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4.

「それでは大通りまで参りますわよ?決して振り返らないでくださいませね。それでは…いち…に……」


 セシルがすっと左側へ体を動かした。大男と後ろの小男の視線がセシルを追う。


「さん!今です!!」

「あ!こらてめえ!!」


 左を気にしていたせいでばっと右へと走り出したセシルへの男たちの対応が遅れた。そのまま壁沿いを駆け抜けたセシルを捕まえようと大男が手を伸ばすが「あ!」という小男の声で大男もローブの女を振り向いた。


「ぎゃあああああ!!!」

「いいいい、いたいいいい!!」


 男たちの悲鳴があがりどさりと何かが崩れ落ちる音がした。


 後ろで喚く男たちの声に耳を塞ぎそのまま振り向くことなく大通りまで駆け抜ける。路地の入口にたどりつきセシルが慌てて振り向くと、いつの間にかローブの女がセシルのすぐ後ろまで駆けてきていた。


「はぁ、はぁ、あんた、いったい、何した…?」

「ほんの少しばかり目くらましをした程度ですわ。しばらく痛くて目が見えづらいかもしれませんが失明の心配はございません」


 手に持っていたはずの包みが無い。恐らくあれが男たちに悲鳴を上げさせた原因だったのだろう。口元を笑みの形にして涼し気に首をかしげるローブの女にセシルは内心舌を巻いた。冗談ではなく、慣れているのだろう。


「ってか、あんた、息ひとつ、切れて、無いんだね…?」

「切れておりますわよ?鼓動も早いですわ。ただこの程度でしたら、誤魔化しが利く程度ですの」


 それにしても遅いですわね、と女が呟き頬に手を当てている。ちらりと後ろを見れば男たちが目を押さえてのろのろとこちらへやって来るのが見える。


「おい、逃げた方が……」


 良いんじゃないかい?と問おうとしたセシルの声は品の良さそうな女の品の良くない大きな叫びで遮られた。


「お嬢様ああああ!!!」

「あらユーニス、遅かったですわね?」

「遅かったですわねではございません!勝手に動かないでくださいと申しましたでしょう!!」


 こちらも女と揃いのローブをまとっている。雄たけびはいただけないが動きからしてやはり貴族だろう。貴族がお嬢様と呼ぶということは下位貴族を使用人にできる立場……やはりこのおかしな女は上位貴族で間違いない。


「ふふふ、ごめんなさい。どうしても放っておけなかったのよ」


 あとから追いついて来た護衛と思しきふたりにローブの女が目配せをするとふたりは一礼しセシルをちらりと見るとセシルの横を駆け抜けていった。


「は?何ですこの薄汚い毛玉………うわ、これ洗ったらまさかの銀色ですか……」

「どうかしら、そんな気はするけれど」

「なぁ」


 セシルがローブの女に腕を伸ばすとユーニスと呼ばれた女がばっと間に入って来た。いつの間にかその手には短剣が握らている。玄人とまでは言わないが、間違いなく訓練を受けた人間だ。


「ユーニス、下がって。この方はわたくしを助けに入ってくださった方よ」

「さようでございましたか。御礼申し上げます。ご無礼をお許しください」


 ローブの女がすっと手を上げて制止すると侍女らしき女はすぐに短剣を下ろしローブの中へとしまい軽く頭を下げた。どう見ても平民の、セシルに。


「いや別に……おいあんた、いやお嬢さん、あんたいったい……?」

「ふふふ、わたくしは通りすがりのただの猫好きですわ」


 女がローブのフードを外した。そうしてふわりとスカートの裾を掴み微かに膝を曲げると嫣然と微笑んだ。途端にまばゆい光が辺り一面を覆い尽くしたような、そんな錯覚にセシルは襲われた。


「ちょ!お嬢様フード!」

「あ…あんた……!!」


 見覚えのある、けれど全く知らない女にセシルは愕然とした。

 鈍色の小汚い毛玉を腕に抱き愛おしそうに撫でるとんでもなく美しい女。波打つ淡い金の髪に瞳の色は淡い紫…ライラックの色。


「あなた、お怪我は?」

「あたしは、無い」

「そう、良かった」


 セシルを見つめる瞳には下町女を蔑む色はひとすじも見受けられない。ただ真っ直ぐに、セシルという本質を見抜くようなそれでいて包み込むような温かな……そうだ、これは慈愛の色だ。


――――おい、ふざけんなよ……しっかりと目を見開いて良く見やがれ!


 何が世界中の淡い光を集めた人形だ、何がか弱く儚げな美の化身だ。そんなことを言ったやつは絶対に人を見る目が無いと断言できる。


 目の前で鮮やかに微笑むのはセシルという日陰の存在の心すら照らす、眩しくて眩しくて目も開けていられないほどに鮮烈な光。セシルの心が焦げてしまいそうなほど確かな熱を持つ、恐ろしいほど美しいひとりの生身の女ではないか。


 なるほど違う、全然違う。銀獅子がただひと言『ちげえよ』で片づけるわけだ。銀獅子は嘘をついたわけでは無かった。ただセシルの知った気になっていたお姫様と本物のお姫様があまりにも違っていただけだったのだ。


 こんな女、一度見たらセシルなら絶対に忘れやしない。忘れることなんてできやしない。

 どくり、どくりとセシルの心臓が早鐘を打つ。何かを言いたいのに喉がからからに乾いて言葉が出ない。なんて、なんて眩く温かな光。セシルはただ茫然と目の前の女を見つめ続けることしかできない。


「さようなら、綺麗な夏の空の瞳のお方。助けてくださってありがとう。ご縁がございましたら、またいつかどこかで」

「あ…ああ、そうだね。縁があれば、またどこかで…」


 はっと我に返ると女が笑みを深め、人差し指を口元に当ててセシルに頷いた。セシルも頷き笑った、と思うがうまく笑えたのか分からない。


 酷く心が揺さぶられる。またこの薄紫の瞳に映りたいと願ってしまう。けれどこれは日陰者のセシルには許されないはずの、ほんのひと時の奇跡のような逢瀬。

 光に焦がれて燃え尽きる夏虫のようにセシルはまだなるわけにはいかない。


「フード!お嬢様フード被ってください!!」

「分かってるわ、ユーニス」

「分かってませんよね!?」


 見惚れるほど美しい微笑みをひとつ残し、また深くローブのフードを被り直すと女は鈍色の毛玉を抱いたまま侍女と共に薄暗い路地から光の中へ…セシルの前から去って行った。


 セシルはあの鮮やかな微笑みを、死んでもきっと忘れない。


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