第十八話 人と魔物
様子のおかしいヒカリから逃げるため、セシリアも怪我を負ったリサを救けながら小屋の入口まで後退した。こうなると、いざとなれば小屋の中へ逃げ込むしかない。
「あの水晶玉には、何か仕掛けがあったのだろうな」
セシリアが暗い声で告げて、リサに治療薬の小瓶を手渡す。
魔王の裏切りが、これで確実になった。
魔力を完全に回復したヒカリが敵対するようになったことは、絶望的な脅威だった。
リサは、セシリアから受け取った魔法薬を左腕の傷に振りかけて治療をする。
「とにかく、わたしたちはいつもの修業のように回避だけを優先して、ヒカリの魔力を消耗させるしかない。後はアルが戻るまで時間を稼ぎましょう」
「よし。できる限りのことをするだけだ」
頼りになるのは鍛えた回避の技と、手持ちのアルの薬だけである。
そうして二人が決死の覚悟で回避行動を取っている間に、セシリアのフードが外れてその正体が明らかになった。
「なるほど。魔物だけではなく、冒険者ギルドも一枚かんでいたか」
セシリアを認めた老僧が叫んだ。
「構わん、殺せ!」
老僧が周囲の僧侶へ命じると、聖属性から無属性の魔法に切り替えた攻撃が二人に集中する。
そこへ、やっとアルが入口から顔を出した。
「何があった?」
四方から迫る攻撃魔法を見て、アルが魔法防壁を展開しながら二人に合流する。
「あの魔王の水晶玉を使ったヒカリが、敵に操られているみたいなの」
「なるほど。あの魔王と同じ赤い目をしているな」
アルが戻ったことを知ると、今度は教会の若い僧侶がヒカリに命じる。
「ヒカリよ。お前の大切な者から先に始末しろ」
「承知」
老僧の言葉に頷いて、ヒカリは三人を見る。
確かに三人が正面からよく見ても、その目は赤いままだった。
それから三人はヒカリへの攻撃を躊躇いながら、防戦一方になる。ヒカリの攻勢に乗って、教会の攻撃も勢いを強めた。
僧侶たちは無属性の魔法攻撃と、弓矢による物理攻撃に切り替えていた。忙しく回避行動を取りながら、リサが言う。
「ヒカリの一番大切な人ってアルじゃないの?」
「それならいいんだが、よくわからん」
アルはヒカリがリサと会った頃のことを思い出して、不安になる。ヒカリがリサの食事に毒を盛った時に、アルは怒って言った。
『では俺は自分の身は自分で守る。その代わり、お前は弱い人間であるリサを守ってくれ。これがお前の新しい任務だ』
『承知いたしました。わが命に代えて、リサ殿をお守りいたします』
もしあの時のことをヒカリが覚えていたならば、ここでアルが一人離れた時にヒカリは躊躇なくリサを攻撃するはずだ。
手加減の無い全力のヒカリの攻撃を、リサが避けられる可能性は極めて低い。実のところ、ヒカリがそんな事を覚えている可能性も極めて低いとアルは思うのだが。
ヒカリが普通にアルを攻撃してくれればよいのだが、それは危険な賭けだった……
ヒカリを傷つけたくない三人は防御と挑発によりヒカリの魔力を使わせて弱体化させることに集中する。
「アル、ヒカリはエジェレでクリスティンを看取って以来、人を傷つけることに迷いがあるみたいなの。口では強がっていたけど、わたしやセシリアさんとの稽古でも戸惑いながら闘っていたのだと思うわ」
アルも、ヒカリの変化には気付いている。ただヒカリが人間に近くなればなるほど、魔物として弱体化しているようにも思えた。
「だから今日も、教会の連中に思い切った手が出せずにやられっ放しで。それなのに、今はああしてわたしたちを傷つけることを躊躇しない。本当にそれが悔しくて……」
リサもセシリアも、こんな状況でもヒカリに反撃できず回避に徹してしていた。
「わかった。何とかするから、二人は頑張って逃げ回ってくれ」
あの日クリスティンの命の灯が消えるのを目の前で見たヒカリは、何かが変わった。
リサやセシリアと手合わせをしていても、時折怯えたように手を引くのを見かける。人を殺すことが当たり前の魔物として生まれ、姉のコダマや他の魔物たちが数多くの人と戦い多くの血を流してきた記憶を受け継いでいるヒカリにとって、それは不可解な感情だった。
アルはヒカリを外の世界に連れてきて良かったと感じている。自分もヒカリも同じ、穴の中しか知らぬ凶暴な獣であった。
それが人間の世界を知り、仲間を得て、仲間を信じ、仲間のために闘った。そしてアルはそんなことを、これからもヒカリと共に学びたいと願った。
いつか二人がテネレの迷宮へ戻った時には、この経験を新しい迷宮の記憶として他の魔物たちとも共有したい、いや、必ずそうしなければ。
「だから、何がなんでもヒカリを守らなければならない……絶対にヒカリをテネレへ連れて帰る」
ヒカリの攻撃を躱すのは、毎日のようにリサが続けてきた修行である。最近ではセシリアも同様だ。
しかし手抜きのない本気のヒカリの技は鋭く、アルの手助けなしには長く躱し続けることは不可能だった。
アルは二人の前に常に位置して、ヒカリの接近を許さない。焦りと怒りを表情に出したヒカリの気配が、突然消えた。
いよいよ本気で攻撃を仕掛ける気だろうと、身構える。
アルは多重の防御障壁をリサとセシリアの周囲に張り巡らせて、自分はそこから少し距離を置いた。
気配を殺して潜むヒカリの居場所を掴むべく、集中する。
全力で隠蔽技術を使うヒカリを発見するのは、アルでもかなりの集中力が必要になる。
だが、不可能ではない。
これでヒカリがどちらを攻撃するか、それによって対処が変わる。
ついにアルがヒカリの潜む位置を特定して、次の攻撃を待つ。万が一にもリサとセシリアにかけてある防壁が破られないよう強化しつつ、じっと待った。
ヒカリは瞬速でアルの背後に回り込み、短刀の攻撃を繰り出す。アルはそれを避けずに迎え撃ち、カウンターの蹴りをヒカリの腹に叩き込んだ。
苦悶して吹き飛ぶヒカリ。
「どうやら俺がターゲットらしいので、二人はそこで見ていてくれ」
旧教会の僧侶たちは、大陸の南に広がる魔の森の辺縁で代々魔物と闘ってきた歴史を持つ。
昔から魔の森に近かった今の帝都インガルを守ったのは、聖なる湖であるテレ湖から流れ出る河川を利用した堀割りと、懐古主義派の正教会が抱える聖魔法士たちだった。
その教会が反主流派となり今では魔の森と帝都の間にあるオムーの街と冒険者が、魔の森から帝都を守っている。
長い間行き場を失い潜伏していた教会の聖魔法士たちはここに集結し、長い時間をかけてティリアの迷宮を包囲してその力を弱め、ついには迷宮主を封じるまでに至った。
中心になったのは若き天才エイナル・リバーグ。この時アルと同じ十六歳だった。
しかし幸か不幸か、この日エイナルが率いる若き僧侶たちは南の小屋を遠巻きに見張っていて、この北の山中での衝突にはまだ気付いていなかった。
公式の情報では、テネレの迷宮はまだ三十層までしか攻略されていない。しかもここティリアの三十層に比べると、遥かにレベルが低いと聞いた。
つまりテネレの冒険者も迷宮の王も、どちらもティリアより弱いということだ。魔王を取り込んだ教会は、そう判断した。
確かにあのアルという少年より、一緒にいる魔物の方に凶悪な力を感じる。
危険な魔物から先に手を打つ必要があると考えたのだ。
「ティリアの魔王の時のように、魔力を弱らせて操ることができれば我らの勝利は揺るがない。幸いなことに連中は迷宮の外にいる。瘴気のない場所で戦いを挑めば、我らが敗れることはなかろう」
エイナルの言う通り、教会はそうして勢力を二分して、ヒカリを罠にはめた。エイナルを含めた数人の僧侶でティリアの魔王を操り制圧したことで、教会は自信を深めていた。
だが彼らはテネレの迷宮が、ティリアより二十階層以上も深いことを知らない。
思うような攻撃ができず焦れたヒカリが、遠距離から強引な魔法攻撃に出る。
空中を高速移動しながらアルはリサとセシリアを後ろに庇い、魔法障壁で防御する。
魔力を出し惜しみしないヒカリの攻撃は、広範囲に激烈な威力を放った。
アルが二人から離れ過ぎて障壁が手薄になるのが心配で、三人は一定の距離を保ったまま防戦一方になる。
連続する大火力の爆裂魔法に押されて、三人は近くの涸れ谷へ追い詰められた。
谷間の岩の上に三人が固まり、正面からヒカリの激しい魔法攻撃を受ける。だがその攻撃は、アルの障壁が全て防いでいた。
肩で息をするヒカリが魔法攻撃の手を止めると、待ち構えていた三人の逆襲が始まる。
「今だ、反撃するぞ!」
アルが防壁を解くと同時に、リサの水魔法がヒカリの体を包むように水流で覆う。そこへセシリアの雷撃が襲う。
防御に集中するヒカリの動きが止まったところへ、アルの巨大な爆炎が包みこんだ。
ヒカリは必死に球形の防御結界を展開して完全防御を試みるが、その爆炎ごとアルの魔法結界が更に外側を大きく包み込み、爆炎の飛散を抑えながら熱風をその中心へと押し込んだ。
次第に包囲を絞るアルの結界がヒカリを締め上げ、高温高圧の圧縮された爆炎が固体のような密度でヒカリを押し潰そうと迫る。
全力で作るヒカリの障壁が次第に力を失い、爆炎が全てを燃やし尽くさんとしたとき、アルの風魔法が全てを一瞬の間に上空へ吹き飛ばした。
元の子供の姿に戻り気を失って空中から落下するヒカリの体をアルが受け止めて、地上へ戻る。
地形が変わるほどの爆炎を遠巻きで見ていた教会の僧侶たちを、アルが睨む。
「次に吹き飛びたいのは、誰だ?」
動揺した僧侶たちは背中を見せて、森の中へ散り散りに敗走した。




