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26. 後味の悪い別れ

 あれから 十日が経った。


 アンジェリカはまだアカデミーへは来ていない。ジークとリックは毎日アカデミー帰りに、そしてアカデミーのない日もわざわざ出かけ、彼女の家へ様子を窺いに行っていた。

「今日も来てくれたんだ」

 淡々とした声。アンジェリカは上半身をベッドから起こした。そして、薄いレースのカーテン越しに、ふたりに微かな笑顔を見せた。

「おまえが来ないからだろ」

 ジークはぶっきらぼうにそう言うと、乱暴にカーテンを捲し上げた。仏頂面で中に入り、ベッドの隣の椅子にどっかりと腰を下ろす。その隣に、リックも静かに座った。

 初めは何もかもに面くらった。だが、無駄に広い部屋も、天蓋つきのベッドも、十日もすればすっかり見なれる。もうふたりとも、そわそわしたり緊張したりはしていなかった。

「おまえ、いくつ持ってるんだ。パジャマ」

 ジークはアンジェリカをじっと見ていたかと思うと、唐突にそんな質問を投げかけた。

「うん。毎日違うもの着てるよね」

 リックも興味ありげに少し身を乗り出した。

「さあ。もともとはそんなになかったはずなんだけど。最近は毎日新しいものなの」

 アンジェリカは顔を下に向け、自分が身につけているものをじっと見つめた。今日はフリルのついたピンクのネグリジェだった。

「気を遣ってくれているのかしら」

 ふと寂しそうに笑い、小さな声でつぶやいた。

「あのなあ。そういうのは気を遣ってるとは言わねぇんだよ」

 ジークは少し眉根を寄せて、強い調子で言った。アンジェリカは目を丸くしてジークに顔を向けた。ジークは真剣な、少し怒ったような顔で、まっすぐにアンジェリカを見つめていた。

「おまえの方が気を遣ってるんじゃないのか」

「そうそう。素直にありがとうって思えばいいんだよ。ご両親だってアンジェリカに喜んでほしいんだから、ね」

 リックは横からにっこりと笑いかけた。

 アンジェリカは少し驚いたような顔で聞いていたが、やがて恥ずかしそうにはにかんだ。


 アンジェリカはアカデミーの出来事やラウルの様子を聞きたがった。リックは彼女の知りたいことをひとつひとつ丁寧に話した。ジークはときどき割って入るものの、ほとんど聞いているだけだった。こういう状況説明を伴う話をすることは苦手なのだ。


「……まだ、来られねぇのか」

 ふたりの会話の切れ目に、ジークは少しためらいがちに口を開いた。リックは何か言いたげな顔で眉をひそめると、ジークの脇腹をひじでつついた。そして、今そんなことを言わなくても、と表情と口の動きで合図を送った。しかし、ジークはアンジェリカを見つめたまま、リックの腕をこっそり払いのけた。そんなふたりのやりとりを見て、アンジェリカはこらえきれずに吹き出した。

「来週から行っていいって、お許しが出たわ」

 リックは当のアンジェリカ以上に、嬉しそうに顔を輝かせた。

「良かった! アンジェリカがいないと、ジークがつまらなそうなんだよね」

「おい! 俺のことを言うなよ!」

 ジークは慌てふためいてがなり立てた。次第に彼の耳は赤くなっていった。しかし、否定はしなかった。


「そういえば、試験の結果が出たんじゃない? どうだったの?」

 アンジェリカは、思い出したようにふたりに尋ねた。

 ジークは横目でちらりと彼女を見たが、すぐに視線をそらした。

「おまえには関係ないだろ」

 その表情にわずかに陰を落とし、低い声で言った。

「なによそれ」

 アンジェリカは不愉快さをあらわにして口をとがらせた。リックはジークに振り向き、驚いて大きな声を上げた。

「なんで?! 一番だったのに!」

「不戦勝なんて意味ねぇんだよ!」

 ジークは間髪入れずに切り返した。

「不戦勝?」

 アンジェリカがきょとんとしながら尋ねた。一方のリックは、にっこりと彼に笑いかけていた。

 ジークはふたりの視線から逃れるように下を向き、奥歯を噛みしめた。そして、再び耳が熱くなっていくのを感じた。

「ねぇ、不戦勝って?」

 アンジェリカは少し首をかしげた。

「あ、そうだ。今日のノートのコピー」

 ジークはわざとらしく話題をそらすと、リックの太ももを手の甲で軽く二度たたいた。リックは促されるまま、鞄の中を探し始めた。

「ちょっとごまかさないでよ」

「はい、これ」

 ジークに食って掛かろうとしたアンジェリカに、リックは紙の束を手渡した。

「……ありがとう」

 アンジェリカは小さな声でお礼を言った。話の腰を折られ、勢いを削がれてしまった。ごまかされたような気もしたが、それ以上ジークを追求することをやめた。

「アンジェリカなら、これくらいの遅れなんてすぐに取り戻せるよね。頑張って! 本当、嬉しいよ。アンジェリカだけでも戻ってきてくれるんだから」

 リックはにっこりと笑った。

「だけでも?」

 ジークとアンジェリカが同時に同じ言葉を発した。

「それってどういう意味だよ」

 ジークは眉をひそめて尋ねた。

「ああ、セリカはやめちゃうんだよね」

 リックはあっさりと言った。


 ジークもアンジェリカも声が出なかった。


 ジークはごくりと唾を飲み込むと、ようやく口を開いた。

「やめるって……。アカデミーをか?」

「そう」

「バカかおまえ! そんな大事なことは早く言えっつーの!!」

「あ、ごめん」

 ジークのあまりの勢いに気おされ、リックは目をぱちくりさせ体を後ろに引いた。

「くそっ」

 ジークは小さく舌打ちすると、勢いよく立ち上がり、走って部屋を出ていった。アンジェリカとリックは呆然と彼の後ろ姿を見送った。


「リック、本当なの?」

 アンジェリカの声には、驚きと疑いの色が含まれていた。

「うん、本人から聞いたから。もう決意を固めてるみたいだったよ」

「そう……。ジークは止めに行ったのよね」

「多分ね」

 アンジェリカは目を伏せた。そしてゆっくりと長い瞬きをした。

「止められるのかしら」

「アンジェリカはどっちがいいの?」

「やめるべきじゃないと思うわ。でも……」

 アンジェリカはベッドの上で膝を抱えた。そして、無表情で淡々と続けた。

「やめるって聞いて、私は少しほっとした」

 感情を押し込めたアンジェリカの横顔を見ながら、リックは穏やかに微笑んだ。

「自分を責めることはないよ」


 ジークはアンジェリカの家を飛び出し、全速力でアカデミーの前までやってきた。

「くそ、まだ遠いぜ」

 息をきらせながら、アカデミーの奥に目をやった。セリカが入院しているのは、アカデミーを抜けた王宮側の一室だ。ジークは深呼吸をして息を整えると、再び走り出した。

 薄暗く長い廊下の遠くに、ふたつの人影が表れた。そのうちのひとつはセリカだった。ジークは彼女の少し手前で足を止めた。肩を大きく上下させる彼を見て、セリカは目を丸くした。

「どうしたの? 恐い顔をして」

 彼女は自分の胸元に手をやった。その袖口からは白い包帯がのぞいた。

「アカデミーをやめるって、本当か?」

 ジークはまっすぐセリカを見据えた。セリカもまっすぐに視線を返した。

「お母さん、先に行って。門のところで待ってて」

 彼女はジークの方を向いたまま、隣の母親に言った。母親は少し不安げにセリカを見上げたが、彼女の言う通りにその場を立ち去った。

 足音が十分に小さくなったのを確認すると、セリカは大きく深呼吸した。

「今日で退学することにしたわ」

 五歩先のジークに届かせるように、はっきりとした声で答えた。そして、にっこりと笑って見せた。

「逃げんのかよ。四大結界師になりたいっていう夢はどうしたんだよ」

 怒りを含ませた低い声。ジークは彼女を睨みつけた。しかし、セリカは笑顔を崩さなかった。

「そうね。もう逃げることにしたの。私の夢なんて、その程度のものだったってことね」

「…………」

 ジークが返す言葉に詰まっていると、セリカがくすくすと笑い出した。彼は呆気にとられた。

「ごめんなさい。あなたが引き止めに来てくれるなんて思わなかったから。嬉しくてつい……」

 セリカは笑いながら、目尻を濡らしていた。ジークは彼女から目をそらした。

「俺はライバルが減ってくれてありがたいけどな」

 セリカは精一杯の笑顔を見せた。

「良かった。最後にあなたの役に立てて」

 ジークは下唇を噛んでうつむいた。

「やめんなよ。後味悪いだろ」

「ごめんなさい。もう決めたことなのよ」

 セリカは少し真面目な顔になり、それから寂しそうに笑った。

「今度どこかでばったり会ったら声かけてよね」

 ジークは返事も出来ず、ただうつむいたままだった。

「それじゃ」

 セリカは表情を堅くすると、一歩一歩、踏みしめるように歩き出した。ひとけのない廊下に、彼女の足音だけが響く。ジークの左手とセリカの左手が、かすめるぎりぎりですれ違った。触れてはいなかったが、ジークはその手の甲に確実に彼女を感じ取った。次第に遠のく足音を聞きながら、言葉にならないもやもやしたものが募っていった。

「おい!」

 こらえきれなくなったジークは、自分でもわけのわからないまま、ありったけの声を張り上げセリカを呼び止めた。そして、勢いをつけ振り返った。

 セリカは歩みを止めた。右足を踏み出したまま、固まったように動かない。

 ジークは彼女を呼び止めておきながら、次の言葉が出てこなかった。


 長い、長い沈黙が流れる。時間が止まったように、ふたりとも微動だにしない。


「あ……」

 沈黙を破ったのは、ジークのかすれた声だった。

「アンジェリカに、会っていかねぇのかよ」

 冷たい廊下に精一杯の声が響いた。セリカは目を閉じ、まぶたを震わせた。

「会えない……。会えるわけがない!」

 背中を向けたままで叫び、走り出した。止まることなく廊下の角を曲がると、そのまま見えなくなった。足音も次第に小さくなり、やがて聞こえなくなった。


 ジークは薄暗い廊下にひとり残され、後味の悪さを噛みしめていた。


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