5.
『アマリリス令嬢の恋と友情、ぬいぐるみについて』39話~でグローリアが王弟執務室へ訪問した翌日のお話。
セシルが光と出会ってしまった次の日曜日、またも上客がセシルの元を訪れた。
「ようセシル、交渉に来たんだが」
「あ?今日は何だい?」
今日は珍しく連れがいる。黒いローブで顔が見えないが、上客よりも頭ひとつ分背の低い、中肉中背の男だ。唯一見える薄い唇は綺麗な形に弧を描いている。
「こいつ、俺の後任だ。情報を知りたいのは俺だが俺はもうお前の条件を満たせない。代わりにこいつをつなぎにしたい。無理を言ってるのは承知だ。お前の主義に合わないのも分かってる。それでも俺はお前以上に信頼できる情報屋を知らない。頼む、こいつを代理にすることを許してくれ」
「良いよ」
「ああ、分かってる。だが俺は…は?」
「良いって言ったんだよ。情報、売ってやるよ。その男が代理で良い」
口と目を大きく開けて上客がセシルをまじまじと見た。その間抜けづらさえ麗しいのは人としてどうなのだろう。
「は…良いのか?」
「良いって言ってんだろうが。くどいんだよ。そんなん言ってると気が変わるよ」
「わー!待て待て待て!!ありがとうセシル!ぜひ頼みたい!!」
女が数人卒倒しそうな顔でぱっと上客が笑った。セシルが「馬鹿だね」とソファの方を親指でくいっと示すと上客どかりと座り、黒ローブの男もその隣に静かに座った。品の良さでは黒ローブの方が上だ。
「坊やはそれで良いのかい?」
セシルが視線をやれば黒ローブの口元が更に深く笑みを刻んだ。
「有名なセシルさんとのつなぎ役になれるなんて俺としては願ったり叶ったりですよ」
「有名ねえ、どんな名だかね」
「それはゆっくり、ふたりきりの時に」
「はは!気に入った!じゃぁそうしようかねぇ」
相変わらず黒ローブはフードを取ろうとしない。顔も確認できないが、そもそもセシルは相手の顔で商売はしない。それに、何となく予測はついている。口元が良く似ている。
「あ、そうだ。ただし条件があるよ」
ぱっと上客の方へ振り返ると、上客が真剣な顔でセシルに頷いた。初めは違和感がひどかった上客の表情の変化だったがさすがにもう慣れた。
「ああ、何でも言ってくれ。代理を立てられるなら出来る限りのことはする」
「そうかい、じゃ、大事にしな」
「………あ?大事に?何をだ?」
「はっ!察しの悪い男だねぇ!色男の名が廃るよ?あの子だよ。眩しくて目が開けられないくらいに輝く光の姫君さね」
セシルが正確に虎の尾…いや獅子の尾を踏み抜くと上客の目がすっと冷たくなった。
「……おいセシル、お前、どこで会った?」
空気が冷えるがセシルは気にしない。ルール違反は男の方だ。
「おいおいおい、情報屋に情報元を問いただすなんざずいぶんな野暮天じゃないか」
「茶化すな」
「知りたきゃそこの男に頑張ってもらいなよ。あたしが言いたくなるくらいにね」
セシルが目を細めて足を組み替える。黒ローブが「頑張ります」と口元に笑みをたたえて首を少し傾げた。
「あー……まぁいいや。悪かったな、変なこと聞いて」
「おや良いのかい?」
「ああ、良いよ。お前があいつに悪いようにするわけがないからな」
困ったように笑って肩を竦めた上客をセシルは鼻で笑い飛ばし顎を上げて見下ろした。
「はっ!どっからそんな信頼が出てくるんだい?あたしは情報屋だよ?」
セシルは情報屋だ。情報を売るのが仕事だ。その後は良いも悪いも無い、情報の使われる先には関与しない。それは男も分かっているはずだ。
そんなセシルの挑発にも乗らず男は探るようにじっとセシルを見つめると、にんまりと、少し嬉しそうに笑った。
「問題ねえよ。だってお前、気に入っただろ?」
そうならないわけがない、そんな確信に満ちた男の物言いにセシルは膝を叩いて笑った。大笑いした。
「あっははははは!間違いないね!最高に気に入ったさ!!特例を許しても良いと思えるくらいにはね!!」
「だろ?まともに出会っちまったらお前が惹かれねえわけがねえ。………惹かれずにはいらんねえんだよ、俺らみたいな日陰の人間はさ」
目を細め切なそうに笑う男をセシルも笑うのを止めてじっと見つめた。
強すぎる光は我が身を焼くと分かっていても焦がれずにはいられない。うっかり触れれば焼け落ちる身だと分かっていても手を伸ばさずにいられない。駄目だと思えば余計に欲しくなるのが人の性だ。
ただ、目の前の男には当てはまらないとセシルは思っている。セシルから見れば十分に光の下でも生きていける人間だ。そんな顔をするくらいなら本の少しばかし手を伸ばせば良いとセシルは思う。
「つってもさ、あんたは完全に日陰でも無いだろうが」
セシルが呆れたように言うと、男は自嘲気味に笑った。
「どうだろうな。日陰であるべきではあるんだよ、俺は」
「だから諦めるのかい?」
「そんなんじゃねえよ」
「馬鹿だねぇ。特例無くなるよ?」
「大事にはする。したいと思ってる。ただ、その方法は…」
逡巡するように目を泳がせると男が銀の髪をかきあげ、ため息を吐きつつガシガシと頭を掻いた。
セシルも十年前…もうすぐ十一年前か、あの頃をこの男と一緒に駆け抜けたいわば戦友だ。何を躊躇しているのかは何となく理解できる。何ならこの男の本命が誰なのかも知っているし、その思いの形も知っている。だから余計なことを言う気は無いがそれでもやはり言わせて欲しい。
「銀獅子」
「おう」
「後悔しないように生きな。それも特例の条件に加えとくよ」
「お前、難しいこと言うなぁ。もうここまで後悔ばっかりだぞ」
「取り返しが付かないくらいかい?」
「いや…もっと別のやり方があったって後悔はするが、やったことに対する後悔はしねえよ」
何かを思い出すように眉を下げ泣き笑いのような顔をする男にセシルはわざとらしいくらい大きなため息を吐いた。
もしこの男に最初からこのくらいの可愛げがあればセシルも今少しくらいは切ない気持ちになったかもしれない。
だが幸か不幸かこれまでずっとこの男は憎ったらしい、すかした野郎でいてくれた。セシルはひとりの戦友としてこの男の幸せを祈ってやれる。もういい加減、この男も幸せになって良いはずだ。
「だったらなおさらだ。お姫さんに対してもそうしな。今のまんまじゃ絶対あんた取り返しのつかない後悔するよ」
「そうかもな……でも俺は……」
唇を引き結び俯いた男を見てセシルは更にため息を吐いた。
この男はそもそもが真面目過ぎるのだ。昔っから馬鹿ばっかりやってるくせに根が真面目なせいで貧乏くじばかり引いている。しかも自主的に。
「煮え切らない男だねぇ!あんたと切れて清々するよ!せいぜいあんたのお姫さんをしっかり見とくんだね!………後ろ暗い奴ほど、あの子に惹かれるよ」
「分かってる。生半なやつには渡さねえよ」
「ま、誤魔化さなくなっただけましかねぇ」
「うるせえよ……」
今のお姫さんが男のどの位置に居るのかはセシルにも分からない。だが間違いなくお姫さんは宝だ。特例を許してでも上客に守らせてやることにセシルも異存はない。きっとこの男ならどんな形でも守り切るだろう。そうでなければセシルが決して許しはしない。