1-3 触媒と爆発
アン=ティアスはすこぶる上機嫌であった。
彼女が密かに(と言っても当人達以外にはばればれなのだが)想いを寄せている相手と二人でデートとなれば、上機嫌なのも道理だろう。
その想いを寄せる異性リョウ=クレセッドは、現在アンの前方を歩いていた。
アンより頭一つ分高い身長、昔と比べて随分広くなった背中。
今は見えないが端整に整った顔も、ここ数年男らしさ、というものが出始め目を合わせただけで胸が高鳴るという場面も多々ある。
(リョウどこ行くんだろう?)
アンはリョウに行き先を告げられていない。
中央区の南、飲食街からリョウは真っ直ぐ東に足を伸ばした。
国立の大図書館の前を通り、人気の菓子店の角を曲がり、薄暗い路地をいくつか抜け、現在は中央区と外周の境目周辺まで来ていた。
「リョウ? どこ行くの?」
ここまで来てしまうと、アンが望むような甘いスポットは存在しないため、渋々リョウへ声をかけた。
良い女とはすぐに目的地を聞かないものだ。
「砂埃」
「そう」
リョウの端的な返答に、アンの気分は一気に底辺にまで落ち込んでしまう。
砂埃は、ティパールでも穴場の武器屋だ。
ティパール内で国が絡まない武具の取引、その大半を占めるのがクラン『砂上の行商人』。通称キャラバン。
そのキャラバンが認めた、限られた相手にのみ武具・情報を売るのが砂埃である。
「明日に向けて、必要な情報と装備を揃えようと思う」
「へぇ、それでなんで私が砂埃に行かなきゃいけないの?」
わざと不機嫌であるということを伝えるように、アンは刺々しい物言いで尋ねた。
「お前みたいに可愛い子がいた方が、値切りやすい」
「そっ……そう……?」
急に『可愛い』等と言われ、アンは一気に赤面する。
しかし浮き足立ったのも数秒間。リョウの発言を反芻し、ある違和感に気付く。
「私はお手軽なクーポン券じゃないんだからねぇー!」
後日、この叫びをまだ中央区シンが微かに耳にした。という情報が入り、再びアンは赤面するのであった。
―――――――
機嫌を損ねた女性の扱いというのは、ダンジョンの魔物を手懐けることよりも難しい。
それはリョウにとっても例外ではない。
アンが鼓膜を引き裂くような大声を上げてから、早30分。
今でも頭から湯気を出しそうな幼馴染は、現在も後方からリョウの後を着いて来る。
「なぁ、怒らせたなら謝る。無理に着いてくることは無いぞ」
「そぉいうことじゃない」
この様なやり取りを続けるのも早30分。
経験上こうなったアンは手の施しようが無い。気持ちが治まるのをただただ待つだけだ。
そうこうしている内に、リョウは目的の店の前にたどり着いた。
トタン屋根とベニヤ板で作られた貧相な小屋。入り口には麻の布が掛けられており、その横には看板代わりであろう板が壁に立掛けてある。
看板代わりの板には雑多な字でこう書いてある。
『一見お断り。砂埃』
この瑣末な掘っ立て小屋が、ティパールで武具取引の中枢を占めている一大クラン『砂上の行商人』の直営店なのだ。
「誰かいるか?」
声を掛けながらリョウは麻布をめくって、中を覗く。
中は昼だというのに薄暗かった。砂と体臭、煙草の煙。そして鉄の臭いの混ざった臭いに、リョウは顔をしかめながら足を踏み入れる。
絶賛不機嫌中の幼馴染も、顔をしかめながらリョウに着いてきた。
「シムーアいるんだろ」
今度は先よりも大きめの声で店主の名を呼んでみる。
「あぁ……聞こえてるよ騒々しい」
その店主はどうやらリョウの足元で寝ていたようだ。
多くの皺が刻まれた浅黒い顔に、目元が隠れるまで伸びた白髪。骨と皮しかないような細い身体。腰は曲がっており身長はリョウの腰ほどしかない老人がそこにはいた。
「シムーア久しぶりだな」
「凍月。見つかりそうらしいじゃないか」
皺だらけの店主、シムーアは自分の為に茶を入れながらリョウに声を掛ける。
「相変わらず耳が早いな」
シームアの情報収集能力はティパール随一だ。
どのような術を使っているかは分からないが、南で伝説の刀剣が発掘された事から、北で有名なクランのマスターの恋破れた事まで瞬時に耳に入ってくる。
「俺を舐めるんじゃねぇよ。炎陽が必要だからシン坊に会ったんだろ」
「よく分かってるじゃないか。それじゃあここに来た理由もわかるよな」
シームアとの会話は早いので助かる。
こちらの言いたいことを来店前から理解しているので、無駄な時間がかかることが無いからだ。
「扉を開けた後の情報。それに雷魔法用の触媒だろう」
「えっ? 触媒?」
突如出てきた自分に関係のある単語に、それまで床に転がっていた怪しげな図書に興味心身だったアンが反応する。
本来魔法を使用するにあたって、絵本のように杖などを使用する必要はない。
魔法を使う本人が、その場に居るだけで魔法は発生する。
しかし触媒といわれる、魔力を増幅させる鉱石や薬品を使用することで、本人の魔力の消耗を極端に抑えたり魔法の威力を増すことが可能なのだ。
「それを買いに来てくれたの?」
思わぬ展開にアンが顔を輝かせる。
女性とは古今東西、現金な物である。
「そんな所だ、確認したい情報もあったしな。先に触媒の方を見繕ってくれ。雷系、使いやすいものが良い。発動の瞬発力が上がる物があるなら尚良いな」
アンの機嫌が良くなった事に安心したリョウは饒舌になる。
男性が単純であり、分かりやすいというのも古今東西共通のことだ。
「アン=ティアスさんだね。噂以上のベッピンさんだ。そんなお嬢さんにお似合いの触媒は……」
これまた分かりやすい反応のシームアは、いそいそと触媒が詰まった木箱を漁りアンのための触媒を見繕う。
「ライトニング鉱石、電気ヤモリの干物、雷龍の髭……」
次々といかがわしい商品を床に並べるシーモア。
しかしアンの顔色が格別よくなるような代物は未だ出てこない。
「あれは無いのか? この前27ダンジョンで掘り出し物が出てきたのが入ってるだろう?」
「……よく知ってるな」
リョウの鋭い指摘に、流石のシームアも少々たじろぐ。
27ダンジョンは魔法関係の宝が出てくることで有名だ。魔力のこもった武具、鉱石。効力の高い触媒も多く発掘されることで有名だ。
数日前、雷系の魔法に効果絶大の触媒が出たということをリョウは耳にしていた。今日砂埃に来たのも、その触媒が目的だ。
「まぁお前さんに財布の心配をするのは野暮だしな。ちょっと待ってろ……」
シームアはしぶしぶといった様子で小屋の奥に足を運び、手のひら大の箱を持ち出してきた。
「雷神の涙。丁度昨日名前が付いた。そこらの術師が一足飛びで魔道師の仲間入りだ」
説明しながらシームアは箱の蓋をゆっくりと開ける。
「わぁ……」
思わずアンの口から感嘆のため息がこぼれる。
箱に収まっていたのは5センチほどの美しい宝石をあしらったブローチ。
透明感を保った深い緑の宝石を、細かな装飾が施された金の台座にはめ込んだだけのシンプルなデザインだが、そのシンプルさが荘厳さを引き立たせているようだ。
「装飾のパターンから見て2000年前の大魔道師、ワイズマンの遺産のようだ。少々値は張るが、これ以上の触媒はうちには置いてない」
まるで愛する我が子を紹介するようなシームアの口調に、アンは顔を綻ばせる。
「これでいいよ。金はいつも通り」
「銀行に。だな分かったこのまま付けていくと良い。お嬢さんこっちに」
シームアに従い近付いてきたアンの胸元に、丁寧な所作でブローチがつけられた。
「いいの? リョウ。高いんでしょ? これ」
流石のアンもここまで来てしおらしくならないはずが無い。
申し訳なさそうに、しかし少々うれしそうにしながら上目遣いでリョウに確認する。
「良いんだよ。これだけ良い触媒を使うんだ。明日は期待してる」
「うん。頑張るね、私!」
微笑むリョウに、アンも笑顔で答える。
「それで、後は情報の方なんだけど……」
その時である。リョウの言葉を遮る用に爆発音が小屋にいる3人の鼓膜を揺さぶった。
「爆発……?」
それほど近いわけではないが、かなり大きな爆発音にアンが不安そうな顔をする。
治安の悪くなるティパールの外周近くでは、刃傷沙汰等日常茶飯事だ。
しかし、これほどまで大きな音を立てる爆発が起きるというのは珍しい。
そもそも個人的な争いには関与してこないティパールの統治組織も、建造物に被害が出てくるような争いには、過干渉と捉えられる程暴力的な介入をしてくる。そのため、そのような事態は避けようとするのが、ティパールで喧嘩をする時の暗黙の了解だ。
さらにここまでの爆発を引き起こせる人間も数が限られてくる。
そしてシームア、リョウ、アンの3人はそれに該当する3人組を知っている。
「うちの若達だろうなぁ」
シームアがバツの悪そうな顔をしながら、白髪を掻き毟る。
「だろうなぁ」
「この前も国から注意受けてなかった?」
3人とも同じ人物を想像していたようだ。
ここ数ヶ月マスターが行商に出ているクラン『砂上の行商人』を率いる3人組
ミチル=ターメラ
ヒカル=メルパドーレ
ハルカ=メルパドーレ
ティパールの暗黙の了解を無視し、大規模な爆発を易々と引き起こせるのはこの三人組しかいないだろう。