プロローグ
俺は、真嶋隼人。日本の刑務官として、まじめ一筋に生きてきた。三十五年、誰よりも責任感と誠意をもって仕事に向き合ってきたつもりだった。
職場では“管理職候補の星”と呼ばれ、難しい囚人対応や現場の指揮も任されていた。法務官僚からの信頼も厚く、特例研修にも参加させてもらっていた。
だがそれは、すべての人間に好意的に受け取られていたわけではない。
同僚の南條は、俺と同期の男だった。仕事はできるが、要領の良さと顔色をうかがう能力でのし上がってきたタイプで、俺とは性格も信念も違っていた。
「真嶋、お前さぁ……上に気に入られてるよな」
「俺がやってた仕事、全部お前が引き継いでるって知ってるか?」
そんな不穏な空気は、たしかにあった。俺は真っ向から否定したが、彼の苛立ちは日に日に増していった。
そして──あの日。
薄暗い会議室。月末の報告書を山ほど処理していた俺の背後から、気配がした。
「お疲れ様。ずいぶん遅くまでやってるな」
声をかけてきたのは南條だった。珍しく優しげな表情だったことに、少し違和感を覚えたのを覚えている。
そして次の瞬間。
突き刺さった。
胸に、鋭く、冷たいものが深く入ってくる。
瞬間、息が詰まった。声が出ない。目を見開いたまま、俺は振り返った。
そこには、果物ナイフを握る南條の姿があった。
「……お前さえ、いなけりゃ……」
顔は歪み、目はどこか遠くを見ていた。
理解が追いつかなかった。なぜ、どうして、という疑問が頭の中を巡る。
それでも、痛みと共に視界が暗転していく中、俺は思った。
──ああ、死ぬのか。こんなことで。
◆
しかし。
俺は目を覚ました。
そこは見知らぬ石造りの広間。高い天井、揺れるタペストリー、見たこともない服を着た人々。
「おお、今期の転移者だな」
そう言ったのは、紫のローブを纏った老人だった。
「この者を監獄島ガランツァに配属しろ。人手が足りんのだ」
転移者? 監獄? なにを言ってる? 俺は刺されて死んだはずじゃ──
混乱する間もなく、兵士たちに腕を掴まれ、馬車に押し込まれた。
異世界転移。
自分がそんなものに巻き込まれたことを、俺はそのときようやく理解した。
◆
監獄島ガランツァ──それは、異世界に存在する“最悪”の監獄だった。
大陸の南端、地図にすら載っていない絶海の孤島。その周囲は断崖絶壁と荒波に囲まれ、上空には飛行魔獣さえ近づかぬ強力な魔力障壁が張られている。
監獄の敷地は巨大で、かつては砦として機能していた名残を残す高い城壁と、迷宮のように入り組んだ舎房棟、そして囚人たちの労働区域や農園までも備えている。
表向きには「社会から隔離すべき危険人物を更生する施設」とされているが、実態は腐敗と放任が蔓延した“魔境”だ。
囚人たちはそれぞれの棟に分かれ、看守の監視下で生活する建前になっているが、実際は規律など形骸化しており、物資の横流し、賭博、密輸、派閥抗争が日常的に行われている。
看守たちのモラルは最低で、汚職や暴力、収賄も珍しくない。
そして俺は、そこで“新人刑務官”として配属された。
……いや、配属というより、放り込まれたと言ったほうが正しい。
かつて日本でエリート扱いされていた俺が、だ。
最初の仕事が、便所掃除だった。
「やる気のあるやつは雑巾を見ればわかるんだよ」
そう言って笑ったのは、上司のロト・ギャンベル。強面の中年男だが、実態は酒と博打とサボりが得意なだけの無責任野郎だった。
書類は丸投げ、報告は自己責任。看守たちは昼間から飲酒し、囚人と賭博に興じている。
まさに異世界のブラック職場。
ここが、刑務所?
冗談じゃない。
──でも、俺は負けない。
刑務官とは、人を見捨てない仕事だ。更生とは、もう一度やり直すチャンスを与えること。
この世界がどうあれ、俺の信念は変わらない。
そして俺は、出会った。
脱獄の常習犯で元勇者を名乗るカイル。
霊感商法の魔法使いリリィ。
女たらしで盗賊団の元幹部ジグ。
冤罪で投獄された元貴族の法学者マルロ。
どいつもこいつも一筋縄ではいかない。
でも、話せば分かる。むしろ、看守たちよりずっとまともな人間だ。
だから、俺は決めた。
この監獄を、まともな場所にする。
囚人も看守も、胸を張って生きられる世界に。
雑用係からのスタート? 望むところだ。
俺は、もう一度“刑務官としての魂”を証明してやる。
囚人たちとともに、この腐敗した監獄を変えてみせる。
これは、俺──真嶋隼人が異世界で挑む、更生と再生の革命録だ。
異世界スローライフ監獄改革譚、ここに開幕する。




