2-9 人狼
「ふっ……」
大きく息を吐き、地面を強く蹴る。
凄まじいスピードで、周りの景色が後方へ飛び行く。
狭い路地裏を疾走し、標的の後方へ回り込む。
いくら先手を取って相手の懐に潜り込んだとしても、反撃を受けてしまっては意味がない。
相手の反応が及ぶよりも早く、腰を右側に捻る。
力を抜いていた両腕に、一気に力を込める。
全身の筋肉を連動させ、右の掌一点に神経を集中。
狙うは標的の腹部。
「だぁりゃぁ!」
掛け声と共に、ミチルの掌底が放たれる。
完璧なタイミング、角度、威力。
舞打法を長年使用してきたミチルにだからこそ分かる、必中の一撃。
掌底は、標的の腹部に深く突き刺さる。
筈なのだが。
「くそっ!」
ミチルの掌底は空を切ってしまう。
「ガァ!」
まるで掌底が外れた事を嘲笑うかのように、ミチルの頭上に魔物の鳴き声が降り注ぐ。
「あんの野郎……」
額に血管を浮かべながら、ミチルは標的を睨みつける。
路地に面する建物の壁に、爪を突き立て張り付いている魔物。
茶色の毛皮に全身を覆われ、顔は狼のそれの様。
細く伸びた両腕の先には鋭い爪が光り、発達した後ろ足にも同様に鋭い爪が除いている。
人狼型の魔物『ブロウズ』
元来好戦的な魔物ではあるが、知能や反応速度が秀でていない為に、脅威として考えられることは少ない。
しかし、今回のブロウズは一味違った。
舞打法の高速移動による撹乱にも素早く反応し、全ての攻撃を紙一重で避けられてしまう。
明らかに格下だと思っていた魔物相手にてこずってしまう。これだけで、ミチルの怒りは爆発しそうになる。
「少年! 早く下がりなさい! ここは我々に任せるんだ!」
「るせぇ! いいかぁ? もしお前らが邪魔してみろ? この犬っころより先に仕留めてやるからなぁ!」
そしてこれも、ミチルの怒りを誘う要因。
『正義の盾』警ら隊である。
ミチルが魔物との戦闘始めてから数分後。
騒ぎを聞きつけたのか、巡回中の警ら隊が集まってきたという訳だ。
「大体よぉ。お前らには、こいつの相手はちょいと荷が重いと思う、ぜっ!」
犬歯を剥き出しにして、頭上のブロウズ目掛けて飛翔するミチル。
「グガァァ!」
ミチルに呼応するかのように、雄たけびを上げるブロウズ。
素早く壁に刺していた爪を抜くと、重力に任せて落下していく。
「舞打法。空技・弐式、雷雲」
落下するブロウズと、上昇するミチル。
交錯する瞬間、ミチルは身体を捻り、空中でブロウズ目掛けて連続で打撃を放つ。
足、肘、肩、拳。
全身の全てを駆使して打撃を放つ。
目にも止まらない高速の連撃。
並みの相手であれば、出す機会すら無い様な大技。
「なっ!?」
しかし、その大技ですらブロウズには届かない。
放つ打撃越しに伝わるのは、肉の柔らかい感触ではなく、爪の硬い感触。
「はっはっはぁ! そうこなくちゃなぁ!」
地面に降り立ち、高笑いをするミチル。
ミチルが放った数多の打撃は、全てブロウズの爪によって阻まれてしまった。
相手の力量を見誤ったことに憤りを感じたとしても、大技を無効化されたことに彼は憤りを感じない。
前者は自分の洞察力不足ではあるが、後者であれば、それは強敵と戦えるという喜びへと変わるからである。
『雷雲』の打撃全てを防いだブロウズ。
その挙動は人間のそれのようであった。
魔物でありながら、人間のような立ち回りの出来る個体。
これほど面白い相手はいない。
「まだまだいくぜぇ!」
ミチルは地面を蹴り、ブロウズまでの距離を一瞬で詰める。
放つのは、全てが致命傷となりうる打撃の数々。
「グルルル」
その打撃を低い唸り声を上げながら、的確に防御していくブロウズ。
(しっかし、なんだぁ? こいつ……)
ブロウズと打撃の押収を繰り返しながら、ミチルは違和感を感じていた。
ミチルの放つ攻撃は、全てがブロウズに対して致命傷となるような一撃だ。
しかしブロウズは、それをすべて防御している。
そう。「防御している」だけなのだ。
(反撃がねぇんだよな。魔物の癖に)
ミチルの打撃を、まるで武術の達人かのように払いのけるブロウズ。
しかし実際の達人であれば、あるはずの反撃が存在していない。
ただ防御を繰り返しているだけ。魔物としてはありえない反応だ。
(誰かが来るまでの、時間稼ぎ……)
「ミチル!」
その時、ミチルの後方から聞き覚えのある声が響いた。
「リョウか!」
実力十分の増援が現れた事を察知したミチルは、大きく後ろに飛び退いて、ブロウズとの距離をとる。
そこには思った通り、リョウが凍月を構えて立っていた。
「なんだぁ? シンも一緒かよ」
リョウの横で、炎陽を構えるシンの姿を見つけると、ミチルは悪態をつく。
「なんだとはなんだよ! それよりお前、怪我は無いか?」
憎まれ口を叩かれても尚、ミチルの心配をするシン。
仲間想いの彼らしい言動だ。
「はっ! ブロウズなんかに引けは取らねぇよ! だがこいつぁ変なんだよ。攻撃を仕掛けてこない」
「この魔物について、少し気になることがある。攻撃してこないのなら好都合だ、無力化する、ぞっ!?」
「グガァァ!」
リョウが冷静に、凍月を振り下ろそうとした瞬間。
それまでおとなしく防御だけをしていたブロウズが、リョウに向けて飛び掛ってきた。
その脚力を生かした素早い動きで飛び上がり、鋭い爪を振りかざしてくるブロウズ。
「ちっ! 燃えろぉ!」
突然の攻撃に、真っ先に反応できたのはシン。
炎陽を横殴りに振り、リョウとブロウズの間に炎のカーテンを生み出す。
防御、目くらましの為ではなく、ブロウズを燃やし尽くす勢いの炎だ。
「ガァ!」
しかしこの炎も当たらない。
近くの壁に爪を刺したブロウズは、急制動によって炎を避けた。
「おい、ミチル! こいつ攻撃してこないんじゃなかったのかよ!」
ブロウズの追撃に備え、再び炎陽に大きく炎を纏わせながら、シンが大きく声を上げる。
「知らねぇよ! 俺の時は攻撃してこなかったんだからよぉ!」
「はっ! お前じゃ相手にならないって手加減されてたのかもな!」
「んだとこらぁ! 喧嘩か? 喧嘩してぇのかこらぁ!」
売り言葉に買い言葉で、今にも喧嘩を始めそうになるシンとミチル。
しかし、今はそんなことをしている場合ではない。
「おい! 来るぞ!」
「あっ、あぁ!」
「わぁってるよ!」
リョウの指示によって、ミチルは舞打法で姿を消し、シンは炎陽を構える。
個性の強すぎる幼馴染の中でも、常に冷静なリョウの指示だけには皆が従う。
特にミチルが従う相手など、限られた者だけだ。
「ガァァ!」
再び咆哮を上げながら飛び掛るブロウズ。
牙を剥き出しにして、襲い掛かる。
「シン! 横だ! 凍れ!」
「おう! 燃えろ!」
リョウは凍月を、シンは炎陽を思い切り振るう。
ブロウズを挟むようにして出来上がる、炎と氷の壁。
決して進路を塞いだ訳ではないが、これでブロウズが横に逃げることは出来なくなった。
「ミチル!」
「おうっ!」
リョウが頭上に目をやり、声を上げる。
舞打法の高速移動によって、飛び上がったミチルが姿を現す。
「舞打法。空技・参式、落雷!」
空中で身体を大きく丸めたミチル。
そのまま回転しながら、ブロウズ目掛けて落下していく。
今まで、このブロウズは、高反応と急制動によって攻撃を避けてきた。
しかし、今ブロウズはリョウ目掛けて一直線に前進をしている。
通常の魔物がするような、我武者羅で、盲目的な突進だ。
そして、シンとリョウによって作られた炎と氷の壁。
これによって反応できたとしても、横に進路を変えることは叶わない。
この攻撃は当たる。
「喰らえ!」
回転によって勢いをつけたミチル。
ブロウズ目掛けて、渾身の踵落としを放つ。
ズガン! という打撃音。
ミチルの踵は、ブロウズの脳天に吸い込まれていた。
石畳を破壊し、顔を地面に叩き付けられたブロウズ。
正に会心の一撃である。
遠目で見ても分かる。ブロウズは完全に意識を失っていた。




