第29話『冷酷な査定、クルスの最終通告
視察団が去った翌朝、重く沈んだ空気が監獄島ガランツァを包んでいた。
雑用室の片づけを終えた俺たちは、ひとまず各持ち場へと戻っていったが、緊張の糸は切れていない。
その日、再び現れたのは──帝国査察官、クルス・ミラージュだった。
黒の軍服を纏い、端正な顔立ちを無表情に張り付けた彼は、書類の束を手に視察室へと現れた。
その背後には、ガルバ・ドラン所長が重苦しい顔で付き従っている。普段の飄々とした態度は消え、額には冷や汗が滲んでいた。
「報告書は受け取った。帝国視察団の見解も、明日には正式に通達が下るだろう」
淡々とした口調で語る彼は、容赦のない視線を俺に向けた。
「眞嶋看守、君に直接伝えておく必要がある」
その瞬間、室内の空気がピンと張り詰めた。
「更生改革──確かに、形式的には進展しているようだ。だが、その“効果”が数値として安定的に現れるには時間がかかる。帝国が望んでいるのは、即効性だ」
俺は息を呑んだ。
「再教育に要する時間、人員、資材──それらすべてが“帝国の財”であることを忘れるな」
クルスの声には一片の感情もなかった。
「更生とは、美しい理想だ。しかし理想が現実の秩序を脅かすならば、それは切り捨てられる」
ジリアが小さく息を呑み、ナナの表情も強張る。
「君のやっていることは、理想主義的だ。だが、私は合理主義者だ」
「では……更生の意味は、帝国にとって何なんです?」
口をついて出た疑問が、俺自身を驚かせた。
「帝国にとって、囚人は“コスト”だ。生産性がなく、管理にも費用がかかる。その存在意義は、“治安維持の象徴”であり、抑止力の一端でしかない」
その言葉は冷たく、乾いた刃のように突き刺さった。
ナナが震えた声で言う。
「それじゃ……誰も、やり直せない……」
「やり直しを与えるのは、国家ではない。奇跡だ」
クルスの言葉に、全身が凍りつくようだった。
ここでジリアが小さく口を開く。
「理想と合理主義の違い──それがすべてかもしれないな」
彼の低い声に、俺ははっとした。
「理想は“こうあるべき”という信念だ。人は成長できる、変われる、という希望に支えられている。だが合理主義は、“今ある資源を最も効率的に使う”ことを重視する。未来よりも、今の数字がすべてだ」
「その通りだ」とクルスが遮るように言った。
「感情や信頼ではなく、数字と実績が全てを決める。理想は尊いが、実務の前では無力だ」
クルスはほんのわずかに表情を緩める。
「……だが、それでも私は、改革の火が完全に無意味だとは思っていない」
俺たちは驚いて顔を上げた。
「この島は、特殊だ。監獄として機能不全に近い状態で放置されてきた。そこに風穴を開けた君たちの行動には、一定の価値がある」
彼の瞳に一瞬、わずかな情熱が宿った気がした。
「だが理想に流されるな。変化を本当に求めるなら、“合理性の中で結果を出せ”。私はその証拠を待っている」
「明日の午後、帝都で臨時報告会が開かれる。今回の視察結果とともに、“改革の是非”が審議される」
彼の目が鋭く光る。
「もし改革の成果が“不十分”とみなされれば──この施設は矯正モデル施設指定を取り消され、従来の“監獄型”へと回帰される。更生派の看守は再配置、囚人は元の分類に戻され、あらゆる改革は凍結だ」
「従来の監獄型に戻るということは、暴力的な管理、作業強制、徹底した監視体制の復活を意味する。囚人の人格や背景など一切考慮されず、脱落者は“永久収監”扱いとなる可能性もある。希望を失った者が何をするか──それを、帝国は黙認するつもりなのかもしれない」
俺は、拳を強く握りしめた。
すべてが水の泡になるかもしれない。仲間たちの努力、囚人たちの変化、希望さえ──。
だが、俺は諦めない。
絶対に、あの冷たい理屈を叩き壊してやる。
クルスは一瞥だけ残して、無言のまま視察室を後にした。
沈黙が支配する部屋に、誰一人言葉を発する者はいなかった。
それでも、胸の内に燃える灯だけは──消えていなかった。