【アップ✨】11月30日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります☕️
初めまして、天川裕司です。
ここではシリーズでやってます『夢時代』と『思記』の原稿を投稿して居ります。
また、YouTubeドラマ用に仕上げたシナリオ等も別枠で投稿して行きます。
どうぞよろしくお願い致します。
少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。
サクッと読める幻想小説です(^^♪
お暇な時にでもぜひどうぞ♬
【アメーバブログ】
https://blog.ameba.jp/ucs/top.do
【男山教会ホームページ】
https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/
【YouTube】(星のカケラ)
https://www.youtube.com/@%E6%98%9F%E3%81%AE%E3%82%AB%E3%82%B1%E3%83%A9-v5x/videos
【ノート】
https://note.com/unique_panda3782
【YouTubeドラマにつきまして】
無課金でやっておりますので、これで精一杯…と言うところもあり、
お見苦しい点はすみません。 なので音声も無しです(BGMのみ)。
基本的に【ライトノベル感覚のイメージストーリー】です。
創造力・空想力・独創力を思いっきり働かせて見て頂けると嬉しいです(^^♪
出来れば心の声で聴いて頂けると幸いです♬
でもこの条件から出来るだけ面白く工夫してみようと思ってますので、
どうぞよろしくお願いします(^^♪
【本日のメッセージ】
マタイによる福音書 第5章 (シンプルに聞く 口語訳聖書 第40巻)
https://www.youtube.com/watch?v=EYRxWlZ9SOc&t=17s
マタイによる福音書5章10~12節「迫害を受ける者の幸い」
塩屋キリスト教会礼拝動画
https://www.youtube.com/watch?v=1CCtK_md0cU
マタイによる福音書5章1-3節10-12節 主のために迫害を受けるなら
PASTOR:MINORU KITANO
https://www.youtube.com/watch?v=YWBANFg3oDM
※11月30日の礼拝説教動画はありません。
代わりに聖書の同箇所のメッセージをアップしております。
【ブログ】
https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12949340862.html
聖書と讃美歌を閲覧できますので、お気軽にお立ち寄りください
聖書
『マタイによる福音書』(第五章一〇〜一二節)
讃美歌~♬
讃美歌140番
https://www.youtube.com/watch?v=hzDavqXj9lo&list=RDhzDavqXj9lo&start_radio=1
讃美歌520番
https://www.youtube.com/watch?v=-Q81wsQGW24&list=RD-Q81wsQGW24&start_radio=1
マタイによる福音書5
1 イエスはこの群衆ぐんしゅうを見みて、山やまに登のぼり、座ざにつかれると、弟子でしたちがみもとに近寄ちかよってきた。
2 そこで、イエスは口くちを開ひらき、彼かれらに教おしえて言いわれた。
3 「こころの貧まずしい人ひとたちは、さいわいである、天国てんごくは彼かれらのものである。
4 悲かなしんでいる人ひとたちは、さいわいである、彼かれらは慰なぐさめられるであろう。
5 柔和にゅうわな人ひとたちは、さいわいである、彼かれらは地ちを受うけつぐであろう。
6 義ぎに飢うえかわいている人ひとたちは、さいわいである、彼かれらは飽あき足たりるようになるであろう。
7 あわれみ深ぶかい人ひとたちは、さいわいである、彼かれらはあわれみを受うけるであろう。
8 心こころの清きよい人ひとたちは、さいわいである、彼かれらは神かみを見みるであろう。
9 平和へいわをつくり出だす人ひとたちは、さいわいである、彼かれらは神かみの子こと呼よばれるであろう。
10 義ぎのために迫害はくがいされてきた人ひとたちは、さいわいである、天国てんごくは彼かれらのものである。
11 わたしのために人々ひとびとがあなたがたをののしり、また迫害はくがいし、あなたがたに対たいし偽いつわって様々さまざまの悪口あっこうを言いう時ときには、あなたがたは、さいわいである。
12 喜よろこび、よろこべ、天てんにおいてあなたがたの受うける報むくいは大おおきい。あなたがたより前まえの預言者よげんしゃたちも、同おなじように迫害はくがいされたのである。
(Mynote)
二〇二五年一一月三〇日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に礼拝を守れる事を神様に感謝する。
(子供メッセージ)
『スコットランド教会新カテキズム』
「使徒信条の十一番目の箇条を繰り返して唱えましょう。」
「私は、永遠の命を信じます。」
聖書当時のイスラエルの人々は、エジプトの奴隷の地でずっと働かされて居た。神様はモーセを遣わし、そのイスラエルの人々を、奴隷のエジプトの地から導き出した。ヘロデ王は初子を殺す様に命じた。でも神様はその人の試みを御計画の内に崩し、イエス様が全ての人の救い主になる為に、先に必要な人々に知らせ、イエス様を救い出した。これにより、全ての人は罪の内に神様に依る救いに与り、永遠の命が約束された。ヘロデの罪は人間の罪を象徴し、人の罪が愚かな内にどれ程のものか、それを同時に全ての人は各自、自分に思い知る必要がある。
(公同礼拝)
『マタイによる福音書』(第五章一〇〜一二節)
この箇所には、山上の垂訓が記される。
「義の為に迫害されて来た人達は、幸いである。天国は彼等のものである。」(『マタイによる福音書』第五章一〇節)
神様の事を伝え歩けば、人の世界では、必ず迫害に遭う。それは人間が生まれながらの罪人だからであり、悪魔の側に立ち、キリストを迫害する側に立つからだ。その罪人の内で信仰に目覚めた人はその悪魔の側から何とか離れ(罪から離れようと努め)、悔い改めの毎日を送る上で、キリストを自分の内に受け入れようとする。詰り迫害しない様になろうとする。
しかし、クリスチャンの内でも知らず内にキリストを迫害する側に立ち、その罪を信仰の内に繰り返し、それを正当化する事がある。
日本では、伊勢神宮を参拝し崇める場合、社会的に優遇を受ける事が多い(特に政治家の場合等)。日本には神道宗教が根付いて居り、これを崇拝して来た人達にとっては大事にあり、決して信仰に於いて無意味な事ではない。人の世界では、人の宗教が根強く生き、それ等を崇めねば明日は無いと言った厳しさが昔に在り、その影響は現代にも続いて居る。昔ほど強くないにせよ、その習慣が昔を欲し、そこに土着する事で安心・安定を得られ、取り敢えずそれに埋没する人も少なくない。またキリストは西洋の宗教にあり、日本の宗教ではない・馴染みが無い・邪教であるとの見方も確実にあり、宗教そのものが争いを起こす場面を痛烈に憶えると、キリストでも「邪魔な宗教!」「あんなものを信じればろくな事がない!」と簡単に言わせる安泰もある。そして無宗教にある事が唯一の正義に見え、又それを正当化し、この各自の正当化によって偏見や頑なも生まれ、その無宗教の内でも必ず派閥や争い・戦争が起こる。
これが人間の世界である。
人間は生来罪人である為、先ず安心は無い。人の間だけに救いは無く、必ず憎しみと争い・戦争により、独裁の世界を構築して生く。喜怒哀楽も、必ずこの憎しみと争い、そして不安と嫌悪の内に終局する。嫌悪とは、人間に対する良心による物思いにある。
「人間は救い様の無い生き物」とはよく言ったもの。これは「人が自力で自分や他人を永遠の安心に救えない事」を意味し、だからこそ、人の領域・力を超えた存在により、全ての人はその安心に救われねば救いは無い、と成る。
欲望は傲慢を生む。この傲慢が神様に刃向かい、神様やイエス様を蔑ろにする上「不要だ」と断定し、次は自分が神になり、独裁こそ正義だと断定・肯定する上で、他人を自分の下位に置く事に集中し始める。その集中はエスカレートして生き、実際に人生そのものを独裁の所有に変えて行き、更にその生き方を「それしか出来なかったから」と良しとする。これも人間の世界での、人の自力による救いにある。詰り、人の自力による救いは一時のものでしかない。
また正義とは、十人十色で移り変わる。法律にも変更があり、冤罪もあり、人にはそもそも正義を決める力が無い。「これが正義だと思うから正義である」この程度にある。これは初めから在る正義ではなく、人間が決めた正義である。我々はこの初めから在る正義に注目しなければ成らない(信仰が成らないのである)。この初めに在る正義こそ、神様が人間を誕生させる前、万物を創造される内に、人間に課された正義にあろう。
神様が人に約束された救いと、人に教えた義とは、必ずしも人の納得の行くものには無い。詰りそれだけ人間が神様の義(これを正義として)から離れた存在で、正義が何かも分からない状態になって居る事を指す。
その為、キリストの正義(神様の義)を世に広めようとする時、必ず人の間に派閥が起こり、争いも起き、戦争にまで発展し、「そんなキリストの正義など初めから無い方が良い!」と断定する光景・情景になる。これは絶対であり、その信仰を人に伝え歩く姿が他人から立派だ…と称される場合の方が遥かに少ない。譬えその称賛があったにせよ、一時のものに映ろう。
イエス様の時を思い起こせば良い。どれほど人に蔑まれ、嘲笑され、鞭で打たれ、その存在の全てを否定されたか。確かにそのイエス様に付いて来る者はあったが、その数が譬え多けれど、イエス様が危なくなった時(捕まる時)には皆イエス様を見捨てて逃げ去り、みな自分の保身に徹し、ペテロ等は「あんな人(イエス様)を私は知らない」と三度否定した。挙句、イエス様は十字架に付けられ、その人々(群衆)によって殺されたのだ。イエス様は先駆けて、その迫害と、キリストの真実がこの人の世でどう扱われるか?どの様に受け入れられ、どの様に見捨てられ、挙句葬られるか、と言う事を、その人生(公生涯)にて身を以て教えた。
しかし人の上と間に、神様が約束した「人間の永遠の救い」は一つしか無い。
「喜び、喜べ。天に於いてあなた方が受ける報いは大きい」(『マタイによる福音書』第五章一二節)
とイエス様は全ての人に教え、約束した。この「報いは大きい」とは数量に無く、人の存在全てを賄う、永遠の救いを意味する。そして、
「あなた方より前の預言者達も、同じ様に迫害されたのである」(『マタイによる福音書』第五章一二節)
と念を押す形で教えてくれた。
「あなた方は、地の塩である。もし塩の効き目が無くなったら、何によってその味が取り戻されようか。もはや、何の役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々に踏み付けられるだけである」(『マタイによる福音書』第五章一三節)
この「塩」とは信仰に依る成長の事で、信仰を無くして路頭に迷えば、その口から出るもの、行動で証すものは何の役にも力にも成らず、人々はその横を素通りして行くだけになる…と言う事か。
「あなた方は、世の光である。山の上にある町は隠れる事が出来ない。又、明かりをつけて、それを枡の下に置く者は居ない。寧ろ燭台の上に置いて、家の中の全てのものを照させるのである。」(『マタイによる福音書』第五章一四〜一五節)
「光」とは信仰であり、その信仰に依り与えられる神様の御力と守り、聖霊の働きを指して居ようか。
「その様に、あなた方の光を人々の前に輝かし、そして、人々があなた方の良い行いを見て、天に居ますあなた方の父を崇める様にしなさい」(『マタイによる福音書』第五章一六節)
イエス様はこの様に教えた。
【日本キリスト改革派 男山教会】
https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/
【最寄りの教会検索用】
https://www.rcj.gr.jp/
Table Caffe〜
榎本保郎牧師 ミニ説教5 「山があり 谷があろうとも」
https://www.youtube.com/watch?v=CpUW1JZZU4Y
「鷲の翼に載せて」THE DAILY with Arthur Hollands 2025/03/14
https://www.youtube.com/watch?v=wRw9GCynniU
イエス・キリストの生涯をたどる旅 II (1)
https://www.youtube.com/watch?v=vPB9SBXalPA
ハーベスト・タイム・ミニストリーズ
https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin
星のカケラ
https://www.youtube.com/@星のカケラ-v5x/videos
(お暇な時にぜひどうぞ)
少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。
サクッと読める幻想小説です(^^♪
お暇な時にでもぜひどうぞ♬




