2-7 嫌われ者には触れられない
それは、一瞬の出来事であった。
鳴り響く轟音。飛び散る床の破片。
マイトに狙いを定めた、計十本の触手。ナイトマンが誇る一撃必殺の触手は、石造りの床に叩き付けられていた。
それも剣も盾も持たず、構えさえ取らない。無防備極まりない体制で、だ。
傍から見れば何が起きたのか、全く分からない状況だろう。
彼の鎧に触れる直前、まるで見えない壁に阻まれたかのように、触手は不自然に起動を下に変えた。
「グルル……」
「ははっ、無駄や無駄やぁ!」
必死に触手を引き戻そうとするナイトマンを見て、マイトが嘲笑する。
「重力の鎖は、お前を逃さへんでぇ!」
マイトが勢い良く、右手を振り下ろす。
するとその動きに連動して、ナイトマンの触手が更に床に埋まった。
音を立て、床にめり込んでゆく触手。ナイトマンの体も触手に引きずられ、じわじわと前進していく。
これが『正義の盾』長官であるマイトの力だ。
『嫌われ者』
マイトが纏う鎧の名前。その貧相な名前に反して、超一級品の秘宝だ。
2000年前に作られ、ダンジョンに隠された所謂『一次的秘宝』の一つ。一時的秘宝は、凍月や炎陽のような二次的秘宝と比べ汎用性こそ低いが、力は絶大だ。
『嫌われ者』も、その傾向通り、低い汎用性を補って余るほど強力な一品である。
行使できる力は重力。
理論こそ解明されてはいないが、『嫌われ者』を纏った者は、意のままに重力を操ることが出来る。
行使できるのは、鎧の表面から5センチ程度の範囲に侵入した物のみ。その条件から攻撃的な使い方はできないが、身に降りかかる攻撃を全て無力化できる能力だ。
能力を発動すれば、剣撃、打撃、炎から雷まで、ありとあらゆる攻撃は届くことが無い。
その鎧を身に纏った者には、何人も触れることが叶わない。
それこそが『嫌われ者』という名前の由縁だ。
「おら、どうしたんや? もう仕舞いなんか?」
両手を大きく広げ、安っぽい挑発を投げかけるマイト。
傲慢不遜。自信過剰。横柄。慢心。
マイトの立ち振る舞いは、そういった類の言葉その物だ。
彼は常に自信に満ち溢れている。
『正義の盾』長官として、今日まで数多くの戦いを経験してきたマイト。
彼の持つ過剰な自信は、その全ての戦いを無傷で終わらせた実績に裏づけされている。
『嫌われ者』という強力な鎧。そしてマイト自身の力量。
彼の自信は、しっかりと実力に見合ったものなのである。
「おいマイト! 早く終わらせろよ!」
「うっさいのう、シン。せっかく『嫌われ者』の力を使えてるんやから、少しは楽しませてや」
マイトの能力は強力ではあるが、効果範囲が鎧の表面5センチ程度と狭い。
また重力を操る対象を、完全に認識しなければならないという条件も付いている。
そのため、本来であればナイトマンの様に、様々な角度から、尚且つ高速で襲い掛かってくる相手には相性が良くない。
しかし今回はリョウとシンが同行していたた。
ナイトマンの攻撃を一点に収束させ、頃合いを見計らってマイトに交代したというわけだ。
「それに、こいつはもうなぁんにも出来ひん」
勝利を確信している様子のマイト。
触手を地面に埋め込まれ、身動きが出来ない状態のナイトマン。
この状況であれば、いくらベテランのトレジャーハンターをも苦戦させるナイトマンと言えども、恐れるに足らない
「ガァ!」
しかし、ここでナイトマンの咆哮が響く。
今までの、弱気な唸り声とは違う咆哮だ。
獣が獲物を狙う、強気なそれ。まるで、油断したマイトを脅かす様な。
そして、ナイトマンは魔物にあるまじき行動を取る。
「グルアァ!」
「なんやて……!」
マイトは驚愕する。
彼の目に映ったのは、有り得ない光景だった。
地面に埋まった触手。
ナイトマンが、自身の動きを縛っていたそれを、断ち切ったのだ。
鋭く伸びた爪の一閃により、ナイトマンは再び自由を取り戻す。
切り落とされた触手の断面から、迸るナイトマンの鮮血。
「くっ……」
動揺しつつも、勢い良くロングソードを抜き放つマイト。
それもそのはず。
今、ナイトマンは触手が原因で自身が動けないことを理解し、自らその触手を断ち切ったのだ。
それはまるで知性を持つかのような反応だった。
本来なら有り得ない行動である。
魔物は限られた種族を除き、本能のまま動く。
だからこそ貧弱な肉体を持つ人間のトレジャーハンターでも応戦できるのだ。彼らに無い『知性』という武器があるからこそ、だ。
そしてナイトマンもその例に漏れず知性を持たない。触手を重力によって封じ込めたことで、マイトが勝利を確信していたのはその為だ。
しかし、自らの身体を傷つけ状況を打開する、リスクとリターンを理解した行動。
このナイトマンを見ていると、本来無いはずの知性があるような錯覚さえ感じてしまう。
「燃えろ!」
マイトの後方から、炎が勢い良く飛んでくる。
シンの咄嗟の対応だった。
燃え盛る炎が、ナイトマンの全身を包み込む。
「マイト! 来るぞっ!」
「おっおう!」
リョウが声を掛けるのと、ナイトマンが炎の中から新たな触手を伸ばしてくるのは同時だった。
凄まじい再生力を誇るナイトマン。
既に自ら切り落とした触手の再生は終了しており、炎によって焦がされる皮膚も、焼け爛れる端から再生を繰り返しているようだ。
「ぬらぁ!」
「ふっ!」
「はぁっ!」
再び、触手との攻防戦を繰り広げる三人。
今回はマイトも加わっているため、10本の触手に対して、互角かそれ以上の勢いで立ち回っている。
飛び交う触手。切り落とされた肉片。
リョウたちの足元が、ナイトマンの鮮血によって赤く染まっていく。
しかし、延々と生え変わり続ける触手。
みるみる三人の体力は削られていく。
「リョウ! こらあかん! 逃げるで!」
触手をロングソードで叩き切りながら、マイトが声を上げる。
ダンジョンでは引き際が肝心だ。
引き際を間違えるということは、死に直結する。
体力、気力が共に温存されているうちに決断を下さないと、手遅れになってしまう。
「それしかないな……シン!」
「おう! 燃えろぉ!」
炎陽から吐き出される巨大な炎。
通路を埋め尽くすような勢いの炎に、一瞬ではあるがナイトマンの攻撃が止まる。
「よし、逃げるぞ!」
リョウの合図とともに、道を引き返す三人。
背後に感じる炎の熱量。
凄まじい炎ではあったが、ナイトマンの前では時間稼ぎにしかならないだろう。
後ろなど確認している暇など無い。
奴に追いつかれないように、今は走るだけだ。




