして、しばらく彼の反応をうかがっていた。しかし、彼は無表情のままアンジェリカに背を向け、何も言わずその場を立ち去った。

 アンジェリカはどうしてか声を掛けられなかった。小さくなっていく彼の背中をただぼんやりと見ていた。


「なんかあったのか? アイツと」

 ジークの声で現実に引き戻された。

「うん……まあ、いろいろと」

 アンジェリカにしてはめずらしく歯切れの悪い答えだった。ジークはそれがさらにひっかかった。

「いろいろって何だよ」

 背中を向けたままのアンジェリカに、低い声で問い詰めた。

 しかし、彼女はほとんど上の空で、「たいしたことじゃないわ」とつぶやくように言っただけだった。そして、深く考え込んだまま、アカデミーの門へと歩き出した。


 ジークはその日ずっと機嫌が悪かった。そして、アンジェリカは考え込んだまま難しい顔で黙り込んでいた。三人はほとんど会話らしい会話をしていなかった。

 授業を終え帰り支度をしていたリックは、アンジェリカを気にしながら、ジークにそっと耳打ちした。

「怒ってる場合じゃないと思うんだけど」

 ジークは無言のままむすっとしていた。リックはさらに畳み掛けた。

「アンジェリカは不安なんだよ。怖がってるんだよ」

「……おまえ、俺にどうしろっていうんだよ」

 ジークもアンジェリカを気にして横目で見ながら、声をひそめてリックに突っかかった。

「別にどうしろとは言わないけどね」

 リックはとぼけたような口調で言った。それからアンジェリカに振り向き、明るく声を掛けた。

「ねえアンジェリカ。屋上、行ってみない?」

「え?」

 ぼんやりしていたアンジェリカは、ふと我にかえるとリックに顔を向けた。彼はアンジェリカににっこりと笑いかけた。

「行こうよ、屋上」

 柔らかい彼の声を聞きながら、アンジェリカは怪訝な顔をして首を傾げた。

「行っちゃいけないんじゃないの?」

「大丈夫。ジークがなんとかしてくれるから」

「おいっ! 勝手に決めるなよ!」

 リックの勝手な言いように、ジークは焦って身を乗り出した。そしてリックの肩ごしに、アンジェリカと目が合った。気まずさを感じながら、なぜかふたりとも視線をそらすことが出来なかった。

「わかったよ。行こうぜ」

 そう言ってわざとらしくため息をつくと、ズボンのポケットに手を突っこみ、教室の外へと出ていった。

「行こう」

 リックに促されて、アンジェリカは彼とともに小走りで後を追った。


 屋上へと続く階段は、いつものように封鎖されていた。

 錆びた鎖がゆるく三重に渡され、その中央に「立入禁止」と書かれたプレートが斜めに架かっていた。プレートはほこりにまみれ、薄汚れていた。

 しかし、阻んでいるものはそれだけではなかった。

「結界まで張らなくてもいいのにな」

 鎖の背後はうっすら青白く光っていて、そこに結界が張られていることを示していた。

「でもかなり緩い結界だと思うわ。これくらいなら簡単に解除できるわよ」

 アンジェリカはそう言うと、あたりをうかがった。誰もいないことを確認すると、手のひらを結界に向け、呪文を唱えようとした。

「待てよ」

 ジークはアンジェリカの手をつかみ、それを止めた。

「なによ?」

「俺がやる。もしばれたら……まずいからな」

 今度はジークが手を伸ばし、結界に向け呪文を唱えた。シュッとかすれた音とともに中央部分から広がるように光が消えていった。

 ジークとリックは鎖をまたいだ。

 アンジェリカは後に続こうとして足を止めた。そしてじっと鎖を見つめた。彼女がまたぐには高すぎる。しかしくぐるとほこりまみれになりそうだ。

「足あげろよ」

 頭上から声が降ってくるのと同時に、アンジェリカの体が宙に浮いた。ジークが両脇から彼女の体を持ち上げていた。驚きながらも彼女は言われた通り、素直に足を折り曲げ膝を上げた。彼女はずっと自分の足元を見ていた。鎖を越えると静かに体を降ろされ、再び地に足がついた。

 アンジェリカが顔を上げたとき、ジークはもう彼女に背中を向け歩き始めていた。


 リックは前を向いたまま、ずっとにこにこしていた。

「……んだよッ!」

 ジークは耳を赤くし、中途半端に声をひそめて彼に食ってかかった。

「別に」

 リックはすました声で答えると、再びにっこり笑った。ジークはからかわれているような気がして、むすっとした顔のままよけいに耳を赤くした。アンジェリカもその後ろでかすかに頬を染めていた。


 階段を登りきったところに、鉄製の錆びた扉があった。

 ジークとリックは三本のかんぬきを抜き、扉を押した。ギギギ、と嫌な音をさせながら扉が動き、間から白い光が差し込んできた。

 アンジェリカは右手を光にかざすと目を細めた。


 リック、ジーク、アンジェリカは順番に屋上へ出た。

 眼前にも頭上にも遮るものはない。その恐いくらいの解放感に、アンジェリカは息を呑んだ。

「んー!」

 中央へ走っていくと、リックは両手を伸ばし大きく息を吸った。

「おまえ、ホント好きだな、屋上」

 ジークは腕を組み、浅く息を吐くと、少しあきれたような視線をリックに向けた。しかしリックはにこにこしたままおかまいなしだった。

「だって見てみてよ。この爽快感って他にないよ。それにいつもの景色がいつもとちょっと違って見えるのも好きなんだ。アカデミーのは初めてだけど、今まででいちばん見晴らしがいいよ」

 そういうと顔を上げ、再び深く息を吸った。

 アンジェリカも少し踵を上げて、思いきり息を吸い込んでみた。体の中を風が吹き抜けた。彼女は空を見上げて目を細めた。

 ジークは柵にもたれかかりながら、アンジェリカの様子を見ていた。彼女の笑顔に、彼の表情もつられて緩んだ。しかし、リックが遠くから自分の方を見ていることに気がついて、バツが悪そうにうつむいた。彼の耳は再び赤くなっていた。

「ジークは屋上きらいなの?」

 下を向いている彼に気がついて、アンジェリカは走り寄っていった。ジークは顔を少しそらせた。

「いや。嫌いじゃない、けど……」

 アンジェリカが覗き込んできたので、ジークはさらに顔をそらせた。

「…………」

 ジークは横目でアンジェリカをちらりと見た。

「少しは元気が出たみたいだな」

「あ、うん。……ありがとう」

 アンジェリカは少しのとまどいを含んだ声で、ぽつりぽつりと答えた。

「礼はリックに言えよ」

 彼女から顔をそむけたまま、ジークはぶっきらぼうに言葉を吐いた。アンジェリカはジークにどう接したらいいのかわからず、困って目を伏せた。

「無理にとは言わねぇけど」

 ジークは柵に身を預け、空を見上げた。

「悩んでることがあったら俺らに話せよ。解決は出来ねぇかもしれないけど」

 ジークはずっと仏頂面だった。しかし、アンジェリカはその横顔から照れの表情を見つけた。彼女はにっこりと笑った。


「おまえたちか」

 よく通る低い声。扉から姿を現したのはラウルだった。リックはしまったという表情で振り返った。

「俺が無理やり連れてきたんだよ」

 ジークはラウルを睨んで言い放った。アンジェリカは驚いて隣のジークを見上げた。

「だろうな」

 ラウルは腕を組み、自分を激しく睨む少年をゆったりと見下ろした。ジークは負けじと視線をいっそう鋭くした。

「いえっ、行こうって言ったのは僕です!」

 そう言いながら、後ろからリックが必死の顔で駆け寄ってきた。しかし、ラウルは冷めた目をジークに向けたまま、口を開いた。

「どっちでも構わないが、結界を解除したらすぐに張っておけ。他の者にわからないようにな」

 てっきり怒られるものだと思っていたリックは拍子抜けしてしまった。

 ラウルはアンジェリカに視線を移した。

「アンジェリカ。話しておきたいことがある」

 アンジェリカは小さくこくりと頷いて、ラウルの方へ歩きかけた。しかし、ふいにジークに肩をつかまれ、後ろに押し戻された。

「今日は行かせねぇ」

 そう言うとアンジェリカを後ろ手でかばうようにしながら、一歩前へ踏み出した。背筋を伸ばし、口をまっすぐに結んで、ラウルの前に立ちはだかった。

「ジーク! なに勝手なこと言ってるの?!」

 アンジェリカはジークの背中を軽く叩いた。

「話があるならここで言えよ」

 ジークは挑むように言った。彼の額には薄く汗がにじんでいた。

 ラウルは眉ひとつ動かさずに、じっと彼を見ていた。そして、アンジェリカに視線を移すと、静かに口を開いた。

「ユールベルには気をつけろ」

 ラウルはそれだけ言うと、身を翻し、扉をくぐって戻っていった。

「待って! どういうこと?! ユールベルって誰なの?!」

 アンジェリカはジークを振り切り、ラウルを追いかけようとした。しかし、しっかりと腕をつかまれ引き止められた。

「離してよ!」

 彼女はヒステリックに叫んだ。

「あしたでもいいだろう」

 ジークは彼女の腕をつかんだままうつむき、小さな声で言った。

「ジークは私の気持ちなんて全然わかってない!」

 こみ上げる感情のまま、アンジェリカは再び叫びを上げた。その声はわずかに揺らいでいた。それに呼応するように、ジークも感情を高ぶらせ声を荒げた。

「おまえだって俺の気持ちわかってねーだろ!」

 アンジェリカはジークを睨みつけた。その瞳はわずかに潤んでいた。

「ラウルに反抗したいだけじゃない!」

 ジークの手が緩んだ。アンジェリカの腕が、そこからするりと抜けた。彼女は数歩下がり、息苦しさをこらえるような顔でジークを見た。しかし、うつむく彼の顔には陰が落ち、表情を読みとることが出来なかった。

 アンジェリカはしばらくジークを見つめていたが、意を決したように踵を返すと、ラウルを追って扉をくぐった。


 ジークはもたれ掛かっていた柵を、ガツンと力を込めて叩き、歯をくいしばった。


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