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神様に投げつけられた地味なバグスキルを限界まで検証した俺だけ、荒廃した東京で今日も飯がうまい  作者:


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9/11

第9話

 体感だけでは信用できない、とノートに書いてから、しばらくその文字を見ていた。


 ダンジョンでの継戦時間が伸び、息の戻りも早い。

 バットも軽いし、荷物も重く感じない。

 だが、気がするだけかもしれない。

 睡眠時間、食事、気温、電車の混み具合。

 人間の体感は、驚くほど雑に揺れる。

 そんなものを信じて判断すると、そのうち普通に死ぬ。


「……測るか」


 独り言のつもりだったが、部屋の中では妙に響いた。


 家の中には走る場所も鉄棒もない。

 床を蹴って垂直跳びを繰り返せば下の階から苦情が来る。

 身体能力の成長を確認した結果まず管理会社と戦う羽目になるのは避けたかった。


 夜で人が少なく、鉄棒があって少し走れる——条件だけ並べると不審者の行動計画みたいだが、公園なら解決する。


 メジャー、ノート、ペン、スマホ、飲み物。

 キューブも。

 いや、ついでではない、むしろ主役だ。


 俺は荷物を確認してから、夜の公園へ向かった。


 公園は最初にキューブを試しに来たあの場所だった。

 ブランコ、ベンチ、鉄棒、自販機。

 街灯の下に夜風が通っている。

 人影はないが、それでも理性の一部が「今ならまだ帰れる」と言ってくる。


「いや、帰らないが」


 誰もいないのに1人で返事をした。

 職務質問されたら何も言えない。

 だが、幸いにも今のところ警察はいなかった。


 まずは懸垂だ。

 複数の部位をまとめて見られるし、回数で比較しやすい。

 夜中に鉄棒の段取りをここまで真剣に考えるとは思っていなかったが、条件はできるだけ揃えたい。


「開始位置が毎回違うと、記録の意味が薄いな」


 足元にキューブを出す。


 ぽこん。


 踏み台として使う。

 冷静に考えるとだいぶ変な光景だが、俺の生活はもうその辺を通り越している。

 スキルの使い道としてこれが正解かどうかは、かなり微妙だ。


 キューブへ片足を乗せて鉄棒を握り、高さを確認する。


「よし」


 肩幅、反動なし、顎が上がるところまでを1回——ノートにもそう書いた。


 1回。

 2回。

 3回。

 ここまでは普通だ。


 4回。

 5回。


「……あれ」


 6回。

 7回。

 前腕が張り、背中にも重さがくる。

 だが、まだいける。


 8回。

 9回。


 顎を引いたまま少し考えた。

 まだ行けそうだが、目的は記録だ。

 限界まで追い込む必要はない。


 ゆっくり降りて、腕を振る。


「……十分だな」


 正直、少し動揺した。

 体育の時間の自分が9回できなかったのは覚えている。

 あの頃は懸垂を「上半身の弱い人間に現実を見せる装置」だと思っていた。

 今の自分を見せたら、たぶん信じない。

 動揺したまましばらく腕を振っていたが、回復も早かった。

 それがまた少し動揺を上乗せした。


 懸垂、明確に増加。

 握力と保持も伸びている可能性。


 ノートにそう書いて、次へ移る。

 1項目だけでは偶然を切れない。


 次は短距離だ。

 知りたいのは初動、加速、呼吸の戻り。

 この3つだ。


 街灯の真下から自販機の横まで、目測で20メートル少々。

 スタート位置にキューブを出す。


 ぽこん。


 夜の公園でスタートラインの代わりに魔法の立方体を置いている。

 まあ本人はかなり真面目にやっている。


 姿勢を落とし、片足を引く。

 呼吸を整える。


「……3、2、1」


 走り出す。


 1歩目が軽い。

 速い、というより軽い感じだった。

 地面が前より押しやすく、脚が前へ出る。

 上半身も置いていかれない。

 昔は最初の2、3歩がもたついていた。

 今はそれがない。

 加速が繋がる。


 自販機の横まで走り切り、止まる。


「……速いな」


 タイムを測ったわけでもないし、以前の走り方とは違う。

 息は上がるが、苦しさの質が違う。

 スマホの時計を見る。


「……戻るの、早いな」


 ダンジョンだけじゃなかった。

 走っても同じだ。

 戦闘中だけの錯覚とか、調子がよかっただけとか、そういう言い訳が1個ずつ潰れていく感じがした。


 もう1本、加速を意識して走る。

 考えながらだと少し雑になる。

 それでも戻りは早かった。


 短距離、加速感に変化。

 呼吸回復、明確に改善。


「夜中に公園でダッシュしてる大学生のノートがこれか」


 少しだけ笑ってから、最後の項目へ移る。


 垂直跳びだ。

 これは補助で、懸垂と短距離ほどの明確さは期待していない。

 下半身に変化があるなら感覚くらいは拾えるかもしれない、くらいの位置づけだ。


 頭上に小さめのキューブを出す。


 ぽこん。


 垂直跳びの目印にキューブを使う能力者はたぶん世界で俺だけだが、触れるかどうかを見るだけなら十分だ。


「……いや、待て」


 少し高さを下げる。

 届かなくても余裕で届いても意味が薄い。

 なんでこういうところだけ細かくなるんだ、と思いながらもう少し調整する。

 たぶん、跳べなかったときの気分が嫌なだけだ。


 膝を曲げて跳ぶ。

 指先がキューブの下面をかすった。


「お」


 着地。

 軽い。

 もう1度高さを上げて跳ぶと、今度ははっきり触れた。


 身体が浮く。

 漫画みたいな高さではないし、大げさに言えるほどでもない。

 それでも「思っていたより上へ行く」感覚ははっきりある。

 着地も安定していて、膝が嫌がらない。

 以前の自分なら、そもそもこの高さを試しに来なかった。


 垂直方向の出力も上昇傾向。

 着地安定。


 傾向、という表現にした。

 断定するにはまだ根拠が足りない気がして、言い切れなかった。

 それにしても、懸垂の踏み台にして、スタートラインにして、垂直跳びの目印にして——キューブの今日の働きは、戦闘とほぼ関係がない。


 ベンチに座ると、夜風が少し冷たかった。

 汗ばんだ首筋に当たって気持ちはいいが、長居すると風邪を引く種類の気持ちよさだ。


 飲み物を一口飲んで、ノートを見返す。


 懸垂は増え、短距離は軽く戻りも早い。

 垂直跳びも出力が上がっている。

 体感ではなく、測定でも差が出る。


 数字だけ見ると順調だ。

 だが、これが外れていたらダンジョンで死んでいた可能性がある。

 体感を信じて「まだいける」と判断して、実際には限界だったとしたら。

 そう考えると、測定しに来て正解だったとは思う。

 正解だったが、正解の内容が「夜の公園で1人鉄棒とダッシュ」なのは、やはり地味だ。


「問題は、原因だな」


 訓練の成果という説明はある。

 ダンジョンへ通って戦い、キューブを毎日出し入れして、身体の使い方にも慣れてきた。

 だがそれだけでは説明しきれない速さで変わっている気もする。

 スキル使用回数との相関——あの仮説もまだ消えていない。

 黒い立方体を出して消しているだけで身体が変わるというのは、仕組みとして人に説明できる気がしない。

 というか、自分でもよく分かっていない。


 訓練の影響かスキルの影響か、たぶん両方あるが内訳は分からない。

 原因が曖昧なまま身体だけ変わっていくのは、少し気持ち悪かった。


 俺はノートに書いた。


 原因の内訳は未確定。

 ただし、訓練も、キューブの使用も、継続で再現可能。


 その2行を見て、少し息を吐いた。

 原因が分からなくても、続ければ積み上がることは見えている。

 分からないまま続けるのは気持ち悪いが、続ければ積み上がるなら文句はない。

 全部分からなくていいのか、という気持ちはまだあるが、とりあえず続けるしかない。


「……まあ、そういうことにしておくか」


 立ち上がって公園を見回すと、相変わらず誰もいない。

 ありがたい。

 もし今ここに誰かいたら、「夜に鉄棒とダッシュと謎の黒い立方体で1人測定している男」という認識しか残らなかったと思う。

 どう説明しても無理だ。


「……帰るか」


 キューブを消す。


 すっ。


 相変わらず、最後まで間の抜けた音だった。


 帰り道を歩きながら、頭の中で次の段取りを組む。

 ダンジョン通いは継続。

 帰宅後の出し入れも継続。

 記録項目を少し増やす。

 身体能力の確認も定期的にやる。


 やることは増えたが、全部同じ方向を向いている。

 それならいい。


 部屋に戻ったらノートを清書して、日付と次回の比較条件も書いておこう。

 タイム計測ももう少し正確にしたい。

 短距離はさすがに目測が多すぎる——スマホで動画を撮るか、何か別の方法を。


「……ああ、面倒だな」


 面倒だが、結局やるんだろうな、と思いながら歩いた。

 我ながら地味な夜だった。

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