第52話『統べる者の器──帝国再建と新たなる王』
帝都の空はようやく灰から薄曇りへと変わり始めていた。
だが、その空気には今なお緊張が漂っていた。
魔王の意志が消えた後も、帝国は瓦礫の中に沈んでいる。指導者を失った国は、舵を取る者を求めていた。
クルス・ミラージュは、瓦礫と灰の匂いが染みついた帝都の片隅、かつて政務を執っていた中央庁舎の影に立っていた。かろうじて壁だけが残った建物の一角に腰を下ろすと、彼は懐から書簡を取り出した。封はしていない。
「まったく、ここまでひどくなるとは……」
呟きは誰にも届かず、ただ風に消えていった。
俺は、そんな独り言を言うクルスの傍に腰を下ろす。
「報告か?」
「いや……心の整理、というべきか。帝都と、あの監獄島の現状について、記しておこうと思ってな」
クルスは目を細める。
「帝都は壊滅的だ。魔物による襲撃から生き延びた者は、わずかに外郭の集落に避難している。貴族の多くは逃亡し、王族も……もはや消息不明だ。帝国の中枢は完全に機能を失った」
俺は無言で聞いていた。
「奇妙なのは、破壊された痕跡のいくつかが、ただの魔物の暴走ではなく“秩序”を持って行われた形跡がある。都市機能を狙い撃ちし、通信、補給、指揮系統……魔物の群れがそれを理解して動いたようにしか思えない」
「つまり……誰かが指揮していた」
「そうだ。魔王の意志か、あるいは……別の何者か」
クルスは書簡を膝の上に置いた。
「一方で、君が島を離れた後のガランツァ監獄島も、大きく揺れていた」
「……やはりか」
「お前が敷いた改革の基盤は、確かに根を張りかけていた。だが、“柱”を失えば組織は揺らぐ。中立を保っていた看守の一部が主導権を握ろうと動き、囚人との協調は崩れかけた」
監獄島の状況を聞いて思わ口を引き結ぶ。
「だが、救いはあった。君が育てた信頼と仕組みは、完全には崩れなかった。メルク、ナナ、ベルン……彼らが中心になり、暴走を未然に防いだ」
「……そうか。あいつらが」
クルスはうなずく。
「君の影響は、確かに残っている。だが、それを維持し続けるには、“帰還”と“覚悟”が必要だ。帝都か島か、それを選ぶ時が近づいている」
俺は、視線を遠くに投げた。帝都の空は、今なお黒煙が揺れていた。
「俺は……どちらかだけを選ぶつもりはない。両方を背負う。どちらの人間の命も、等しく守ってみせる」
クルスの目がわずかに見開かれたあと、静かに微笑を浮かべる。
「──らしいな、君は」
その後、彼の書簡にはこう記されていた事を仲間から聞いた。
『帝都と監獄島、二つの崩壊寸前の拠点に、今なお希望の火が灯っている。それを守る者の名は──眞嶋隼人』
──追記として、クルスは思い出す。
あの夜、帝都が陥落したという一報が入ったのは、彼がガランツァ監獄島に着任してから五日目のことだった。
情報の整理、混乱の鎮静化、そして隼人不在の島の統制を保つために、クルスはあえてそのまま島に留まった。
帝都への帰還要請を受けたのは、それからさらに三日後──彼が隼人たちの旅立ちを追うようにして出発したのは、魔導士アルセリスの影が確実な脅威となりはじめたその頃だった。
帝都に到着したクルスは、混乱の中でわずかに残された指揮系統の一端を担い、そこから隼人の行方を探って現地に合流するに至る。
その一歩の重さを、彼は今も噛みしめている。
「……君に、帝国の再建に関わってほしい」
クルスが静かにそう告げたのは、焼け焦げた議事堂跡でのことだった。
軍も、貴族も、王族さえもすでに姿を消した今、残された者たちが新たな秩序を築かなければならなかった。
俺──眞嶋隼人は、その言葉を真正面から受け止めながらも、重く口を閉ざしていた。
「俺は……政治なんて門外漢だ。俺の仕事はあくまで看守だった。囚人と向き合い、施設を守るのが俺の務めだった」
「だが、君はそれを越えた。囚人と協力し、暴動を止め、島を変えた。君にしかできないことが、今この帝都には必要だ」
クルスの声は感情を抑えていたが、その目は確かに熱を帯びていた。
クルスは本来、帝国直属の査察官として監獄島ガランツァを視察に訪れていたが、魔王の脅威が明らかになった時点で、視察団の帝都帰還を中止し、あえて島に留まるという判断を下した。
その決断が、彼の冷静さと胆力を示していた。
後に生還した視察官たちからの報告を整理し、状況の全容を把握したクルスは、即座に帝都救済と秩序再建のために動き出したのである。
俺は廃墟と化した広場を見渡した。
市民たちがテントの中で食糧を分け合い、怪我人の手当てをしている。
その中心に、美優──綾瀬美優の姿があった。
白衣と聖衣の中間のような装束をまとい、彼女は静かに、傷ついた人々に手を差し伸べていた。
光の癒しが、荒んだ人々の表情を、わずかに和らげていく。
「聖女さまだ……」
「また助けてくれた」
「この人がいてくれて良かった」
そんな声があちこちから聞こえる。
帝都には、いま“象徴”が必要だった。
美優はその役割を、何の見返りも求めずに果たしていた。
その姿に、俺は胸を突かれた。
「……美優の方が、ふさわしいかもしれないな」
「それは別の話だ。彼女は希望を与える者で、君はそれを実行に移す力を持つ者だ」
クルスが冷静に言う。
「帝国を立て直すには、両方が必要だ」
俺は答えられなかった。
王も貴族もいない世界で、誰が統べるべきなのか──。
それを決めるのは俺ではない。だが、誰かが立たなければ、この国は二度と立ち上がれない。
その夜、俺は燃え尽きた王城跡から帝都を見下ろした。
灰と瓦礫の下に、まだ微かに光る“希望”の火があった。
それを守るために、俺は──踏み出す覚悟を問われていた。




