2-10 燕尾服の男
「ふん……」
ミチルがブロウズの脳天に、踵落としを決めた瞬間。
近くの建物の屋上に、小さく鼻で笑う男の姿があった。
大きく窪んだ、感情を感じさせない目元。鷲を彷彿とさせる鉤鼻と痩せこけた頬。オールバックにされた白髪交じりの頭髪。
その顔付きは、まるで絵本の中に登場する、悪の魔法使いのそれのようだ。
そして身を包むのは、執事が着るようなスリーピースの燕尾服。
皺一つない黒の燕尾服。身体のラインを綺麗に見せるそれは、正に一級品だ。
異様な男であった。
顔付きから放たれる狂気。しかし、姿勢や立ち振る舞い、衣服から感じ取れるのは気品そのもの。
ありとあらゆる人間、人種が生活を送るティパールでも、ここまで見た目と中身がアンバランスな人間も珍しい。
「ひっさしぶりやのぉ」
「マイトか」
突如背後から投げ掛けられた声に、男は振り返る。
そこには、マイトがいた。
かつて互いに命を預けあった、戦友。
尊敬すべき筈であった男。
「お前は昔から変わらんのぉ。自分の手は染めへんくせに、現場の近くには必ずおる」
「私なりの流儀だ。それに昔と違って、今の部下は無能な者も多いのでね」
薄い笑いを浮かべながら語る男。
その笑顔を見たマイトの眉が少しだけ上がる。
『その笑い方嫌いやわぁ』
以前マイトが、男に対して述べた言葉。
しかし、男の方からすれば、マイトの人を馬鹿にしたような笑い方の方が不愉快であった。
「お前、ティパールに何しに戻ってきた」
「その質問。答える必要はあるのか?」
慇懃無礼な、男の態度。
顔に張り付いた薄ら笑いが崩れることもない。
「偶然とは言え、俺ら『正義の盾』から逃げられたっちゅうのに、わざわざ戻ってきてるんや。なぁんか企んでる事でもあるんやろ?」
「検討位はついているんだろう?」
「さぁっぱりや」
「白々しいな」
この態度だ。
マイトのこの飄々とした態度が、男は気に入らない。
いつ、いかなる時においても余裕の表情。
いくらこちらが本音を聞き出そうとしても、はぐらかされてしまう。
「お前のその態度。昔から大嫌いだった、よっ!」
そう言い放つと同時。男は両腕を勢い良く振るう。
彼が武器を放つ時の動作だ。
スーツの袖口から、マイト目掛けて数本のワイヤーの様な物が放たれる。
『鉄糸』と呼ばれる武器である。
大層な名前が付いているが、要は先端が鋭く尖ったワイヤーだ。
そのシンプルな外見に反して、扱いが異様に難しい一品であり、様々な武器を扱う者が存在するティパールでも、使用者は珍しい。
しかし、貫通力という面では一級品の武器。
達人級となれば、並みの鎧の装甲など容易く貫いてしまう。
そして男も達人級の使い手であった。
勢い良く放たれた鉄糸は、真っ直ぐにマイト向けて飛んでいく。
「そこまでです!」
響く女性の声。
マイトと男の間で火花が飛び散る。
「ユイか。邪魔なやつだ」
男は口を歪ませ、突如として現れた女性を見る。
後ろで束ねた長い黒髪。切れ長の目、高い鼻。
大人の女性の色香を纏った女性だ。
『正義の盾』の正装である白銀の鎧を纏ってはいるが、男性の団員が着込んでいる鎧と異なり、胸元と太腿の部分が大胆に露出している。
ユイ=コクマー
若干19歳にして『正義の盾』副長官を務める、女性剣士だ。
その美貌に反して、マイトの右腕を立派に務める実力者。
高速で投げつけられた鉄糸を、正確に弾いたことからも、その実力は窺える。
「フェンミリア=ティフェレト。貴君は現在『正義の盾』によって定められた、ティパール進入禁止命令に抵触しています。速やかにこの街から退去しない場合、私達は貴君に武力行使を行いますが、よろしいですか?」
事務的に言葉を紡ぐユイ。
返答次第では、右手に持つ刀で即切り付けるといった雰囲気だ。
「貴様とマイト。二人でかかれば、どうにかなるとでも? 俺も舐められたものだな」
フェンミリア=ティフェレト。
ユイに名前を呼ばれた男は、侮蔑の目をマイトとユイに向ける。
「舐められているのは、私達の方です。貴方を捕り逃してからの3年間。私達が鍛錬をしていなかったと思いますか?」
フェンミリアに切っ先を向け、凛とした表情で告げるユイ。
その瞳からは、強い意志が感じ取れる。
「お前がいくら鍛錬を重ねたとしても、私の足元にも及ばないよ」
「試してみますか?」
ユイとフェンミリア。二人の距離はおよそ10メートル。
互いに、一瞬で詰めることの出来る間合いだ。
両者の間に緊張感が走る。
「ふっ、辞めておこう。ルーナやトトレまでも相手にするとなると、骨が折れる」
今にも切り合いが始まりそうな雰囲気であったが、フェンミリアは何かを感じ取ると構えを解いてしまった。
「良く分かりましたね」
「これでも、元諜報なのでね」
ユイに対して、嘲笑するフェンミリア。
同時に、辺りの気配を探る。
自分を狙っていると思しき人影は、マイト、ユイの他に4人。
「直轄部隊全員か……」
マイト直属の部下達の顔を思い浮かべながら、フェンミリアは逡巡する。
現在、マイトには直属の部下が5人いる。
その全員が、この場においてフェンミリアの事を狙っているのだ。
「私一人相手に、大層な準備をしたなマイト」
「それだけ皆に嫌われてるちゅうこっちゃ。嫌われ者に嫌われるって、相当やで? 性格直した方が良いんと違うか」
「抜け抜けと。後から来たのも、この準備の為だろう。子どもを囮にして、時間を稼いでるうちに」
眼下で先までブロウズと戦闘を繰り広げていた少年。
彼等と比べ、マイトの到着が遅れたのは、部下の配備に時間を取られていたからだろう。
「囮やなんて人聞きが悪い。そもそも、お前にとってはリョウが本命なんちゃうか?」
「どうだかな。それでは、私はこれでお暇させてもらうよ」
これ以上、この場に用は無い。
そう感じたフェンミリアは、身を翻し、背を向ける。
「待ちなさい! 逃げられると思ってるんですか?」
背後からユイの声が飛んでくる。
任務への意識が強い彼女のことだ。今にでもフェンミリアに切り掛かってくるだろう。
しかしフェンミリアは、そんな事など意にも介さない。
「逃げるだなんて、それこそ人聞きが悪い。帰るんだよ、やはり地上は私に似合わない」
そう言うと、フェンミリアはゆっくりと右手を上げてゆく。
「待ちなさいと、言ってるでしょう!」
業を煮やしたユイが、地面を強く蹴る。
フェンミリアまでの10メートルが嘘のように、一瞬で間合いを詰めた彼女。
その憎き背中に向けて刀を振るう。
「くっ……」
しかし、彼女の一閃は空を切る。
ユイが刀を振るう直前。
フェンミリアの姿が消えていたのだ。
まるで蜃気楼であったかの様に、彼の姿は跡形も無く消えていた。
「追います!」
「無駄や、ユイ」
姿の消えたフェンミリアを探そうと、足に力を込めるユイ。
しかし、マイトがそれを静止する。
「俺らが部隊全員で来てる様に、あいつも部下を連れてきてるんやろう。今のやって、ジゼルが手を貸してたんやったら足で追うのは無理や」
フェンミリアは部下が無能だと言っていたが、彼にも強力な部下は何人かいる。
その中には、強力な魔法使いも存在しており、その魔法使いが彼を移動させたとしたなら、物理的な追跡は不可能だ。
「しかしっ!」
事実を突きつけられたとしても、納得がいかない様子のユイ。
懇願するような目つきで、マイトのことを見つめる。
「それに分かったことかて、色々ある。俺はこの後、リョウ達と話をつけてくる。もう帰ってええわ」
「分かりました」
適当なマイトの指示ではあるが、これもいつもの事。
ユイは即座にマイトの命令に従い、屋上を後にする。
それに従って、辺りで待機していた4人の気配も消える。
屋上に残ったのは、マイト一人だけ。
「さぁて俺も、はよ行かなな」
大きく伸びをするマイト。
その顔には笑みが浮かんでいる。
「もう一踏ん張りや」
そう呟き、マイトも屋上を後にした。




