day13.牙
高校生になったばかりの葵が、朝海と出会ったときの話。
私が初めてその人を意識したのは、尖った牙みたいな八重歯を下から見たとき。
高校に入ってすぐ、電車で嫌な思いをするようになった。二週間は我慢したけど、やっぱり嫌になって母に相談して警察に行った。
そしたら、「毎年のことだから」って聞き流されて、ちゃんと話も聞いてもらえなかった。泣きそうになりながら警察署を出ようとしたら、追いかけてきてくれたのが新米警察官の朝海くんだった。
「……先ほどは、申し訳ない」
そんな彼の口元からのぞいた八重歯がやけに鋭く見えて、触りたくなった。
私がぼんやりと考えている間に母と朝海くんで話がまとまって、小さな部屋で、ちゃんと話を聞いてもらった。
「婦警でなくて申し訳ない」
「……ううん。網江さんがちゃんと聞こうとしてくれてるの、わかるから。大丈夫」
それがたぶん、私と朝海くんの最初の会話。
週明けに電車に乗ったら、やっぱり押されて、無遠慮な手が伸びてきて。でも、その手が入り込んでくる前に止まって、耳元に優しい声が響いた。
「そこまでだ」
「……っ、あみえさん……?」
振り返ったら網江さんの背中があった。
「遅くなってすまない。次の駅で降りるが、歩けるか?」
「……はい」
網江さんの向こうでおじさんが何か騒いでたけど、私の耳には網江さんの声しか届かなかった。
次の駅で降りて、そのまま事務所に移動した。網江さんがほとんどの説明をしてくれて、私はときどき頷くだけ。途中で母も来て、網江さんに頭を下げていた。
開放されたのは昼過ぎで、タクシーで帰るって言ったら、網江さんが駅のロータリーまで送ってくれた。
「これで、君を害するものはいなくなった。明日から安心して登校してほしい」
「……ありがとうございました」
「最初の対応が悪かったことは申し訳なく思う。でも……君になにかあれば、手を差し伸べる大人は必ずいるから、諦めないでほしい」
そう言う網江さんの笑顔がやたらと不器用で、のぞいた八重歯は牙みたいに尖ってて、私の心の柔らかいところに、グサッと食い込んだ。
「……網江さん。網江朝海さん。私、あなたのこと好きになりました」
「……は?」
網江さんはポカンと口をあけた。
「でも、今すぐどうこうとは言わないです。私、あなたを目指します。いつか並べるようになりますから、待っていてください」
隣にいた母も、目を丸くしている。そこにタクシーが来たから、乗り込んで、扉を締める前に顔を上げた。
「ありがとうございました、網江さん。あなたに、救われました」
網江さんの返事の前に扉が閉まる。
隣では母が笑っていて、ルームミラーにポカンとしたままの網江さんがいつまでも写っていた。