第49話『罪の名を背負いし者──アルセリスの真実
俺たちは魔導工房の最奥へと辿り着いた。
そこは、異様な静けさに包まれた空間だった。天井は高く、黒ずんだ石材のアーチが重々しく伸び、空気には魔力が濃く淀んでいる。壁一面には古代魔導式の刻印が脈動し、無数の光球が淡く浮かびあがっていた。中央には、一つの玉座──禍々しい棘を模した意匠に飾られた、黒と赤の混色に染まった王座。
「……あれが……」
美優が言葉を飲む。
その玉座の上に座していたのは、アルセリスだった。
白銀の長髪は褪せ、魔素に侵されたかのように黒く変色し、揺らめく闇のヴェールが肩先まで垂れている。かつて整っていた端正な顔立ちは、今や酷薄さを帯び、瞳の奥には深い狂気と哀しみが共存していた。
「来たか……レオン……」
しわがれた声が空間を震わせる。だが、それは間違いなくアルセリスのものだった。理性と狂気の境界で、辛うじて人としての言葉を紡いでいる。
「……お前、どうしてこんな……」
レオンの声が、かつてないほど沈んでいた。
アルセリスはゆっくりと、懐かしげな笑みを浮かべた。その顔には、懐旧と痛み、そして決意が滲んでいた。
「俺は……あの日、お前たちと共に魔王を討った。
だが……その時に、俺は見てしまったんだ。魔王の最期、奴の意識が俺に触れた」
「魔王の……意識?」
俺が思わず問い返すと、アルセリスは首を縦に振った。
「そうだ。奴の本質は“永劫の悪意”そのものだった。
それが……俺の中に入り込んだんだ。最初は微かだった。だが……日を追うごとに、その囁きは強くなっていった」
魔王の意思。それは理性の影に潜み、静かに、しかし確実にアルセリスの心を蝕んでいったのだ。
あの魔王を打ち倒した時、灼けつくような閃光と、天地を揺るがす轟音のなかで──その戦いは、終わった。
魔王の心臓を、レオンの剣が貫いた瞬間。
黒き瘴気が辺りを呑み、世界が数秒間、音を失った。
「終わった……のか?」
俺は静かに、崩れ落ちる魔王の躯体を見下ろしていた。
その手には、未だ熱を残す魔導の光が微かに揺れている。
戦いの代償はあまりにも大きく、俺も仲間たちも、もはや立つのがやっとだった。
それでも、俺たちは勝利した。
平和が訪れる──そう信じていた。
「……ッ!?」
だが次の瞬間、胸の奥に焼けつくような激痛が走った。
『──見つけたぞ、器』
空間に響いたのは、誰の声でもなかった。
否──まさしく“魔王の声”だった。
「な……ぜ……!」
膝をついた俺の影が歪み、黒き瘴気が逆流するように体内へと流れ込んでくる。
「離れろ、アルセリス!」
レオンの叫びが耳に届くが、俺の意識は既に内側へと沈み込んでいた。
目の前が反転し、世界が崩れる。
その奥に映ったのは、異形の存在──魔王の意識そのものだった。
『貴様……才ある者よ。選ばれし知恵の徒よ。
この世の理を知る者よ。我が意志を継げ』
「……断るッ!」
俺は叫んだ。全力で抗った。魔王の意思を押し返すように、魂の隅々まで力を込めて。
だが、確実に何かが削れていくのを感じた。
理性と感情、知識と信念。その輪郭が崩れていく。
このままでは、自分が自分でなくなる。
俺は、最後の選択をする。
「ならば──俺が、俺自身を封じるしかない……」
戦場の余燼が残る王都の地下、魔導工房へと身を潜めた俺は、自らの魔力で封印術式を構築し始めた。
時間は残されていなかった。
魔王の意識は、今も内側から俺を食い破ろうとしていた。
「レオン……俺はまだ、お前たちの仲間でいたい……」
こぼれそうになる涙を堪え、俺は玉座に身を沈めた。
そして静かに、自らの魔力と記憶で扉を閉ざす。
──闇に染まりながらも、心の片隅には、かつての仲間の笑顔があった。
それが、俺に残された、最後の希望だった。
「抵抗した。何度も、何度も……だが、そのたびに俺の中の何かが壊れていった」
「……じゃあ、今は……お前自身なのか?」
隼人が静かに問う。
アルセリスは一瞬目を伏せ、それから微かに口元を歪めた。
「……わからない。ただ一つ、俺の中に確かに残っているのは……お前たちとの記憶だけだ」
その声はかすれていたが、そこにはかつての優しさと痛切な哀しみがあった。
「俺は、魔王の復活を防ぐために、自らをこの工房に封じた。俺の意志が奴を押さえていた……だが、それももう限界だ」
ヴェルが一歩前に出て、唇を引き結ぶ。
「つまり……君が倒れたら、魔王の意志が完全に戻る……そういうことか?」
「……ああ。俺がまだ“俺”でいられるうちに──終わらせてくれ」
その願いに、広間の空気が凍る。
レオンが静かに剣を抜いた。
刃が、鈍い光を帯びる。
「お前の想い、しかと受け取った……アルセリス」
「……ありがとう、レオン。最後に、お前の手で……俺を……」
その瞬間、玉座の周囲に暗黒の魔力が渦を巻き始めた。
狂気が理性を飲み込む前に、俺たちは動き出す──
かつての友を救うために。
そして、新たなる闇に抗うために。
最終決戦の幕が、今、上がろうとしていた──。




