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恋人

「懐かしいなぁ、あんまり変わってないんだ」

 リックは感慨深げに、あたりをぐるりと見まわした。

「ここ、すごく久しぶりなんだ」

「そういや最近は全然ここで遊んでないか。昔はよく一緒に来たけどな」

 隣のジークもつられるように周りを眺める。

「アカデミーに入る前のことだよね。僕はそれ以来だよ」

 リックはにっこりと微笑んで言った。

「俺は今でもたまに来てるけど」

「へぇ、そうなんだ。アンジェリカと一緒に?」

「ひとりでだっ!」

 ジークはむきになって言い返す。頬にほんのりと赤みが差した。


 リックは、ジークとともに地元のショッピングセンターに来ていた。ジークに付き合わされたのである。一人暮らしを始めるにあたって、料理の本を買いたいということだった。引っ越しの荷物をなるべく少なくするために、必要なものは引っ越し先で買うことにしているのだが、料理の本だけは早めに買って練習しておきたい、ということらしい。


 目的の本屋に入ると、料理本が置いてあるコーナーに向かう。案内板が出ているので、場所はすぐにわかった。

「いっぱい出てるんだな。どれがいいんだ?」

 ジークは難しい顔で腕を組んだ。たくさんの種類の本が、棚にも台にも所狭しと並んでいる。形も、大きさも、厚さも、装丁も、それぞれバラバラである。

「初心者向けのとか、一人暮らし用のとかじゃない?」

 リックは後ろで手を組み、ざっと眺めながら答える。

「それにしてもいろいろありすぎだぜ」

 ジークは平積みしてある本のひとつに手を伸ばした。それと同時に、反対側から白くほっそりした手が伸びた。ふたつの手が軽くぶつかる。

「あ、すみません」

「いえ、こちらこそ……あら?」

 白い手の女性は、驚いたようにジークを見つめる。

 ジークも同様にじっと彼女を見ている。

「私のこと、覚えてる?」

 彼女は僅かに首を傾げ、瞬きをしながら尋ねた。

「ああ、ミランダだろ?」

 ジークは素っ気なく答えた。

 彼女は口もとを緩めた。

「さすがに元カノのことは覚えてくれてるのね」

 ジークは彼女を見たまま、僅かに眉をひそめた。そして、リックに振り向き、耳元でささやくように尋ねる。

「モトカノって何だ?」

「昔のカノジョってことだけど……」

 リックは訝しげな視線を送りながら答える。

「ああ」

 ジークは納得したように軽く頷いた。

 ——ええっ?!

 リックは心の中で叫び、目を丸くした。

 ——否定しないの?!

 彼女の方が勝手に言っているだけではないか、と最初は思ったのだが、そうではないらしい。本当にふたりは付き合っていたのだろうか……。普通であれば、特に驚くべきことでもないが、何といってもジークである。まったくもって想像がつかない。

 ミランダと呼ばれた子は、ジークと同年代くらいに見えた。身長は高くも低くもないが、体型はかなり細身で華奢に見える。赤みがかった茶色の髪は、肩より少し長く、毛先は緩やかにカーブを描いていた。目はややつっているが、口角の上がった口もとのためか、きつい感じは受けず、可愛らしく愛嬌のある顔立ちになっている。上質な白いワンピースにボレロという組み合わせが、良家のお嬢さまといった雰囲気を漂わせていた。

「恋人とは上手くいってるんだ」

 ミランダはくすりと笑って言った。

「こっ、恋人……」

 ジークは慣れない言葉に仰け反り、顔を真っ赤にした。だが、不意に眉をひそめると、ミランダを指差して怪訝に尋ねる。

「ってか、なんでおまえそんなことまで知ってんだ?」

「噂になってたもの。実際に何度か見かけたこともあったし」

「噂……?」

 本当に噂になっているとすれば、火元はジークの母親だろう。彼女なら言いふらしても不思議ではない。その光景が目に浮かぶようだ。

「あのバカか……」

 ジークは苦虫を噛み潰したような顔で、低くうなるように呟く。

 リックは苦笑しながら、彼の肩をポンと叩いた。

「まあ、いいじゃない。隠すようなことじゃないんだし」

「そうよ、男同士でも別に恥じることじゃないわ」

 ミランダはにこやかに言った。

「……はっ?」

 ジークは混乱した様子で聞き返した。

「え? だって、恋人……でしょう?」

 ミランダの人差し指がリックに向けられる。

「ぼ、僕?!」

「なんでだよ!!」

 リックはうろたえ、ジークはぎょっとして言い返す。

「違うの?」

 ミランダはきょとんとして尋ねた。冗談を言っているわけでも、からかっているわけでもないらしい。

「ったりめーだっ!! んなわけねーだろ!! こいつはただの友達!」

 ジークは全力で釈明し、大きく肩を上下させて溜息をついた。だが、ふと何かに気がついたように、片方の眉をひそめる。

「……ちょっと待て。なんかさっき噂になってるとか何とか言ってなかったか?」

「ええ、ジークと同じ学校に通っていた子から聞いたの。ジークって男と付き合ってるらしいよーって」

 ミランダは平たく言った。

「なんでそんなこと簡単に信じんだよ……」

 ジークは疲れきったようにぼそりと言った。片手で額を押さえてうつむく。

「だって、私、実際に仲良さそうに歩いているところを見ちゃったんだもの」

「友達だったら一緒に歩くだろ普通……」

「問題なのはジークの表情よ」

 ミランダは急に怒ったようにそう言うと、口をとがらせた。

「はぁ?」

 ジークは素っ頓狂な声を上げ、訝しげに顔を上げた。

「私とのデートではいつもつまらなそうにしていたのに、この人とはすっごくいい笑顔でしゃべってるし、一緒にジークの家にしけこんでいったし、私、ものすごく悔しかったんだからっ!」

 ミランダは本当に悔しそうな顔で、恨みがましく言った。胸もとで握りこぶしを作り、ぐっと力を込めている。

「しけこむっておまえ……」

「私は頼んでもジークの家には入れてもらえなかったわ」

「悪かったよ」

 彼女の迫力に圧されたのか、面倒くさくなったのか、ジークは投げやりに謝った。

「でも、そもそも何でそんな噂が立ったんだろう?」

 リックは横からぽつりと言った。

「うーんとね……」

 ミランダは斜め上に視線を流し、記憶を辿りながら答える。

「聞いた話では、女の子がジークに告白したんだけど振られちゃって、その理由が『リックと付き合ってるから』だった、って」

「嘘だ! そんなの一度も言ったことねーよ!」

 ジークは勢いよく否定した。

「じゃあ、何て言ったの?」

 リックは冷静に尋ねる。

「何だっけ……えーと……」

 そう言いながら考えているうちに、ジークの顔色が変わっていった。血の気が引き、青ざめているように見える。冷や汗まで浮かべている。

「どうしたの?」

 リックは首を傾げ、覗き込むようにして尋ねた。

 ジークは腕を組み、何ともいえない微妙な表情で、言いにくそうにためらいながら口を開く。

「あー……えっと……『リックで間に合ってる』、だったら毎回言ってたような……」

「ま、間に合ってる?? ちょっと何それ!」

 リックは驚いて、大きな声で責め立てる。

 ジークは慌てて両手を広げ、左右に振った。

「待て、違う、他意はなかったんだ。いま考えてみると明らかにおかしいけど……」

 うろたえながらも懸命に釈明をする。

「あ、あのときはな、付き合うってことをな、一緒に帰ったり遊んだりすることだって思ってたんだ」

「なに? じゃあ、ジークは僕と付き合ってるつもりだったの?」

「いや、そう意識してたわけじゃねぇけど……」

 しどろもどろのジークに、リックは呆れたような冷たい視線を送る。

「……僕、今、いろんな意味で引きまくってるんだけど」

 ミランダはそんなふたりのやりとりを見ながら、肩をすくめて苦笑した。

「って、よく考えたら全部おまえのせいじゃねーか!」

 ジークはいきなりミランダに振り返り、彼女の鼻先に人差し指をビシッと突きつけた。

「えっ?! どうして私っ?!」

 その近さに仰け反りながら、ミランダは目を大きく見開いて尋ね返す。

「おまえが言ったんだぞ? 付き合うってどういうことだって訊いたら、一緒に帰ったり一緒に遊んだりすることだってな」

 ジークは彼女を指差したまま、さらに一歩前に踏み出した。

 ミランダはムッとして頬を膨らませた。

「そんなことを女の子に尋ねること自体が間違ってるわ!」

「わかんねぇことを訊いて何が悪いんだよ」

 ジークはふてぶてしく言った。

「じゃあ訊くけど、あのとき何て答えれば良かったわけ?」

 ミランダは両手を腰に当てて詰問する。

「う……そ……それは……」

 ジークは口ごもった。

「14歳の女の子に、あれ以外どんな答えが出来たっていうの?」

 ミランダは追及の手を緩めない。

「えっと……」

「私、態度と行動ではちゃんと示したつもりだったわよ?」

「態度……? 行動……?」

 ジークは弱った顔で首を捻る。かなり当惑している様子である。

「あーもうっ、あったまきた!」

 ミランダは唐突に甲高い声で叫んだ。

「返してよ、私のファーストキスっ!!」

 手のひらを上に向けてジークに突き出す。

「はぁっ?! おまえが勝手にしてきたくせに、よくそんなこと言えるな! こっちこそ返せよ!!」

 ジークも同じように右手を突き出して応戦する。

 ——え? ええっ?!

 リックは驚愕の表情で、頭を両手で押さえた。

 ——ジークがキスっ?! ウソっ?!!

 目の前で交わされている会話の内容が、にわかには信じられなかった。だが、ジークが否定していないのだ。事実と考えるしかないだろう。クラクラと目眩がする。絶対にアンジェリカには聞かせられないと思った。

 ミランダはふっと表情を緩めると、手を引っ込めた。その手を口もとに当て、くすっと吹き出す。

「子供みたいな言い合いね」

「ああ……」

 まわりの視線を集めていることに気がついたらしく、ジークは急に顔を赤らめてうつむいた。ジークでなくともあの言い合いは恥ずかしいだろう。

 だが、ミランダは平然としたままだった。まわりの目に気づいていないわけではなさそうだ。あまり人目を気にしないタイプなのかもしれない。口もとに人差し指をあて、視線を上に向けて言う。

「ジークがこんなに感情的になるなんて知らなかったなぁ。もっと醒めてる人だと思ってたのに」

「なんだよそれ」

 下を向いたまま、ジークは軽く受け流した。

 ミランダはくすくすと笑った。後ろで手を組んで尋ねる。

「ジークは料理の本を買いに来たの?」

「ああ、就職して一人暮らし始めるんだ」

 ジークは落ち着いた声で答えた。

「私も同じ」

 ミランダはえへへと子供っぽく笑った。右の頬に小さく笑窪ができた。

「じゃあ買ってやるよ、料理の本」

「えっ?」

「昔、魔導の本を買ってもらっただろ。その借りを返す」

 ジークは仏頂面でぶっきらぼうに言った。

「それじゃ、遠慮なく」

 ミランダは明るい声で言い、にっこりと微笑んだ。


 ミランダはさんざん迷った挙句、5冊を選んだ。5冊ともジークが支払った。

「おまえ、本当に遠慮しなかったな」

 ジークは呆れ顔で言った。

「だって、どれがいいかわからなかったんだもの」

 ミランダは少し重そうな茶色の紙袋を胸に抱き、平然と答える。少しも悪いと思ってなさそうだ。むしろ、この状況を楽しんでいるようにも見える。

「ねえ、ジーク」

「何だ?」

 ジークは面倒くさそうに返事をする。

 ミランダは小首を傾げ、上目遣いに尋ねかける。

「あの魔導の本、もう捨てちゃった?」

「いや、今でもときどき読み返してる」

 ジークは目も合わさず、素っ気なく答えた。

「そう、良かった」

 ミランダは小さく肩をすくめて嬉しそうに笑った。

「ジークの今の恋人ってどんな人?」

「えっ?」

「いるんでしょう? さっきの反応からすると」

「あ、まあ……いや……」

 ジークはあからさまに動揺していた。

「すごく可愛いくて、頑張り屋さんで、いい子だよ。両親公認だし」

 リックはもどかしくなって、横から口を挟んだ。ミランダへの牽制の意味もあった。彼女が何を考えているのかわからないが、リックは何となく嫌なものを感じていた。

「勝手に答えんなよ」

 ジークは横目で睨んで言った。耳元が少し赤くなっている。

「私も見てみたいなぁ」

 ミランダは斜め上方に視線をやり、甘えた声で独り言のように言った。

 ジークは眉根を寄せてじとりと睨む。

「おまえには絶対に会わせねぇぞ」

「やっぱり?」

 ミランダはペロッと小さく舌を出した。

「それじゃあね、またいつか!」

 元気よくそう言うと、大きく手を振り、赤茶色の髪を弾ませながら階段を降りていった。


「さ、俺らも本を買って帰るか」

 ジークは腰に両手を当てて、背筋を伸ばしながら本屋へと戻る。

「今日はいろいろ驚きすぎちゃったなぁ」

 リックはジークについて歩きながら、ぼんやりと言う。

「ジークってああいう子が好みだったんだ」

「別に好みとかそういうんじゃねぇよ」

 ジークはぶっきらぼうに答えた。

「でも、付き合ってたんだよね?」

「それは……成り行きみたいなもんだ」

「成り行き? どんな?」

 リックは首を傾げた。

「どうでもいいだろ」

 ジークは突き放すように言う。少し苛立っているようだった。

「じゃあ、アンジェリカとも成り行き?」

 リックはにっこりと微笑んで尋ねた。

 ジークは途端に顔を紅潮させ、横目でリックを睨む。

「……テメェ、わかってて言ってるだろ」

「うん、まあね」

 リックは弾んだ声で答えた。成り行きなどではなく、どれだけ必死に頑張ってここまできたか、リックはよく知っている。それでもあえて尋ねたのは、ジークの反応を見たかったからだ。はっきりとは答えなかったが、ジークらしい反応を返してくれた。それだけで満足したし、安堵もした。少しだけ腹が立っていたが、それも吹き飛んだ。

「ニヤニヤしてんじゃねーよ」

 ジークはリックの頭を軽く小突いた。ポケットに手を突っ込み、本屋へ向かう足を速める。顔はまだ赤い。

「待ってよ」

 リックは明るく笑いながら、軽い足どりでジークを追いかけた。


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