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第7話 帝国査察官、冷酷すぎ!「更生なんて幻想」らしいです

 その日、朝の点呼が終わると同時に、空気がぴんと張りつめた。


 全看守に緊急集合の号令が出された。俺──眞嶋隼人も、急ぎ中庭の集合場所へ向かった。


「帝国から“特別査察官”が来る。今日一日はその随行と現場巡察の補助につけ」


 ロト・ギャンベルの無愛想な命令口調が、さらに場を重くする。


 彼の声には普段にはない、かすかな硬さがあった。眉間には深い皺、手にした指揮棒をいつもより強く握りしめている。その大柄な体がほんの少しだが固まって見えたのは、俺の気のせいじゃなかった。


 ロトは自分の保身には敏感な男だ。上層部の目が届く場面では、普段の横柄さを引っ込め、完璧な上司を演じようとする。


 この緊張も、それゆえだろう。


 ざわめく看守たち。その中で、ナナがこっそり囁いてきた。


「来るのは、クルス・ミラージュ。帝国でも指折りの冷血官僚よ。過去に十数の監獄を“粛清”した実績があるわ」


「粛清……?」


「看守や囚人の過去なんて見ない。再犯率と成果だけで“効率的”に整備する。それが彼のやり方」


 ナナの顔には、いつになく影が差していた。


「……ナナは、あいつと面識があるのか?」


「一度だけね。訓練校時代に模擬視察で。あの人、視線だけで心臓止まりそうになるの。同期の一人は泣いて辞めたわ」


「そりゃあ、ただの視察じゃなさそうだな……」


「あなた、また変な正義感で突っかからないでよ? クルス相手に“更生”なんて言葉出したら、一瞬で潰されるわよ」


「わかってる。でも、俺には……信じたい現実がある」


 ナナは小さくため息をついて、俺の肩に軽く拳を乗せた。


「隼人、正義感は嫌いじゃない。でも、ここは異世界の監獄よ。言葉一つで命取りになるって、忘れないで」


「ありがとう。……でも俺は、やっぱり、言うべきことは言いたい」


 ナナはしばらく俺を見つめて、それから小さく笑った。


「ほんと、あんたって変な転移者ね」


 そして現れたその男は、噂通りの雰囲気を纏っていた。

 俺はその姿を見た瞬間、直感的に「この男とは合わない」と感じた。

 まるで人の心を凍らせるような視線。何もかもを数字と効率で切り捨てる機械のような存在。

 俺のような人間臭い信念を持つ人間とは、絶対に水と油の存在だと、肌で理解した。

 この男と関われば、絶えず試され続け、削られ続ける。そんな未来が一瞬で脳裏に浮かぶ。

 だが、それでも逃げるわけにはいかなかった。


 黒い軍服、鋭い金縁眼鏡、感情のない声。冷たい目で、看守たちを一瞥するだけで沈黙が支配する。


 クルス・ミラージュ。

 帝国直属の特別査察官にして、合理と効率を最優先とする男。噂では、情に流される看守を次々に罷免させ、施設そのものを壊滅状態に追い込んだ例もあるという。


 その言動には一切の情緒や同情がなく、犯罪者を“数字”としてしか見ていない。更生などという概念は、彼にとっては愚者の夢物語に過ぎないのだ。


 彼の正確さと冷酷さは軍内でも突出しており、彼を「鉄の審判者」と恐れ呼ぶ者も多い。


「──この施設は、無駄が多すぎる。囚人に与える食事も衣類も時間も、全てが甘い」


 開口一番、クルス・ミラージュはそう言い放った。まるで誰にも反論の余地を与えない空気だった。


「囚人の更生? はは、そんな幻想がまだ信じられているのか。犯罪者に更生の余地があると思うのは、理想に酔った人間の戯言だ」


 俺はその言葉に、思わず一歩前に出ていた。


「──戯言だとは思いません。俺はここで見ました。罪を背負いながらも、まっすぐに生き直そうとしてる人間を」


 クルスの視線が俺を射抜いた。


「君が眞嶋か。元・日本国の矯正職員。……異世界転移者にしては、随分と甘い理想を持っている」


「──なぜそれを?」


「帝国には“転移者記録管理室”という部署がある。異世界からの来訪者は全員、個別に経歴と素性を調べ上げられ、分類・登録される。君の前職や性格傾向、過去の人間関係すら、私の手元の資料にある」


 俺はぞっとした。まるで丸裸にされているような気分だった。


「帝国は転移者を把握している。君がこの地に来たときの記録、過去の経歴はすべて中央に送られている。君のような“異邦人”の行動は特に注視されているんだよ」


 クルスは冷淡な口調で告げた。


「転移者は貴重な人材だが、同時に“例外”でもある。君がどのように動くか、私にはそれを見極める義務がある」


「……理想を捨てるためにここに来たんじゃない。現実にそれを貫けるか試すために、俺はいるんです」


「立派な信念だ。だが、それが現場でどれほど無力か……まだ知らないのだろうな」


 クルスは俺に一歩近づき、目を細めた。


「では、訊こう。罪人が再び罪を犯したとき、君はどうする? 自分の信じた更生が裏切られたとき、それでも手を差し伸べるのか?」


 俺は言葉を詰まらせた。


 クルスの言葉は鋭い刃のようだった。彼はただ否定するのではない。相手の内側にある信念そのものを揺さぶり、叩き潰そうとするのだ。


「それでも……それでも俺は、人間が変われると信じたい。変わろうとする意志を、信じたいんです」


「愚かだ。だが──面白い」


 クルスは冷笑を浮かべ、手帳に何かを書きつけた。


「君のような存在は、長くは保たない。だが、私の査察が終わるまでは生き残っていてくれよ、眞嶋隼人」


 その言葉が、静かな宣戦布告に思えた。


 この冷酷な帝国査察官──クルス・ミラージュ。


 彼は、俺にとって越えるべき最大の“壁”となるに違いない。



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