表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/111

14. レモンティ

「これ、まだ王宮だったんじゃねぇの?」

 ジークがそう思うのも無理はなかった。おおよそ民家とはほど遠い、白壁の宮殿造りの家。大きさもかなりのものである。

 位置もまた紛らわしい。王宮のすぐ隣に横づけされて建っていた。よく見ると仕切りのレンガ壁があるものの、知らない人が見れば、王宮の一部や別館にしか見えないだろう。

 ジークはただ呆然と、だらしなく口を開けて見上げていた。

「アンジェリカ!」

 そこへ女の人の声が響いた。アンジェリカとは違い、もう少し大人びた感じだ。

「遅かったじゃない。心配しいてたのよ」

 その女の人はアンジェリカの家から出てきたようだった。門を開け、小走りでアンジェリカの元に駆け寄る。

「頑張りたい気持ちもわかるけど、夜はあんまり遅くならないようにして」

「ごめんなさい」

 アンジェリカは素直に謝った。ジークはそんな彼女を見たのは初めてだったので、なにか不思議な気持ちを覚えた。

 そして、最も気になること。

 アンジェリカのお姉さん……か?

 あまりじろじろ見るのはどうかと思いつつも、気になって、視線は彼女を追いかけていた。

 まず目をひくのはあざやかな金髪。この暗闇でもわずかな光を受けて輝いている。長さは腰くらいまであるだろうか。そしてかすかにウェーブを描いている。黒髪ストレートのアンジェリカとは対照的だ。しかし、そのあどけない顔立ち、小柄で華奢な体つきは、どことなくアンジェリカと似ている。上半身をカチッと締め、腰からふわりと広がったロングドレスは優美なかわいらしさを、そして大きく開いた胸元はアンバランスな色気を演出していた。

 気配を感じたのか、視線を感じたのか、彼女はふいにジークの方に顔を向けた。視線がぶつかる。その瞬間、彼は頭が真っ白になり、体は金縛りにあったように動けなくなった。大きな蒼い瞳が、彼をとらえたまま離さない。それは短い時間だったが、彼にはとても長く感じられた。

「ジークさん、ですね?」

 ジークの方に体ごと向き直り、かすかに首を傾け、ありったけの笑顔で彼に問いかける。その声で、ジークはようやく我にかえった。

「あ、はい。でもどうして俺の名前……」

「アンジェリカから、いつも話は聞いていますから」

 急に自分の名前を出されたアンジェリカは、とっさに顔を上げる。

「話なんてしていないわ! ……そんなに」

 慌てて否定するも説得力はない。彼女は頬をふくらまし、自分の名前を出した相手を、うらめしそうに上目づかいで睨んでいる。

 しかし、睨まれた当の本人は、まったくおかまいなしに続ける。

「さ、どうぞ。上がってください」

 右手を家の方に向け、左手をジークの背中にそっと添えた。瞬間、ビクっと小さく体を揺らす。そして、前を見たり後ろを見たり、あからさまにうろたえた様子を見せている。

「ただ送ってくれただけなんだからね! 遊びにきたわけじゃないんだから!」

 アンジェリカが後ろから声を張り上げ、慌てて引き止める。

 だが、金髪の彼女は笑顔を崩さなかった。

「いいじゃない。せっかくここまでいらしたんだから。ね?」

 そう言って、ジークに同意を求めた。

 ジークは戸惑いながらも、うながされるまま歩き出した。アンジェリカはずっと頬をふくらませたままだったが、しばらくすると彼女も後ろをついて歩き出した。


 重厚で格調高そうな扉が音を立て、ゆっくりと開いた。光が闇に飛び出し、ジークたちの顔を照らす。

 そして目の前に広がった世界に、ジークはまたしても言葉を失った。

 まるで別世界。それは、彼のイメージの王宮そのものだったのだ。高い天井、吹き抜け、中央の幅広く白い階段、赤い絨毯、きらびやかなシャンデリア、古いけれどよく手入れされたインテリア。そのすべてが、彼の初めて目にするものだった。

「さ、こちらよ」

 通されたのは玄関ホール隣の応接間。白が基調のただ広い部屋の奥にはソファと机、そして漆黒のグランドピアノ。目につくのはそれくらいだ。贅沢な空間の使い方である。

 ここだけでも俺んちよりでかいな…。

 ジークはあたりを見まわしながらそんなことを考えていた。

「お飲物は紅茶でいいかしら」

「はい」

 ほとんど条件反射で答える。

「わたしレモンティ」

 アンジェリカはそう言うと、無造作に鞄を置いて、応接用の長椅子に身を預けた。

「ジークさんも座ってお待ちくださいね」

 その言葉を残し、長いブロンドをなびかせながら、彼女は部屋を去っていった。

 広い部屋にアンジェリカとジークのふたりきり。独特の不思議な空気。柱時計の振り子の音が静寂を刻む。

「立ってないで座れば」

「ん? ああ」

 アンジェリカの言葉にうながされて、彼女の斜め前の席に腰を下ろした。そして、目の端で彼女の様子を盗み見る。

「末っ子?」

 しばしの沈黙のあと、ジークは唐突に質問をぶつける。アンジェリカはきょとんとしながらも答える。

「わたし? ひとりっ子だけど?」

 その答えに、今度はジークがきょとんとする。

「じゃあ、さっきの人は……?」

 アンジェリカは話の流れが読めず、わずかに首をかしげる。

「母親だけど?」


「お待たせしました」

 大きめのトレイにティーポットとティーカップ三つを載せて、噂の張本人がゆったりとした足取りで戻ってきた。

 ジークは口を半分開けたまま、瞬きも忘れて彼女をじっと見ている。

 彼女はトレイを静かにテーブルの上に置くと、視線の送り主の方に顔を向けた。彼の何か言いたげな顔を見ると、目をくりっとさせ、疑問を投げかけるように首を傾けた。

「アンジェリカのお母さん……ですか?」

 彼女のしぐさに促され、ジークは喉元で止まっていた言葉をようやく口に出した。

「そういえば自己紹介がまだだったわね」

 そう言うと、彼女はまっすぐジークの方に体ごと向き直った。

「レイチェル=エアリ=ラグランジェです。アンジェリカの母親よ。よろしくね」

 ふわりと笑いかけ、優雅に右手を差し出す。ジークは慌ててソファから立ち上がり、同じく右手を出した。

「ジーク=セドラックです」

 そして、柔らかく握手を交わす。そのとき、ジークはようやくほっとした表情を見せた。


「お茶、冷めちゃうわよ」

 その言葉以上に冷めた口調で、アンジェリカがふたりに割って入った。両ひじを自分の膝にのせ、ほおづえをついてむすっとしている。

「あら、私がジークさんと仲良くしてたから怒っちゃった?」

 レイチェルはいたずらっぽく笑いながら、上体をかがめ、後ろで手を組んでアンジェリカの表情を覗き込んだ。

「別に、怒っていないわ」

 レイチェルの追求を避けるように、目を少し伏せる。

「それなら良かった」

 弾んだ声、不自然に強調された語尾。なにか含みを持たせたその言い方に、アンジェリカは困惑するものの、表面上は努めて冷静をよそおった。ただ、その瞳だけがわずかに揺れていた。


 ひといきおくと、ティーカップを口に運び、レモンティをゆっくりと流し込む。体の中をあたたかいものが流れていくのを感じながら、静かに目を閉じた。そして、もういちどレモンティを口にした。あたたかさとともに、今度はわずかに含まれていた苦味が口の中に広がっていった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ