第10話
あれから2ヶ月が過ぎたが、特に感慨はない。
ダンジョンへ通って、帰って、記録して、また通う。
変わったことがあるとすれば、変化にいちいち反応しなくなったくらいだろう。
朝、部屋の真ん中に立つ。
キューブを出す。
ぽこん。
消す。
すっ。
また出す。
ぽこん。
「……ん?」
違感があった。
見た目は同じだ。
黒い塊。
立方体。
だが、輪郭の印象がどこか違う。
「横に長くないか?」
歪んだわけでも崩れたわけでもなく、一方向だけはっきりと伸びた棒に近い形になっている。
「……伸びてるな」
感動、はしていない。
黒い箱が伸びるだけなのに、なぜか使い道だけは派手に増える。
このスキルの地味さと実用性のバランスは、毎回どこかおかしい。
面倒な項目が増えた、という感覚の方が近い。
メジャーを当てる。
縦も高さも変わらない。
横だけが伸びている。
「18……いや、19か」
15センチだったものがほぼ20センチ近い。
段階が1つ上がった。
ノートを開く。
形状変化、確認。
一方向への伸長可能。
最大長、約19センチ。
「地味なまま進化するな……」
火を出すわけでも雷を落とすわけでもない。
黒い箱がちょっと伸びるだけだ。
むしろ、使い道が増えすぎる。
通路封鎖。
差し込み。
足払い。
誘導精度の調整。
「……面白いな」
選択肢が増えると、考えることも増える。
まあ、悪くないが。
同時維持数も確認しておく。
これまで2個だったが、3個あればできることが一気に増える。
試す。
1個目。
2個目。
3個目。
ぽこん。
「……3個出るな」
4個目を出した瞬間、1個目が消えた。
同時維持数、3個。
4個目展開時、最古の1個消滅。
FIFO継続——出した順に古いものから消える、ということだ。
「……いつからだ?これ」
3個目がいつから使えていたのか分からない。
まずい。
成長の発生タイミングを把握できていない——トリガーの特定が遅れているということだ。
成長発生時期、不明。
検知遅れ。
「……遅れたな」
今は3個あって、伸ばせる。
この2つを組み合わせると——
頭の中で配置を動かす。
A。
B。
C。
高さをずらす。
1段。
2段。
3段。
「……ああ」
足場になる。
「……登れるな、これ」
試す価値はある。
1個目を低く。
2個目を少し前に、高く。
3個目をさらに前に。
高さを微調整し、長方形にすることで踏める面積も確保できる。
「……普通に階段だな」
6畳の部屋で階段を設計している。
我ながら何をやっているのかと思うが、成立しているので文句は言えない。
1個目を少し低めに再配置した、そのときだった。
スマホが鳴った。
俺は動きを止め、画面を見る。
ニュースアプリだった。
「……こういうタイミングの良さは、たいてい良くないんだよな」
画面を開く。
見出しを読んだ瞬間、さっきまで頭の中を占めていた3段足場の設計図が、まとめて脇へ押しやられた。
深層での大規模な魔物の異常活性化を複数箇所で同時確認。
管理局は「調査中」と発表。
俺はその一文を、もう一度読んだ。
「……調査中」
今までの管理局なら、もう少しはっきりした言葉を選んでいたはずだ。
異常なし、問題なし——そういう言い切りがない。
調査中、だけだ。
「否定できなくなった、か」
記事本文を開いて流し読む。
撤退した攻略パーティが複数。
深層の一部区域で活動停止勧告。
現時点では原因不明。
管理局は追加調査中。
原因不明、という言葉は分かっていないときにも言えないときにも使う。
だから足りない。
だが、管理局が言葉を変えたという事実は軽くない。
連絡先を開いて打つ。
『ニュース見た。今話せるか』
30秒も経たないうちに、着信が来た。
早すぎる。
こっちが考えるより先に、向こうも「来る」と思っていたんだろう。
通話ボタンを押した。
「もしもし」
『……出たか』
ハヤトの声だった。
聞いた瞬間に分かった、前よりずっと疲れている。
最初に会ったときみたいな半分呆れた笑い方はなかった。
「見た」
『ああ』
「状況は?」
『深層が、想定より速く荒れてる』
その一言で、記事の意味が変わった。
俺はノートを引き寄せ、ペンを持った。
『複数の攻略パーティが撤退した。押し返せてない区域も出始めてる』
『管理局もまだ表には出せない情報が多い。だから「調査中」で止めてるんだろうな』
「異常なし、とは言えなくなった」
『そういうことだ』
「原因は」
通話の向こうでハヤトが一度だけ息を吐いた。
『1つじゃない』
『ただ、一番分かりやすい引き金はある』
「配信か」
『ああ』
『深層で派手な絵を撮りたがる連中がいる。目立つために大規模魔法を撃つ。再生数が欲しい、スポンサーが欲しい、数字が欲しい。理由はその辺だ』
『今の深層は刺激に対して鈍くない。余計なことをすれば、その分だけ反応が返ってくる』
俺はノートに書く。
配信目的の大規模魔法。
深層への刺激。
活性化の加速。
「止められないのか」
『止められない』
『むしろ増えてる』
『前に言っただろ。余裕がなくなってきてるって』
「ああ」
『あれ、違うな』
『削れ切った』
その一言で、背中のどこかが少し冷えた。
もう吸収する余地がない、ということだ。
「……なるほどな」
「地面が抜けそうな場所で跳ねてるわけか」
『本当にな』
ハヤトの声に一瞬だけ乾いた笑いが混じった。
すぐに消えた。
「ハヤト」
「お前はどうする」
『……俺はまだここで対応を続ける』
「危なくなのか?」
『いなきゃいけない場所がある』
「間に合うのか」
沈黙。
『……分からない』
『だから言う』
一拍。
『お前は、逃げろよ』
ただの事実だった。
「……分かった」
『悪いな』
「そっちこそ」
『じゃあな』
通話が切れる。
部屋が静かになる。
3個のキューブがまだ空中にある。
さっき階段として設計していたやつだ。
さっきまでは、どう登るかを考えていた。
今は違う。
登る必要が出たときに使えるかどうかだ。
しばらく、キューブを見ていた。
ハヤトが「逃げろ」と言うとき、それは単なる助言じゃない。
あいつが現場にいる人間だからこそ、言える言葉だ。
向こうには逃げる選択肢がない。
だから俺に言う。
ノートを閉じ、キューブを見る。
「……さっきまでは便利そうだな、で済んでたんだが」
「急に話が変わったな」
返事はない。
黒い塊が静かに浮いているだけだ。
俺は1個目へ足を乗せた。
2個目へ。
3個目へ。
視点が上がる。
長方形にした分だけ乗り換えが楽で、立方体のままではこうはいかなかった。
天井まであと少しある。
6畳でも、3段あれば意外と上まで来る。
「……いけるな」
降りてキューブを消す。
すっ。すっ。すっ。
机。
ノート。
スマホ。
全部そのままなのに、少しだけ狭く感じる。
俺はノートをもう一度開き、書き足した。
3個+長方形で、上方向移動可能。
そこまで書いて、ペンを止める。
今までは応用だった。
今日からは準備だ。
「……いよいよだな」
スマホを見た。
ニュースはまだ更新されていた。
更新されるたびに、状況が削れていく感じがした。




