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神様に投げつけられた地味なバグスキルを限界まで検証した俺だけ、荒廃した東京で今日も飯がうまい  作者:


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5/15

第5話

朝から出して消してを繰り返している。

棒状になる気配は、まだない。


ノートには「わずかに歪む」とだけ書いてある。

測定値で言えば2から3ミリの話だ。

1辺15センチの立方体が3ミリ歪んでも、定規を当てて初めて「少し長い」と気づく程度で、見た目ではほぼ分からない。


要するに、地味だ。


神様に投げつけられたときから地味だったが、成長しても地味だった。

地味の方向性だけが少しずつ増えている。

どこへ向かっているんだ、これ。


出す。

消す。

出す。

消す。


コーヒーを淹れてカップを置き、また出して消してを続けた。

気づいたら冷めていた。

冷めたコーヒーを飲みながら今日の回数を確認すると、午前だけで800回近かった。


2個に増えたのが700回台だったとすれば、次の変化もそのあたりに閾値がある可能性がある。

だが根拠は薄い。

サンプルが1個では統計とは呼べない。

まだ分からない、とノートに書いた。

分からないことを書き留めておくのも、記録の仕事だ。


午後になって、コンビニへ行くことにした。

牛乳が切れていた。

朝食のシリアルが成立せず、シリアルが成立しなければ午前の集中力が下がり、集中力が下がれば検証の質が落ちる。

つまり牛乳の補充は検証の一部だ。

そう結論づけてから財布を持って玄関を出た。

我ながら理屈が苦しい気もするが、外に出たかったのも本当だ。


住宅街の細い道を歩く。

この時間帯は人通りが少ない。

角を曲がると、信号つきの横断歩道に出た。


青だった。

先を歩いていた老人が、杖をついてゆっくり渡り始めていた。

俺はその後ろから続く。


そのときだった。


左側からエンジン音が来た。

減速していない。

顔を向けると、トラックの運転席の男が下を向いていた。

手元に視線が落ちている。

横断歩道の上に老人がいる。

距離と速度を瞬時に測る。


「危ないっ」


昨夜の公園が脳裏をよぎる。

ブランコの軌道、自転車の急停止、衝撃の入り方。

止まるのはキューブじゃなく、ぶつかった側だ。


一歩踏み出す。

視界内2メートル、路面すれすれ、前輪の進路上。

そこなら当たる。


ぽこん。


音はいつもと同じだった。


前輪がキューブに触れた瞬間、破裂音が弾けた。

タイヤが潰れてフレームがきしみ、トラックが急停止する。

だが止まりきらない。

慣性に押されて右へ流れ、電柱に激突した。

金属がひしゃげる音がして、エンジンが止まった。


老人が振り返った。

自分の後ろ3メートルで止まったトラックを、目を丸くして見ている。


キューブを消して、老人の視線が事故に向いている間に横断歩道を渡りきり、そのまま歩き続けた。


コンビニの冷蔵ケースから、牛乳を1本取った。


右に流れた。

もし左だったら——棚に並んだ商品を見ながら、頭の中で軌道だけをなぞる。

向かいの歩道のあの位置なら、別の歩行者に当たっていた可能性がある。

前輪を止めた時点で、その先の挙動は決められない。


助かった、という実感より先に計算の抜けが気になっていた。

我ながら人間味がないとは思うが、気になるものは気になる。


レジでお釣りを受け取り、袋に牛乳を入れて店を出た。


帰宅してノートを開いた。

方向制御不可。

設置後の軌道は制御できない。

要改善。

ただし改善方法は現時点では不明。

書いてからペンを置く。

改善方法が不明なら、今日やることはもうない。


ソファに転がってスマホでニュースを流し見すると、能力者関連の話題が今日も多かった。

新装備の発表、ダンジョン攻略の記録更新、S級冒険者の企業案件。

いつもの並びだ。


画面をスクロールしかけたとき、指が止まった。


霧島ハヤト。

本名は知っている。

中学からの親友だ。


インタビュー映像だった。


「今は安定しています。ただ——深層というのは、本質的に不安定なものです」


そこで一瞬、言葉が途切れた。

巻き戻してもう一度見る。

その間の取り方、視線の動き。

何か言いたくても言えないことがある、そういう顔だ。

中学のときから変わっていない。


スマホを持ち直し、連絡先を開く。


「ニュース見た。話せるか」


送信して5分後、着信が来た。


「よ。久しぶり」


声は映像より少しだけ疲れていた。


「忙しいところ悪い」


「いや、ちょうどよかった。ああいうの、喋りづらくてさ」


小さく笑う声がした。

昔と同じ笑い方だった。


「インタビューの話か」


「ああ」


「だろうな。お前が連絡してくるときは、大体そういうときだ」


少し間が空いてから、ハヤトが続けた。


「データ上は誤差で片づくレベルなんだよ。でも現場の感覚が違う。噛み合ってない」


慎重に言葉を選んでいるように聞こえた。


「管理局は『問題ない』って言う。間違ってはない。今すぐ崩れるわけじゃないからな」


「でも、その『今すぐ』の先は読めてない」


「……そうだな」とハヤトが短く答えた。

「最近、深層に潜る配信者も増えすぎてる。再生数狙いで無茶な動きも増えてるから、余白が削れてきてる」


「余白?」


「余裕の話だよ。少しのズレがそのまま崩壊に繋がりかねない状態だ」


その言葉をノートに書いた。

余白がなくなる。


「……まあ、今は大丈夫だと思う」


「『今は』な」


その言い方で十分だった。


「ところでお前、スキル何もらったんだっけ」


唐突だった。


「地味なやつ」


「どのくらい」


「神様に『ファンタジー適性皆無』って言われた」


電話口でハヤトが吹き出した。


「やっぱりか。仕様書とか要求しただろ」


「した」


「マジかよ……変わらねえな、お前」


笑い声混じりに言って、それから少しだけ声を落とした。


「……気をつけろよ。今の話、表には出てない」


「分かってる」


「じゃあな」


通話が切れた。


ソファに座ったまま、ノートを見返す。

方向制御不可。

その下に、深層のずれ、配信者の増加、余白の消失が並んでいる。


今は何も起きていない。

だが、起きるなら——その前にやっておくべきことがある。


スマホを取り出してダンジョンの入場手続きを調べ始めた。

初心者向けの浅層なら登録だけで入れる。

装備の規定も確認したが、問題はない。


ノートを開く。

検証場所をダンジョンに移す。

理由:実戦データが不足している。


ペンを止めて少し考えてから、もう1行付け加えた。


あと、牛乳はもう1本買っておく。


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