第36話『侵食する影──地下魔物の巣』
レオンの復活からわずか数日。
俺たちは、その影響が思った以上に大きいことを、すぐに知ることになる。
ある夜、D棟の下層部から異様な音が響き渡った。
ギィ……ギィ……と、鉄を爪で引き裂くような、不快で不自然な音。
そして、それに混じって聞こえる、何かが“這いずる”ような水音。
「何だ……? 今の音、聞いたか?」
警戒態勢で巡回中だったベルンが、ランタンの火を高く掲げながら言った。
俺とナナ、そしてジリアとヴェルも即座に駆けつける。
異常は、D棟の地下側廊下──本来なら使われていない廃棄通路から発生していた。
「この気配……」
ヴェルが眉をひそめた。
「魔物だ。しかも、地下にいたはずのやつらが、上に……!」
やはり、レオンの封印が緩んだことで、ダンジョン内の結界が不安定になっているのかもしれない。
――その証拠に。
廊下の奥から、闇より這い出たのは、変質した人型の魔物だった。
膨れ上がった肉体。目は虚ろで、牙が口元から飛び出している。
「食堂……ノ……パン……」
元人間だ。間違いなく、かつてここで命を落とした囚人のなれの果て。
腐敗した魔素に侵され、怨念ごと蘇った存在。
「来るぞッ!!」
ジリアの叫びと同時に、俺たちは武器を抜いた。
ベルンが前に出て、鉄槌を振るう。
ナナは、訓練で覚えたばかりの回復呪文をヴェルに掛け、援護に回る。
ヴェルは魔弾を放ち、ジリアは素早い身のこなしで囚人だった魔物の側面を取る。
「これだけじゃねぇな……まだ、奥から来るぞ!」
レオンの声が響いた。
彼はすでに剣を構え、廊下の奥へと走っていった。
そして、暗闇の先に現れた第二の魔物──六本の腕を持つ巨大な蜘蛛型のクリーチャーを、躊躇なく叩き斬る。
「遅ぇぞ、ハヤト! とっとと結界張って食い止めろ!」
「こっちも手一杯なんだよ、クソ勇者!」
怒鳴り合いながらも、俺は懐から紙札を取り出し、ヴェルと連携して簡易封印術を展開する。
だが……それでも食い止め切れない。
魔物たちは、ダンジョンから溢れ出しつつある魔素を吸い込むことで、異常に活性化していた。
「このままだと、監獄の内部まで奴らに侵食される……」
ジリアが呟く。
「地下の結界を強化するしかないな……」
ヴェルが汗を拭いながら言った。
「となると、俺たちはまた地下に潜ることになる」
ナナが、うっすらとした笑みを浮かべる。
「覚悟は、もうできてるよ」
ベルンがうなずき、ジリアも無言で頷いた。
そして、レオンは短く言った。
「……だったら、行くしかねぇな。俺たちで、地獄の穴を塞ぐんだ」
──だがその時、背後から聞こえた絶叫が、空気を切り裂いた。
「う、うわああああああっ!!!」
それは、ロト・ギャンベルの声だった。
俺たちが振り返ると、彼は配膳室の入口で震えていた。
その足元から、黒い触手のような影がうごめき、ロトの足を掴んだ瞬間──
突如として現れたアンデッドの魔物が、彼を引きずり倒し、そのまま背中に噛みついた。
「ギィイイイイイイイィッ!!!」
絶叫と共に、ロト・ギャンベルの姿は、闇へと呑み込まれていった。
──だがそれだけでは終わらない。
数時間後、廊下を巡回していたナナが凍りついた。
「まさか……あれ、ロト……?」
その先には、血と内臓を引きずりながら徘徊するアンデッドと化したロトの姿。
両目は虚ろで、口からは腐敗した肉片と黒い液体が垂れていた。
「ハヤト……に、俺は……騙され……た……」
呻き声のように呟きながら、手にした警棒を力なく振り回している。
「チッ……くだらねぇ執念だな」
レオンが前に出る。
剣を軽く一閃。
アンデッドと化したロトの身体は一瞬で真っ二つに斬られ、燃え尽きるように塵となって消滅した。
「まだ未練が残ってたか……だが、もう眠れ」
レオンの静かな呟きが、場に響いた。
こうして、俺たちは再び“封印の修復”という新たな任務を担い、
地下魔物たちとの、本格的な戦いへと身を投じていく。
──それは、ガランツァ監獄だけでなく、この世界そのものに広がる“闇”の序章にすぎなかった。