3.
『アマリリス令嬢の恋と友情、ぬいぐるみについて』36話の数日前のお話。
毎月、月の最初の日曜日に神殿でバザーと炊き出しがある。そこには件のお姫様の母親が慈善活動に来ることが多く、稀にお姫様も顔を出す。もしかしたらいるだろうかと何か所か回ってみたが、セシルはその日、お姫様も母親も見つけることができなかった。
今日は来ていないのかもしれないと適当にバザーで焼き菓子を買って帰路に就くと、少々治安の悪い路地の前でじっとたたずむ影を見つけた。
フードつきのローブをしっかり着こんでいるが中肉中背の女だろう。長めのローブからちらりと見える靴も汚してあるが質が悪くない。恐らく良いところのお嬢さんあたりだろうか。
気になってセシルがじっと観察していると、あろうことかローブの女が路地の方へと入ってしまった。
「おーい!嬢ちゃん!!そっち行っちゃ駄目だよ戻んな!!危ないよ!!」
そもそもあんな路地に入って行く方が悪い。何があってもこの辺りでは自己責任だ。セシルが助けてやる義理は無いのだがどうにも気になって仕方が無い。
「あーくそ!寝覚めが悪いだろうが!!」
らしく無いと思いつつセシルはフードの女を追って路地に入った。他の路地よりは多少ましだがこの路地も十分に薄暗く例に漏れず薄汚れている。
ぱっと見は汚した靴と質素なフード付きローブで分からないがあの女は間違いなく良い家のお嬢様だろう。動きが違う。そんな女が路地をひとりでふらふらしていたら行きつく先は想像に難くない。
「おい、お嬢ちゃん!どうした?具合が悪いのかい!?」
少し路地を入ったところ、大通りがぎりぎり見えるか見えないかくらいの場所でローブの女がうずくまっていた。まさか体調が悪く訳も分からず路地に迷い込んだのかとセシルが慌てて駆け寄ると、女の側からぴーっとおかしな音がした。
「は……子猫……?」
しゃがみ込んだ女の足元、伸ばした手の先に埃にまみれた両手で包めそうなくらい小さな鈍色の毛玉がいた。
「あ、ええ。子猫。よたよたと路地に入って行くのが見えまして、放っておけなくて」
すっと女が顔を上げた。フードが深くて目元は良く見えないが、陶器のように滑らかな肌と淡く色づく荒れひとつない唇が間違いなく上流の女だと主張している。上流どころかこの女は高位の貴族だとセシルは直感した。
「何だい。あたしはよたよたと路地に入るあんたを放っておけなくてここまで来たってのに」
「まぁ…それは大変申し訳ないことを。お気遣いをありがとうございます」
女の口元が笑みの形に緩められる。たったそれだけのことがセシルを妙に落ち着かない気持ちにさせた。
「おい、あんた」
「しっ」
女が形の良い唇に人差し指を当ててセシルを遮った。
「なんだい?」
聞きながら、セシルもチラリと後ろを見た。ちょうど大通りに戻る方、間違いなく厄介そうな人影が見える。
「王都もまだまだ治安が悪いですわね」
「当たり前だろう、下町だよ」
呆れたようにため息を吐いた女に、セシルも呆れた声を上げた。厄介事を自分で呼んでおいてその言い草はどうなのだ。
「ああいう輩はしっかりと取り締まってくださるよう伝えておきますわね。あら、でもそれではセオドア卿達にしわ寄せが行くのかしら……?」
「あ?あんた何言って?」
ぼそぼそと訳の分からないことを呟き続ける危機感を全く感じない女にセシルが眉をひそめたところ、ついに人影がセシルたちに近づいてきた。
「よう、嬢ちゃんたち。こんなところでうずくまってどうした?俺らが介抱してやろうか?手取り足とり腰取りさぁ」
けらけらと下品に笑う男は大男と小男のふたり。小物感はものすごいがそれでもセシルとこのローブの女だけでは腕っぷしで勝てる気がしない。今からこの女を放置しても良いがセシルひとりでも逃げられる保証が無い。
セシルは自慢では無いが腕っぷしの方がからっきしだ。一応仕込まれはしたが才能が無かったようで、逃げる隠れる以外の能力がさっぱりと伸びなかった。情報屋としてのセシルの唯一の欠点だ。
面倒くさいことになったとセシルが小さく舌打ちをすると、ローブの女が子猫をローブの中に仕舞うとセシルの方をちらりと向いた。
「あなた、御自身の身は守れまして?」
「は?」
「わたくし、自分だけなら何とでもなりますけれど、人を守って切り抜けられる自信はございませんの」
「はぁ……?」
何を言ってるんだこいつはとセシルは思った。あまりに世間知らずすぎて今の状況が理解できないのか、それとも恐ろしすぎて頭のねじが飛んでしまったのか。
更に面倒なことになったとセシルがまた舌打ちをすると、ローブの女が涼しい声で言った。
「逆ですわよ」
「はぁ?」
「わたくし、こういうことには少々慣れておりますの」
ふふふ、と楽しげに笑う女にセシルはぎょっとした。今、この女は慣れていると言っただろうか。何にだろう、実はこう見えて高級娼婦だったりするのだろうか。彼女らの教養と身のこなしは実はそこんじょそこらの下手な下位貴族よりもよほど上だ。
「あんた何言って……」
「世の中には色々な理由でわたくしをかどわかしたい方々がそれはもう沢山いらっしゃるのですわ」
「いやそれは…」
さっぱり違った。むしろもっと物騒だった。つまりこの女は誘拐され慣れているということか。見たところ清らかな身に思えるが…今ここにいるということは常に逃げおおせているということか。
「で、御自身の身は守れまして?」
セシルの顔色がくるくると変わるのが面白かったのだろうか、笑い混じりの声で女が再度言った。この女情報屋セシルによくぞそんなことが聞けたものだ。
「ははっ!舐めたこと聞いてくれるね!!そこんじょそこらのお嬢ちゃん方と一緒にしてもらっちゃ困るんだよ」
「それはよろしゅうございましたわ」
いっそ面白くなってセシルがにやりとわらうと、ローブの女の口元もまた楽し気ににやりと笑った。面白い。頭のねじは飛んでいそうだが恐怖のせいでは無く元々なのだろう。
「おいおいおい、何だよ、どっちが先に食われるかの相談か?安心しろよ、どっちもちゃんと可愛がってやるからさぁ」
セシルがせっかく楽しい気持ちになったのに大男の下種な戯言で一気に気分が下がった。小物の下っ端は下っ端らしくその辺で雑草でも噛んでいれば良いものを。
「ゴミクズどもが……」
「あら、玄人で無い分ましではなくて?」
「玄人って…いやお嬢ちゃん、あんた本当に何なのさ」
この状況でもまだまだ楽しそうなローブの女に、セシルもなんだか阿保らしくなってきた。どうせなら、セシルも楽しまないと損かもしれないとすら思わせられる。セシルはこのおかしなローブの女が割と気に入ってしまったようだ。
「ふふふ、とりあえず、走りますわよ?合図をしたらあの大男の右側を壁すれすれに走ってくださいましね」
「あー、もういいや。うん、お嬢ちゃんの好きにしな」
セシルが肩を竦めるとローブの女が「好きにさせていただきますわ」とくすくすと笑った。
いつでも行けるよ、とセシルが小さく呟くと、ローブの女がローブに手を突っ込み何かの包みのようなものをふたつ、取り出した。