【第二章 監獄改革の胎動と帝国の影】第11話 更生への第一歩は、雑用室から
朝の鐘が鳴り響く。冷たい石の床に、差し込む淡い光がぼんやりと影を作っていた。
雑用室に立つ俺──眞嶋隼人は、手に持った当番表を掲示板にぴたりと貼りつけた。
「よし、これで準備完了だ」
紙に記されたのは三つの班──掃除班、修繕班、配膳班。どれも地味で誰もやりたがらない業務ばかりだが、これらを交代制で回していく。責任も労力も平等に。それが、俺の考える“更生”の一歩だった。
ギイ、と重たい扉が開いて、囚人たちが一人、また一人と集まってくる。
ジリアは黙って当番表を読み上げ、腕を組んだ。
「……効率は悪くねぇ。だが、俺の名前を最後に書いたのは気に食わねぇな」
「すごい……見やすくて、順番もわかりやすいですね」
隣で覗き込んでいたメルクが感心したようにつぶやいた。
「ふん、こういうのが一番最初に壊れるんだよ」
初参加の中年囚人、フライが皮肉っぽく言う。
だがその目は、真剣に表を読み取ろうとしていた。
そこへ、足音と共にナナが姿を見せた。手にはメモ帳。
「おはよう。所長から、正式に仮許可が出たわ。月末の査察までは更生プログラム、続けていいって」
「……仮、ね」
ジリアが低く吐き捨てるように言う。
「“仮”でも、進まなきゃ何も変わらない」
俺は静かにそう返した。
ナナはふと、俺にだけ聞こえる声で付け加えた。
「ちなみに所長は……この試みが失敗すれば、お前に責任を押し付けられると踏んでる節もあるわ。上手くいけば“手柄横取り”、失敗すれば“見切り”。」
「……なるほど」
苦笑いしか出なかった。
作業が始まると、室内の空気が変わり始めた。
掃除班のメルクとフライは、黙々と廊下の水拭きをしていた。
メルクは丁寧に隅まで手を入れ、フライは文句を言いつつも雑巾をしぼる手に迷いはない。
「お前、前に宿屋で働いてたのか?」
俺が尋ねると、フライは肩をすくめた。
「昔な。今じゃこんなもんよ」
「でも、手つきがすごく慣れてますね」
メルクが素直な声で言った。
「おだてるな。……ま、誰かがやらなきゃ、床はずっと汚ぇままだしな」
一方、配膳班のベルンとテオは食堂へ。
ベルンは慣れた動きで食器を並べ、テオは驚いた表情を浮かべる。
「ベルンさんって、ほんとに看守なんですか?」
「ちゃんと給料もらってるさ。まあ、昔から家事が得意でな」
午後になると、修繕班が古びたベンチの修理に取りかかる。
ジリアが手慣れた様子でノコギリを使っているのを見て、ナナが驚いたように呟く。
「証拠書類に“元家具職人”って書いてあったけど、ほんとだったのね」
「信じるのかよ、そんなもん」
ジリアは口元だけで笑った。
やがて日が傾き、作業が終わる頃、メルクが擦り切れた雑巾を握ったまま俺に話しかけてきた。
「隼人さん……今日、少しだけ、胸を張れた気がします」
その顔は、誇らしさと戸惑いが入り混じっていた。
「誰だって、誰かの役に立てば、変われる。……俺はそう信じてる」
ナナが静かにうなずく。
「私も……そう思いたい。こういう風景、見たことなかったから」
石の床にはまだ埃が残り、空気には汗の匂いが混じっていた。
でもその中で交わされる会話、積み上げられた作業、穏やかに流れる空気。
それらは確かに、“監獄”の中に新しい風を吹かせていた。
雑用室という名の、ささやかな希望の拠点。
ここから、俺たちの“更生革命”が始まる。
──だが、その風を嫌う者もいた。
その日の夕方、俺が当番表の控えを保管庫へ戻しに行ったときだった。ロト・ギャンベルが倉庫前で待ち構えていた。
「眞嶋ァ。何を勝手にやってるつもりだ?」
彼の声は低く、しかし怒気を孕んでいた。
「更生プログラムのことなら、所長から正式に仮許可が──」
「知ってるわッ!」
ロトの怒鳴り声が、廊下に響いた。近くの囚人たちが肩をすくめて逃げていく。
「てめぇのせいで、俺の縄張りがグラついてんだよ。仮許可だ? そんなもん、査察が終われば帳消しだろうが!」
その目には、恐怖と焦り、そして“支配を失うこと”への拒絶がにじんでいた。
「……あなたは、自分の立場を守りたいだけだ」
俺は静かにそう言った。
「この場所は、看守の威厳のためにあるんじゃない。囚人たちが二度と道を踏み外さないようにするためにある」
「理想論を語るな、坊や。俺たちがどれだけ血を流してきたと思ってる」
吐き捨てるようなロトの言葉に、俺は一歩も引かなかった。
「俺は、これ以上、誰かが無意味に傷つく現場にしたくない。それだけです」
数秒の沈黙ののち、ロトは鼻で笑い、肩をすくめた。
「クルス様の査察で全部バレるさ。お前の甘さも、幻想もな」
そして彼は、怒りを抑え込むように背を向け、重い足取りで去っていった。
背中を見送りながら、俺は拳を握った。
今は、ただの仮許可。だが、きっとこの雑用室から、変えられる。そんな確信が、胸の奥でゆっくりと熱を灯していた。




