1-7 嫌われ者からの贈り物
リョウの住まいはティパールの中央と外周の東の境目。68番街だ。
居住区のある中央の中でも、低所得層が多く住むのが68番街。
集団居住用に建てられたビルたちも、外装は一切施されておらずコンクリート剥き出し。住人の柄もお世辞にも良いとは言えず、小心者は一晩過ごしただけで寿命の半分をすり減らしてしまうだろう。
リョウは有能なハンターだ。
凍月を追いつつもデビュー当時から着々と文化的に価値のある宝を発見した彼には、並みのハンターよりも貯蓄がある。
しかし彼はこの68番街に構えた部屋から出ようとはしない。
ハンターを始めてから現在までの3年間、部屋を変えたことは一度も無い。
そんなリョウは自分の部屋があるビルの入り口で、見覚えのある陰がこちらを見詰めているのに気付いた。
「えらい遅いお帰りやのぉ。リョウ=クレセッド」
ティパールより遥か西。ユリアン国の領地の西の果て。
その地域の古い訛りの利いた声がリョウの歩みを止めた。
「何か用ですか? マイト=ケテル長官」
リョウは敬語になりながらも、しかし慇懃無礼な態度で彼を待っていた男に対峙する。
獅子を髣髴とさせる豊かな金髪と細い目が印象的な男。彼はこのティパールで最も合いたくない男だ。
そう思うのはリョウだけではない。ティパールに住む全住民がそう思っている。これは予測ではなく事実だ。
「そないに冷たい事言ぃなや。ちょぉっと話がしたいだけやんか」
理由は単純。彼の服装がそれを物語っている。
白銀の輝くプレートメイルに、金の装飾が施された大きな盾。腰には全長が1メートル30センチ程あるロングソードが吊るされている。
『正義の盾』の正装である。
ティパールの治安維持組織『正義の盾』。街で揉め事があれば呼んでもいないのに集結し、ユリアン国の名の下に暴力的な干渉、制圧を行ってくる。
所属している本人達は、それが正義のためだと言い張って辞めようともしないが、事情も聴かずに圧倒的な数の暴力で騒動を鎮圧するその姿は、住人からしたら迷惑以外の何者でもない。
マイト=ケテルは『正義の盾』の最高長官。つまりこの街の嫌われ者の長というわけだ。
「俺はお前に話などない」
リョウは冷たく言い放ち、自室に向かうためマイトの横を通りビルに入ろうとする。
リョウがハンターを始めた4年前、ひょんなことから知り合いになってしまっていたマイト。その頃はまだ『正義の盾』が正常に機能をしていた。今のように問答無用に暴力を振るうわけではなかったし、揉め事の詳しい事情を加味した上で問題を解決していてくれた。
「まぁだ3年前のことについて怒ってんのかぁ? もう水にながしてぇやぁ」
リョウの方に纏わり付いて、彼の進行を止めようとするマイト。
彼の言う「3年前の事」とは『正義の盾』が今のような組織に変わってしまった直接の原因となった事件である。リョウもその事件には巻き込まれていた。
リョウが彼を忌み嫌うようになったのはその頃からだ。
「離せ」
足は止めたものの、肩に纏わり付くマイトに殺気を浴びせ続けるリョウ。
「おぉこわっ」
細い目を更に細くしながら、マイトはわざとらしい挙動でリョウから離れる。
「良いだろう、話だけなら聞いてやる。なんだ?」
これ以上付きまとわれるのは、面倒以外の何物でもない。
そう判断したリョウはマイトの言い分を聞こうと、彼の方へ向き直った。
「お前明日凍月を手に入れる為に18ダンジョンに潜るらしいのぉ」
「そう……だが。どうして……」
リョウはマイトの発言に身を堅くする。
この街では自分が何を狙っているか、そしていつその標的を手に入れるか。という情報は命と同等に貴重な物だ。
その宝がどこにあるのか、という情報が漏れれば先に発掘されてしまうかもしれない。いつその宝を手に入れるのかがばれてしまえば、ハイエナ等に待ち伏せされて横取りされてしまうかもしれない。
様々な人間の欲望が渦巻くこの街では、情報とはそれほど貴重な物なのだ。
今回の凍月の件も、リョウは情報が漏れ出さないように充分警戒していた筈だ。
「今日のビル倒壊の一件。あれの元凶となった人間、こっちだって検討くらいつけとるわ」
ミチル達のことだ。
『正義の盾は』原則現行犯相手にしか権力を行使できない。今日のビル倒壊の件も、ミチル達が犯人だとしてもマイトにはどうすることも出来ない。
「それがどうかしたか?」
表情だけは冷静に語るリョウ。
「あの現場にミチルがおって、あのミチルが俺らの到着前に姿を消しとる。どうせお前が止めに入ったんやろうおもて砂埃に密偵を出したら、お前が出入りしとるっちゅう話やないか」
「職権乱用も良いとこだな……」
事の真相が見えてきたリョウは、呆れた様子で首を横に振る。
マイトは知り合った4年前から何かとリョウにちょっかいを出してくる。今回密偵を派遣してきたのも、ミチル達を連れて行ったのがリョウだと分かったからこその行動だろう。
凍月の情報をマイトが掴んでいたのは、マイトの行動の結果。つまりマイトしか知り得ない情報だということがわかり、リョウは僅かに表情を柔らかくする。
「俺にもプライバシーってもんがあると思うんだけどな」
「俺はお前のことが心配なんやってリョウ。ほんで砂埃、お前ときたら凍月の件やろ? ここ最近18ダンジョンに潜り続けたお前が、今日になって久しぶりに砂埃に来店しとる。簡単な推測や。お前の反応からして正解やったようやけどのぉ」
「お前、鎌を掛けたな……」
見事にマイトの掌で踊らされたリョウは鋭い目つきを投げかける。
「まぁまぁそんな文句言ぃなや。これでもトレジャーハンターの先輩、それに加えて人生の先輩や。先輩の助言には耳を貸しておくのが礼儀ってもんやで?」
マイトは相手の神経を逆撫でするような笑みを顔に貼り付けながら、優しい口調で語りかけてくる。
「お前を先輩だと思ったことは無いし、お前の助言なんか必要としてない」
「ほんま可愛げのないやっちゃのう。まぁええわ、明日困ったらこれ使い」
マイトが一つの小さなガラス瓶を渡してくる。コルクで栓をされた5センチほどの小さなガラス瓶。
ガラス瓶といっても表面は遮光加工をされているのか、黒く塗りつぶされているため中を確認することは出来ない。
「何が入ってるんだ?」
「それは内緒や。まぁ本当に危ない時にそれを叩き割ったらえぇ」
「俺がお前の言うことを信用すると思うとでも?」
「まぁ信用できひんかったら使わんでもええよ。ほんじゃぁな」
リョウの憎まれ口をも飄々と受け流したマイトは、満足したかのように去っていった。
「困った時ねぇ……」
マイトが素直に去っていった事を不思議に思いながらも、リョウは階段を上がり自室へと向かった。
――――――
リョウの自室は4階の角部屋だ。
6メートル四方の小さな部屋。家具は貧相なベットのみ、他に置かれているのはダンジョン探索に必要な物だけだ。
「ふぅ……」
今日仕入れた物を雑多に床に置くと、外套を脱ぎ捨てたリョウはベットに身を預ける。
すっかり日の暮れた外界からは、月と星の光、そして街の明かりが窓を通して部屋を照らしてくる。
リョウはふと思い出し、シームアから貰った藁半紙とマイトから貰った小瓶を取り出す。
「凍月の間を開けた者は、他よりも大きな死を乗り越えなければならない……」
藁半紙に書かれた文字をボンヤリと読み上げるリョウ。
凍月を生み出した刀匠、アルベルト=サインズの伝記からの引用箇所だ。
「死……罠かそれとも……」
アルベルトの名刀が隠された場所には、必ずと言っていいほど命に関わるような罠が仕掛けられえている。
これは刀を手に入れようとする者に対しての、アルベルトから送られる悪趣味な最後の試練だと言われている。
今まで発掘されたどの刀の場合でも、趣向を凝らした罠が用意されておりそれが最後の難関として立ちはだかってたという。
もちろん凍月の場合も例外ではないだろう。
リョウやシームアが気にしたのは『他よりも大きな』という部分。
今までの例でも充分命に関わるような罠ではあったようだが、今回に関してはそれ以上の罠が待ち構えているだろう。
「……」
マイトはそのことを知っていたのだろうか?
ガラスの小瓶の中身を気にしながら、リョウは襲い来る睡魔に抗えず眠りに就いてしまった。
今日は彼の日常からは考えられない程多くの人と関わり、多くの問題と直面した日であった。