第七話 テネレ
テネレの街は迷宮都市と呼ばれる石造りの大きな街で、六年前に迷宮の入口が見つかるまでは、周囲の高原に広がる豊かな農地に支えられた交易の拠点だった。
どこの王家にも属さないまま周辺の農民と商人が集う市場町が自然に大きく育った市街地だったが、今では大陸を統一した帝国の傘下に入り、形だけの軍隊も駐留している。
しかし元々周囲に森と農地しかないこの街には外壁が巡らされてはいるものの、内部には巨大な城塞もなく、戦とも無縁だった。
迷宮が発見されてからは、常駐する形ばかりの軍隊では何の役にも立たず、冒険者ギルドが管理に乗り出してからは街の勢力構造が一変した。
今では役人でも農民でも商人でもなく、世界中から集まった腕自慢の冒険者たちが、この街の主役だった。
迷宮への入口は、六年前に町の南側へ突然出現した。
老朽化した市場の移転に伴い解体していた地下の巨大な石室跡から、更に地下深くへ続く竪穴が発見された。そのまま放置するのは危険なので内部へ探索隊を送ると、やがて巨大な横穴に到達した。横穴の中は不思議な光に満たされていて、そこには凶悪な魔物が棲んでいて、侵入した人間に容赦なく襲いかかった。
探索隊は命からがら逃げだして、大慌てでその縦穴を岩で塞いだ。
それが、この大陸で四番目となる迷宮の発見であった。
地下迷宮としては、三番目になる。
残る一つは魔の森と呼ばれる、南の広大な森林地帯だ。
未だ人類が最深部まで攻略した迷宮は、公式には存在しない。迷宮最深部へ到達したとの怪しげな噂話はそこここで聞かれるのだが、どれも信憑性のない酒場の与太話の範疇を出ない。
テネレの迷宮は遥か昔から台地の地下に存在していたのだが、人間が気付かぬままいつしかその上に町ができて、ここまで発展していた。
迷宮の入口が街に開いて数々の魔物が外へ出てくれば、大惨事を引き起こすだろう。
一説によれば、魔の森が生まれたのはそうして地下迷宮から地上へ出た魔物が森へ広がったからとも言われる。だが魔の森の深部は人跡未踏のままで、真偽は不明だ。
魔物からテネレの街を守るために、他の三か所の迷宮を管理していた冒険者ギルドが乗り出す。
それを機に、街には世界中から冒険者が集まるようになった。
先ずは、街に向けて開かれた入口近くのモンスターを排除して、そこを封鎖することが先決であった。大勢の冒険者を集めて街の軍と協力し、何か月もかけて巨大な門を造り、やっとそれを閉ざすことができた。
迷宮入口の門を中心に半径一キロの範囲は街に接収されて大きな広場となり、周囲の街を守るために、広場を囲む防壁が新しく巡らされた。
迷宮の入口は何重もの頑丈な門と石の壁に囲まれ、巨大な石造りの建物自体で蓋をするように塞がれた。魔物が迷宮の外へ出られないよう厳重に守っているこの建物が、テネレの冒険者ギルドそのものだ。
防壁の南側は元の街の外壁がそのまま利用され、その外側には新たな外壁が作られて、街は南側へ大きく拡張された。
最初の街が円形だったので、今の街はもう一つの大きな円を繋いだ南北に長いダルマのような形をしている。
迷宮の南側はその時にできた新市街で、それ以外は旧市街と呼ばれる。ギルドのある防壁内側は迷宮広場と呼ばれ、テネレの街は大きくこの三区画に分かれている。
まだ新しい南門から街に入ったアルは、いかにも田舎から出て来たばかりの新米冒険者といった出で立ちで、きょろきょろと周りを見廻しながら、街のメインストリートを歩いた。
「仮面を着けていないと、なんだか裸で歩いているような気分になるな……」
右に左にと首を振り振り歩きながら、アルは呟く。迷宮暮らしで身についた独り言は、簡単には治らない。
マットの姿で街を歩いていた時に目星を付けておいた新市街の安宿に無事部屋を取り、荷物を置いてからギルドを目指した。
村ではそれなりに腕の立つ男であったという自信を持ちながらも、都市の賑わいに圧倒されて怯んでいる田舎者。
そんな姿を頭に描いて演じようとしたが、それは今の自分自身の境遇と変わらなかった。田舎者を演じる必要など全くないことに気付いて、アルは一人で笑った。
通り過ぎる人々の目も、その時は全く気にならなかった。
南の内門を通り迷宮広場へ出る。内門の中には新しい建物が増えて、広場はこの数年でずいぶん狭くなっている。
今ではギルドの周囲二百メートルほどの石畳の広場に様々な露店が並び、その外側は冒険者相手の宿屋や武器屋、酒場などの店がぎっしり立ち並んだ。しかし迷宮の内門の中、つまり迷宮広場で商売をするには、一つだけ条件がある。
それは、店主が現役かどうかに関わらず、ギルドの冒険者登録をしたランカーでなければならないということだ。万が一モンスターが迷宮から出て来た時に街を守るために戦える者だけが、ここでの商売を許される。魔物が市街へ出ることを阻止する、最後の盾になること。それがギルドの決めたルールだった。
冒険者でない者は、内門の外側で商売をする。多くは、新市街と呼ばれる街の南側に集まる。そのせいか、内門を潜り迷宮広場へ入ると、やけにガラの悪い連中が目に付くことになった。
新鮮な気持ちで、アルはギルドへ冒険者の登録に向かう。
「北方のクレンツ村出身の十五歳、アル・オルセン」
登録申込書へ記載したこの情報は、ほぼ嘘偽りのない、彼自身のプロフィールだ。
冒険者登録を願い出て受付で話していると、後ろから禿頭の老人に声をかけられた。
一瞬のことだが、ただならぬ気配を感じてアルは声をかけられる前に後ろを振り返っていた。
老人は、目を細めてアルを見ながら口を開く。
「新人冒険者の登録か。なるほど、十五歳ね。もっと若く見えるが、本当に十五か?」
「う、嘘じゃない」
「怪しいな、お前。まあいいか。では来週冒険者養成学園の入学試験があるから、どうだ、それを受けてみないか?」
老人は狼狽えるアルの顔を見ながら、ニコニコしている。
怪しいと言われたアルは、気が気でない。受付嬢との話に集中していたとは言え、瞬時に背後に迫られて大いに警戒していた。
この年寄りからは、老獪な魔物のような精気が滲んでいる。迷宮を出て初めて感じる、濃厚な野生の気配であった。
「誰だ、あんたは?」
実を言うと、この老人こそ迷宮都市テネレの冒険者ギルド長、アントン・オズバーンである。
かつて、SSSランクを超える世界最高の冒険者と称された男だ。
冒険者を引退してこの町で悠々と暮らしていたところ六年前に迷宮の入口が発見され、成り行き上仕方なく、この街のギルド長に就任した老体だった。
「兄ちゃんなかなかやりそうだから、頑張れば合格するんじゃないかな?」
「お、俺でもいいのか?」
「もちろん。一年間寮に入ってみっちり訓練をすることになるが、それでよければな」
ギルドの受付嬢が続きを引き取り、詳しい説明を続ける。結局、老人が何者であるか、アルは聞きそびれていた。
「学園の入学資格は十五歳から十八歳までの健康な男女です。冒険者登録が済んでいなくても大丈夫。入学が決まればEランク冒険者に登録されます。読み書きもできるようですから、あなたの受験資格は問題ないですね」
受付嬢はそこで言葉を切り、アルの目を真っすぐ見つめて微笑んだ。
「選抜試験に合格すれば、一年間全寮制の学園で、冒険者になるための基礎訓練を受けることになります」
「ここまでで、何か質問はありますか?」
「いや、特にないが」
質問どころか、話がうますぎてアルは疑惑しか感じていない。これは、自分を捕える罠だろうか。
「では説明を続けます。受け入れる生徒数は最大三十人まで。試験は体力測定と座学の二科目。一年間にかかる費用は、全額冒険者ギルドで負担します。迷宮内での訓練で入手した素材や魔物のコアはギルドが買い取りますので、個人の収入として構いません」
「なるほど。至れり尽くせりのいい身分だな」
「しかし、訓練中の安全については保証できませんよ……」
「冒険者であれば、それは仕方がない」
安宿で当分の間は暮らす予定だったアルにとって、一年間の寮生活はありがたいことだ。食事の心配もいらなくなる。
合格できれば、ここでじっくりと街暮らしの基礎を学ぶことができるだろう。たぶん冒険者として学ぶこと自体は、少ないだろうけれど。
アルにとっては願ってもない、街暮らし養成学園だった。
座学の試験内容が少し気になるが、体力測定は全く問題ないだろう。いや、かなり手抜きをしないと、逆に大変なことになるか。それはそれで、心配だ。
最終的に、上位三十番以内に入れば良いので、変に目立たぬように、ほどほどに手加減するのがかえって難しそうに思える。
「どうしますか?」
「受けるぞ。い、いやあの、ぜひ、お願いしたい」
その場でアルは、受験の申し込みをした。合格すれば、自動的にEクラス冒険者として登録されることになる。
不合格でも、冒険者登録はできる。失うものは何もない。さて、果たして本当にそうだろうか?
いや、罠でも何でもいい。とにかく今は、そこへ飛び込んでみるだけだ。
ギルドでの申込から四日後、入学試験の日が来た。
朝から日差しが強く、暑い日だった。
何と、新市街にある学園の広場には、優に百人を超える入学希望者が溢れていた。
短い草の生えた広場の隅に、レンガ造りの大きな建物が二棟と、納屋のような木造の小屋が何棟か並んでいる。
その大きな建物の前に集合した。
アルは同年代の若者がこれだけの人数集まる場面など、想像すらしたことがなかった。
朝早くから広場に並んだ若い男女の熱気に、アルは圧倒される。
「いや、まいったな。大丈夫か、これ」
受験生の人数が思ったよりかなり多く、厳しい競争になるだろう。変に手を抜くと選抜に漏れそうで、加減が難しくなったことを痛切に感じる。
中年の背の低い男が前に出て、挨拶を始めた。
「学園長のホイットニーです。今年は受験者の人数がとても多いので、選抜試験は三段階で行うことになりました」
集団が、ざわめく。
「先ずは、長距離走による体力試験となります。先着六十名だけが、次の試験へ進めます。ただし、三時間以内にゴールすること。それより遅い者は全員失格となります」
いよいよ、試験が始まった。
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