第13話 謎の密告と罠、仕掛けられた分断工作
監獄内の空気が、明らかに変わっていた。
食堂の朝は、いつもなら荒れた笑い声や汚い罵声が飛び交う喧騒の場だ。粗末な木製のテーブルとガタついたベンチがずらりと並び、湯気の立つ薄い粥と硬いパンの匂いが鼻を刺す。飯を運ぶトレイがぶつかり合い、看守の怒号が響き渡る。
だが、その朝は違った。
まるで時間が止まったように、誰もが黙り込み、スプーンで粥をすくう音さえ妙に耳につく。いつもの悪態も聞こえない。目だけが動き、隣の者の顔色を探るように揺れていた。
テーブルの上に、問題の紙があった。
数枚のコピーが、食器の合間に無造作に置かれていた。手に取って読む者、遠巻きに見つめる者、そしてそれを握りしめ、無言で立ち去る者。
『更生裁判は看守の私的な目的で運用されている。ジリアと隼人は密約を結び、被告の取引と引き換えに刑罰を操作している。罰を軽くされた者たちは、代わりに看守へ情報提供や私的労働を強要されていたという証言もある。正義の名を借りた見せかけの裁きが、今も続いている。隼人とジリアの関係は不明だが、繰り返される裁判のたびに有利な判決が下されていることに疑問を感じる。彼らは本当に囚人のために動いているのか?──一囚人より』
無記名の密告文。
しかし、内容はまるで中からの観察者のように正確で、明らかに“知っている誰か”が書いたとしか思えなかった。
更生裁判──それは、軽度な規律違反や問題行動を起こした囚人に対して、法廷形式で行う内部裁定だった。形式上は囚人の代表者が弁明を行い、証言と証拠に基づいて判決を出す。判事役はジリア、副判はナナ、傍聴と補佐役をベルン、そして進行と最終確認を俺が担当していた。
目的は処罰ではなく、再犯防止と自己反省を促すための“機会”を与えること。その理念に賛同した仲間たちと始めた制度だったが──その信頼が、今、大きく揺らいでいる。
「おい、見たか? あの紙……」
「ジリア、裏で何かしてたんじゃねぇのか?」
「隼人も結局、看守なんだよな……」
ささやきが食堂中に広がっていく。
俺──眞嶋隼人の耳にも、あちこちから飛び込んでくる声が届いていた。目を合わせてこない者、逆にじっとこちらを睨んでくる者。空気は、完全に変わっていた。
俺はすぐに、ジリア、ナナ、ベルンを集めた。場所は物資庫の裏、視線の届かない静かな一角だった。
「密告文が出回ってる。内容はかなり悪質だ」
俺の声に、ジリアは目を細めて紙を睨みつけた。
「ふざけんな。誰がこんな真似を……。ここまで具体的に書ける奴、内部の誰かだろ。どこで裁判をやったとか、誰が関わったとか、全部合ってやがる」
ナナは腕を組み、沈思黙考していたが、やがて静かに口を開いた。
「これは偶然じゃない。明確な悪意と、綿密な観察がある。おそらく……バルドの仕業だわ。D棟の改革を快く思っていない勢力がいるのは確かよ」
「タイミングもばっちりだ」ベルンが唸るように言った。「囚人たちの信頼が育ち始めた今、分断を狙うならここしかねぇ」
俺は紙を握りしめ、眉を寄せた。「でも、違和感がある。文章の構成がやけに整ってる。単なる囚人じゃない。もっと、裏に──」
「ロトだな」と、ジリアが低く呟いた。
ナナがうなずく。「ずっと改革に反対してたし、前の更生裁判のときも異常なほど食ってかかってきた。あのときもロトは、囚人に発言させること自体が制度崩壊の始まりだって、あらゆる場で言ってた。バルドに情報を流して、陰で焚きつけるくらい、あの男ならやる」
ジリアは拳を握りしめた。「……許せねぇ。俺たちは本気でやってんだ。希望ってもんを、あいつらの利権のために潰されてたまるかよ」
「もしこの騒動で裁判制度が崩れたら、ロトはそれを盾に改革を潰す口実にする……」ナナは憂いの表情で言った。「それが本当の狙いだとしたら、厄介よ」
ベルンは静かに深呼吸した。「でも、諦めねぇ。俺たちが正しいって、行動で示すしかねぇな」
俺は皆の顔を見回し、力強く言った。
「……信頼を取り戻すには、やるしかない。密告の出所を突き止める。そして、この裁判制度の正当性を証明するんだ」
ナナが頷く。「外からも、内からも、敵はいる。でも……だからこそやる意味があるわ」
ジリアが笑みを浮かべた。「いいね。疑いをかけられたままじゃ、黙ってられねぇよな」
ベルンがトン、と俺の背中を軽く叩いた。「背負うもんが増えてきたな、隼人。でも……そういうのに負けなさそうだ、お前は」
俺は深く頷いた。どこかで、これが本当の戦いの始まりなのだと理解していた。




