第40話『正義はひとつじゃねぇ──レオンの決意』
その夜、ガランツァの空は静かに凪いでいた。まるで嵐の前の、息を潜めるような沈黙。
俺は管理棟の屋上で、冷たい風に吹かれながら一人、夜空を見上げていた。遠くに薄雲が流れ、月明かりがわずかに石畳を照らす。
すると背後から重い足音が響く。
「……隼人。ここにいたか」
声の主はレオンだった。鎧は脱ぎ、粗末な上着だけを羽織った彼の姿は、ただの男に見える。だが、その目の奥には、鋼のような決意が宿っていた。
「眠れないのか?」
俺が問いかけると、レオンは無言で頷いた後、隣に腰を下ろした。
「お前さ。『正義』って、信じてるか?」
突拍子もない質問に、俺は眉をひそめた。
「信じてるよ。ただし、それが一つだとは思ってない。俺の正義と、お前の正義、誰かの正義は違って当たり前だ」
その言葉を聞いた瞬間、レオンの口元がわずかにほころんだ。
「……俺さ、ずっと“正義の勇者”ってやつに縛られてたんだ。魔王を倒して、平和を守る。それが俺の役割だって、疑いもしなかった」
レオンはゆっくりと夜空に視線を移した。
「けど、現実は違った。アルセリスが裏切り、俺は逃げた。帝国は俺を“使い終わった道具”みたいに処分しようとした。正義なんて、どこにもなかった」
俺は静かに口を開いた。
「……それでも、お前は今こうして、誰かを守ろうとしてる。それは、もう十分“勇者”だよ」
俺の言葉に、レオンはふっと鼻で笑った。
「お前、ほんと面倒くせぇ看守だな。でも、嫌いじゃねぇよ。だから言う。俺はもう、誰かの“正義”じゃ動かねぇ。これからは、自分の正義のために戦う」
レオンの拳がぎゅっと握り締められた。
「アルセリスは討つ。あいつを止められるのは、俺しかいねぇ。たとえ、この命を燃やしてでもな」
その瞳は、どこまでも真っ直ぐだった。過去の後悔も、裏切りも、すべてを背負って、それでも立ち向かう者の覚悟があった。
「……一人でか?」
俺の問いに、レオンはしばらく沈黙した。
「正直言うと、怖ぇよ。一人で戦っても、また誰かを失う気がする。だからさ……お前たちと一緒に戦いたい。俺の正義を、今度は一人で背負いたくないんだ」
その言葉に、俺は静かに頷いた。
「わかった。……だったら、俺も自分の正義で動く。看守として、人として、俺なりのやり方でこの島を守る。お前の“正義”が間違ってないって、証明してやる」
「へっ、共闘ってやつか。相棒」
レオンがからかうように笑う。
だがその言葉に、俺はほんの少しだけ心が軽くなるのを感じた。
「一つ聞きたい。なぜ俺を起こした? 石のまま封じておいたほうが、島は安全だったはずだ」
「帝都が魔物に襲われた。生き延びた査察官とともにここに戻ってきた。帝国が沈む前に、できることがあると思った。それに……お前が必要だったからだ」
「俺が……?」
レオンはしばし沈黙した後、夜空を見上げて低く呟いた。
「……お前、やっぱ変わってんな」
俺は微笑みながら、ゆっくりと口を開いた。
「この世界を救うためには、お前の力が必要だ。力だけじゃない。お前の意思と、背負ってきた過去、それを知ってなお前にしかできないことがある。……お前が、今ここにいる理由もきっとそれだ」
レオンはわずかに目を細めた。そして、ほんの少しだけ、肩の力を抜いたように見えた。
かつて封じられた英雄は、今再び立ち上がろうとしている。
“正義はひとつじゃねぇ”。
その言葉が、どこまでも真実味を帯びて夜空に響いていた。




