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21. それぞれの理由

「しつこいようだけどな。ウチはホントに狭いし、汚いぞ」

「私のところが普通じゃないってことくらいわかってるわ」

 アンジェリカを真ん中に、右側にジーク、左側にリックと、三人が並んで歩いている。雲の切れ間からのぞいた太陽が、彼らの後ろに短い影を作っていた。

 ジークはズボンのポケットに両手を突っ込み、難しい顔をしながら背中を丸めた。

「普通のウチと比べても、狭いんだよな」

 力のない声で言うと、ひとり苦笑いをした。アンジェリカは横目で少しジークを見上げた。

「私は気にしないけど?」

「俺が気にするんだよ」

「ふーん」

 そう言いながら、彼女は首を軽くかしげた。

 リックはそのふたりのやりとりを、ただ微笑みながら眺めていた。


 彼らはアカデミーの前でアンジェリカと待ち合わせ、一緒にジークの家へ向かっていた。

 アンジェリカは今までアカデミーと王宮くらいにしか行ったことがなかった。狭い路地裏、ひしめきあう家々、慌ただしく行き交う人々……初めて目にするそれらの光景に、彼女は少なからず高揚感を覚えていた。しかし、それを悟られるのは恥ずかしいような気がして、表情には出さなかった。


「ずいぶん歩いたけど……」

「もうすぐだ。疲れたのか?」

 ジークは隣のアンジェリカに顔を向け、挑発するように笑った。

「10歳の女の子にはきついよね」

 さらにリックが追いうちをかけた。悪気はなかったのだろうが、アンジェリカは子供扱いされたと感じてムッとした。重くなった足を懸命に動かし、少しも遅れまいと必死でついていく。

「別に疲れてなんか……。毎日この距離を歩いて通っているのかと思って」

「慣れればそうたいした距離でもないよ。ね、ジーク」

「まあな。いい運動にもなるし」

 ふたりは事もなげに行ってのけた。アンジェリカは口をきゅっと結び、意識的に大股で歩き出した。

「あれ?」

 リックが素頓狂な声をあげながら、前を指さした。そしてゆっくりジークの方に顔を向けた。

「おばさん、立ってるよ」

 ジークは足を止め、リックの指す方を見た。そのとたん、顔から血の気が引いた。そして、唐突にものすごい勢いで走り出した。リックは小走りで後を追っていった。アンジェリカも何がなんだかわからないまま、それに続いた。

「おい! なんでこんなところに立ってんだよ」

 ジークは眉間にしわを寄せ、その女性に詰め寄った。しかし、彼女は全く動じることなく、平然としていた。

「あんたがカノジョを連れてくるなんて初めてだから、気になっちゃって何も手につかないのよね」

「だから彼女じゃねぇって言ってんだろ。少しは人の話を聞けよ」

 ジークは低い声でさらに詰め寄った。

「ジークのお母さん?」

 アンジェリカは隣のリックを見上げ、小さな声で尋ねた。

「そう、レイラさんっていうの。あのふたりの親子ゲンカはいつものことだから、気にしない方がいいよ」

 リックは優しく笑いかけながら答えた。

 レイラは華奢で小柄だが、力強さを感じさせる女性だった。黒髪を後ろでひとつにまとめ、八分丈のパンツ姿で活発に颯爽と身をこなす。そして、その表情は自然でいきいきとしていた。ジークとは違い、とても人なつこそうに見えた。

「おばさん、こんにちは!」

 リックは元気のいい声を投げかけた。レイラは目の前の息子をよけるように体を傾けると、顔をパッと輝かせた。

「こんにちは、リック。その子ね!」

 アンジェリカを見るなりにっこりと微笑んだ。

「ずいぶん小さいお嬢さんだけど、どこから連れてきたの?」

 興味津々にそう言いながら、ひじでジークの脇腹を小突いた。

「人を誘拐犯みたいに言うなよ」

 ジークは冷めた口調で言った。すでに疲れ切っている。リックはアンジェリカの肩に手を回し、にっこりと笑った。

「僕らのクラスメイトなんです」

 アンジェリカはおずおずと一礼した。

「え? ホント? こんなにちっちゃいのに?」

「あんまりちっちゃいちっちゃい言うと、キレるからな、こいつ」

 ジークは乾いた笑いを浮かべた。

「あ、ごめんね」

 レイラは軽く謝ると、アンジェリカの前に歩み出た。そして、とまどう彼女の手を取り、軽快に歩き出した。

「お……おい!」

 ジークは後ろから慌てて追っていった。


「遠慮しないでどうぞ」

 レイラは木の扉を勢いよく開けた。そして、狭く薄暗い玄関に、アンジェリカたちを招き入れた。

「なんでおまえが仕切ってんだよ」

 半ば諦め口調で、ジークがつぶやいた。

「母親に向かっておまえとは何よ。ほら、あんたもさっさと入んなさい」

「……息子に向かってあんたってのはいいのかよ」

 レイラは息子の言葉を背中で聞き流しながら、アンジェリカの方をじっと見つめていた。

「どこかで……会ったことある気がするんだけどなぁ」

「え?」

 アンジェリカはレイラを振り返った。

「やっぱり絶対にどこかで見たことあるのよね」

 身をかがめて、よりいっそう深く、アンジェリカを覗き込んだ。

「あの……私は、記憶にないですけど」

 ふたりのそんな会話を聞いていたリックが、ふいに口を挟んだ。

「テレビじゃないですか? アンジェリカはテレビの広告に出てたから」

 レイラは目を大きく見開くと、手をぽんと打った。

「そう! 謎のCM美少女!」

「その俗っぽい言い方はなんなんだ!」

 ジークは耳を赤くしながら叫んだ。しかし、レイラは息子の声など耳に入らない様子で、あごに手をあて考え込んでいた。

「ちょっと待って。そうするとこの子、ラグランジェ家のお嬢さんてことになるけど……」

「そうなんです」

 リックはあっさり肯定した。

「うっそぉ!」

 レイラは両手を頬にあて、家の外まで突き抜けんばかりの声をあげた。ほとんど悲鳴といってもよかった。勢いよく後ろのジークを振り返り、胸ぐらを掴むと、力まかせに揺さぶった。

「あんたって子は! ラグランジェ家のお嬢さんになんてことを!!」

「俺が何をしたっていうんだよ」

「あの、私、なにもされてませんから」

 アンジェリカは、レイラのあまりの取り乱しように驚き、彼女を鎮めようと、とっさにそう言った。しかし、彼女の勢いはおさまらなかった。

「こんな狭くて汚いところに連れ込んでんじゃないの!」

「本人が来たいって言ったんだよ」

「本当に私が来たいって言ったんです」

 ジークは面倒くさそうに投げやりな態度で答えていたが、アンジェリカはレイラを落ち着けようと必死だった。レイラはようやくジークから手を離した。そして、軽くため息をつくと、自分の額に手をのせた。

「……なんだか頭痛がしてきた。ねぇリック? ジークが変なことしないか見張っててよ」

「自分の息子がそんなに信用ならねぇのかよ」

 ジークは深くため息をついた。うつむきながらレイラの横をすり抜けた。

「行こうぜ」

 階段の前まで来ると、左手を軽く上げ、アンジェリカとリックを呼び寄せた。そして、細い階段を慣れた足どりで駆け上がっていった。


 二階はジークの部屋になっていた。

 そこには小さな勉強机と椅子があるだけで、他にはなにもない。しかし、もともとが狭い部屋なので、三人がくつろぐのが精一杯といったところだ。

 ジークは開け放たれた戸口で、無造作に靴を脱ぎ散らかした。

「一応、この部屋は土足厳禁だから」

 そう言って部屋に入っていき、奥であぐらをかいた。リックはとまどうアンジェリカの肩をぽんと軽く叩いた。アンジェリカは促されるまま靴を脱ぎ、部屋の真ん中にゆっくりと歩み入った。そして、ぐるりと部屋を見渡した。

「座れば」

「……地べたに?」

「椅子でもいいぜ」

 ジークは親指で隣の椅子を指した。アンジェリカはその椅子に目を向けた。しかし、しばらくの沈黙のあと、スカートを押さえながらその場に座った。

「思ったより片づいてるわね」

 彼女はもう一度あたりを見まわしながら言った。リックは戸口近くに座りながら、小さく笑った。

「昨日は大変だったけどね」

「リック。おまえそれ以上は言うなよ」

 ジークはこわばった笑顔でリックに軽く睨みをきかせた。だが、リックはただにこにこと、余裕の笑顔で受け流していた。

「わたし、片づける前の方が見たかったな」

 アンジェリカは少し残念そうに、そしてジークを困らせるように、ややわざとらしく抑揚をつけて言った。

「お嬢ちゃんがそんなの見たら卒倒するわよ」

 開いたままの戸口から、レイラが顔をのぞかせた。その両手にはそれぞれ缶ジュースが2本ずつ乗せられていた。

「ほれ」

 彼女はジークとリックに1本ずつ投げてよこした。そして、アンジェリカの前まで歩いていくと、しゃがんで、彼女と目線を合わせた。とまどう彼女ににっこりと笑いかけると、缶ジュースを差し出した。

「さっきはごめんね」

「いえ」

 アンジェリカは両手でそれを受け取った。

「ラグランジェ家のお嬢さんにわざわざこんなところに来てもらうなんて、ホント、申しわけなかったわね」

「そう思うんなら缶のまま持ってくるなよ」

 あきれ顔のジークが、後ろから突っ込みを入れる。レイラは横目で息子を睨みつけたが、すぐに笑顔に戻った。

「でも、来てくれて嬉しいわ。女の子のお友達なんて初めてだし。たいしたおもてなしは出来ないけど、あなたさえ良ければいつでも来てね」

「はい」

 アンジェリカは小さく頷いて答えた。そんな彼女を、レイラは満面の笑みで見つめた。

「ホント、かわいいわー」

 アンジェリカは面と向かって誉められることに馴れていなかったので、こういうときの対処の仕方がわからなかった。彼女は笑顔どころか、少し怯えたような表情を見せていた。だが、レイラにはそれが新鮮で、よりいっそうかわいらしく見えた。

「ホント、抱きしめたいくらい。もうウチの娘にしたいわ! ほら、私とちょっと似てない?」

 自分の顔を指さし、ジークを振り向いて同意を求めた。だが、ジークは完全に呆れ返った。

「図々しいにもほどがあるぞ」

 あさっての方を向いたまま、乾いた声で言った。

「それじゃ、邪魔者は去るとしますか」

 レイラはすっと腰を上げ、出ていこうとした。が、何かを思いついたように、急に振り返ると、不敵な笑みを浮かべた。

「暇になったら、その押し入れを開けると面白いものが出てくるかも。じゃ!」

 それだけ言うと、逃げるようにドタドタと階段を降りていった。

「おい!」

 ジークは片膝を立て身を乗り出したが、すでにレイラの姿は見えなくなっていた。

「……ったく。何しに来たんだか」

 急に疲れが襲ってきて、ジークはぐったりとうなだれた。そして、ちらりとアンジェリカに目を向けた。

「悪かったな」

 頭を押さえ、ぶっきらぼうにそう言った。アンジェリカは無言で首を大きく横に振った。自分の気持ちをうまく言葉にすることができず、ただそうすることしか出来なかった。

「あのふたり、似てないようで、似てるでしょ。あんまり人の話を聞かないところとか」

 リックはアンジェリカに顔を向け、明るい声で言った。その声につられて、アンジェリカは小さく笑った。

 しかし、ジークは不本意だと言わんばかりに眉をひそめ、首をかしげた。

「俺はあそこまでひどくないぞ」

 リックとアンジェリカは顔を見合わせると、ふたりして首をすくめた。

「お父様は今日はいらっしゃらないの?」

「あ? もう死んでるけど。言ってなかったか?」

 あっさりそう言うと、缶ジュースのプルタブを引っ張り開けた。

「……ごめんなさい」

 アンジェリカはしゅんとしてうなだれた。

「別に気にすんな。もうだいぶ経つしな。俺が10歳のときだったから、8年くらいか」

 10歳……。今の私と同じ歳で父親を亡くした……。私が今、父を亡くしたとしたら? 耐えられる? そんなことを考えて、アンジェリカは息苦しく押しつぶされそうになった。

「ホントに気にすんなって」

 うつむいて押し黙ってしまったアンジェリカに、ジークは少し困ったように声を掛けた。彼女はゆっくりと顔を上げ、まっすぐジークに視線を投げかけた。

「もしかしてバイトしてるっていうのも、それと関係があるの?」

「まぁ……な」

「僕は単なる趣味みたいなものだけど」

 リックはちょっと申しわけなさそうに、頭をかきながら笑って言った。

「ああ、着ぐるみショーとかだったわよね。どうしてそんなにジークが恥ずかしがってるのか、よくわからないんだけど」

「でしょ?」

 リックは嬉しそうに、声を大きくして言った。

「ていうか、おまえ見たことないんだろ?」

 ジークはアンジェリカを指さして、低い声で言った。それを聞いて、リックは顔をパッと輝かせた。

「アンジェリカ! 今度見においでよ」

「だーーー!! おまえは余計なことばっかり!」

 ジークは耳を赤くして叫んだ。

「そんなにイヤなら、他のバイトにすればいいのに」

 アンジェリカが冷静に、もっともなことを言った。

「いや……あれ、な、ワリがいいんだ……」

 ジークは急にトーンが下がり、口ごもりだした。だが、そこですぐに開き直り、いつもの調子に戻った。

「長期休暇のときくらいにしかバイト出来ないしな。休暇中でも勉強もしないといけないし……だから少しでもワリのいいバイトを選ぶのは当たり前だろ」

「お母さまのため?」

「母親のためっていうか……なんだろう。自分の生活する分くらいは、そろそろ自分で稼がないとな。まあ母親のためっていうのもあるか。あんな感じだけど、それなりに苦労してきたのは知ってるしな。若ぶっててもそろそろ歳なんだ。少しくらいは楽させてやらないとな」

「それ、おばさんが聞いたら、きっと激怒すると思うよ」

 リックは苦笑いしながら言った。ジークいたずらっぽく白い歯を見せて笑った。

 アンジェリカは少し面食らっていた。こんなに軽い調子で自分のことをペラペラと話すジークを見たのは初めてだった。不思議なものを見るように、ただぼうっとジークを眺めていた。

 ジークはアンジェリカのそんな様子に気づいていなかった。ジュースで喉を潤すと、さらに話を続けた。

「だから俺は、何がなんでもアカデミーに行かなければならなかった」

「どうして?」

「は?」

 突然の質問に、ジークは驚いてアンジェリカの方を見た。まさかこんなわかりきったことを聞かれるとは思っていなかったのだ。

「どうして……って、そりゃ授業料免除なんて他にないだろ? それにアカデミーを出れば、いいところにも就職できるしな」

 そこまで言って気がついた。アンジェリカはそんなことなど考える必要もないのだ。だから、わからなくても無理はない。そうすると、今度は逆に疑問がわき上がってきた。

「おまえは? なんでアカデミー?」

「え……」

 アンジェリカはまっすぐジークを見たまま動きを止めた。そして一瞬遠くを見やると、ゆっくりと目を伏せた。

「見返してやりたかったの……。呪われてなんかいない、私はラグランジェ家の子だって証明したかった。アカデミーでいちばんを取れば、それができるって思ったのよ」

 アンジェリカとラグランジェ家の状況を知っていたふたりには、彼女の短い言葉に凝縮されたその重さが、痛いほどわかった。ジークは思いつめた表情のアンジェリカにかける言葉を見つけられなかった。

 しかし、今、彼女を悩ませていたことは、ふたりが想像していたものとは違っていた。

「私はアカデミーに入学するべきじゃなかったのかもしれない」

「は? なに言ってんだ、おまえ」

 ジークは驚きのあまり、声を荒げ問いつめるような口調で言った。

「私が入学しなければ、ジークみたいな境遇の人がひとり、救われたかもしれないでしょ」

「ばっ……かか!」

 大きな声で叫びかけて、ぐっと抑えた。

「試験に受かって入って来たんだろ。それでいいじゃねえか。誰も文句なんて言わねぇよ」

 軽くため息をつくと、うつむいているアンジェリカをじっと見つめた。

「それに、おまえにはおまえの理由があるだろうが」

 アンジェリカはわずかにびくりと体を揺らした。

「そうそう。理由なんて人それぞれでいいんじゃない? どの理由が良くて、どれが悪いなんてこと、ないと思うよ」

 リックは彼女を覗き込むようにして、優しく言葉をかけた。

「だいたいそんな殊勝なおまえは、見てて気持ち悪い」

「なによそれ! どういう意味?!」

 いつものジークの憎まれ口。アンジェリカには、それがわざとなのだとわかった。だが、素直に嬉しいという感情を見せるのはちょっとくやしい気がして、頬をふくらませ、口をとがらせて見せた。


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